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大丈夫、
「文月」
開いた扉のふちをノックして、辰巳は室内に呼びかける。シーツを整えていた小柄な人影は、無言で振り向いた。
「言っておいたよな。こいつの面倒を見てやってほしい」
「わかった」
「とりあえず仕事の内容を教えて、少しずつ手伝わせる形で頼む。休憩は文月と同じタイミングで取らせて構わない」
「うん」
無表情で頷いて、小麦くん……もとい、年下の先輩、文月さんは俺をちろりと見た。黒目が大きい。小動物みたいだ。
「ミズホか」
「あ、水野です。水野千春と言います。よろしくお願いします」
はっとして、ぺこりと頭を下げる。
「じゃあ、任せたぞ」
「うん」
軽く手を上げて、辰巳……もとい、江川さんは背を向けて立ち去った。スーツを着こなした広い背中が、遠ざかっていく。俺はそれを見送って、室内に踏み込んだ。
「……改めて、よろしくお願いします。えと、今朝はすみません」
「ああ、あんた、やっぱり今朝の」
文月さんはシーツを整えながら無感動に言う。手際が恐ろしくいい。手慣れた仕草で小麦色の手が動くと、たちまちシーツはシワひとつなくベッドを覆っていく。
「とりあえず、この部屋はもう終わるから、あんたは見てればいい。次の部屋から教えるから、ちゃんと見てて」
「わかりました」
俺は部屋の隅に立って、その手付きを見守る。シーツをかけて、もう一枚シーツを重ねる。その上に文月さんの身長はゆうに超える横幅の、大きな布団を重ねて、整える。頭の側のシーツの端を折り、枕にカバーをかける。ダブルベッドの上に、計4つの枕。丁寧に整えられた、俺から見れば完璧なそのベッドの端を軽く調整し直して、文月さんは顔を上げた。
「掃除機。廊下に出てる」
「あっ、はい」
取ってくれということだろう。俺は小走りで廊下へ出、壁に立て掛けてあった掃除機を取ると、ずしりと重いそれを持ち上げて彼の足元へ置いた。
「っ……と。お待たせしました」
「……一部屋掃除するごとにこれを使うし、シーツも枚数あれば重くなる。濡れたタオルの回収も力がいる。あんたみたいなひょろひょろで出来るかな」
淡々と指摘され、俺はうっと言葉に詰まった。ひょ、ひょろひょろ。普通体型だと思うし、いや、むしろ目の前にいる小柄で少年みたいな彼よりは力もあると思いたいのだけど。
「ど、努力します」
文月さんは拳を握ってみせた俺を一瞥し、コードをコンセントに挿した。小さなスイッチのバーへ指を滑らすと、かちりという音のあと、少し前の掃除機特有の、大きな音が空間を満たした。
邪魔にならないよう、隅っこへ移動して、俺は無言で働く彼の背中を見つめた。サッカーとかやっている少年を想起させる、小柄で細身ながら筋肉のついているのがわかる背中。口数は少ないけれど、朝に初めて言葉を交わしたときに感じた棘は今はない。少し無愛想だけど、仕事ぶりも真面目で、嫌な感じはしなかった。
(──うまくやれるといいけど)
(大丈夫だろ、お前なら)
辰巳との会話が頭をよぎる。
大丈夫、俺なら。だって、辰巳がそう言ったんだもの。俺はそっと微笑んだ。
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