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仕事はじめ
ユニフォームを手渡され、俺は更衣室を案内された。
ビニールを開け、広げたユニフォームに、思わず声を上げる。
「どうした?」
ロッカーに右肩を預けてもたれ、腕組みをしていた辰己が眉を寄せた。
「あ、ううん。ただ、さっきの……小麦くんと同じだと思って」
「ああ、言ってなかったな。あいつはお前の……そうだな、直属の上司とでも思っておけばいい。年は下だが、それなりにしっかりしてるし、お前みたいな奴なら放っておけないだろうし、面倒見てもらえ」
「俺みたいなやつ?」
小首を傾げると、辰巳は微苦笑を口元に浮かべた。腕を伸ばし、ぐりぐりと俺の頭を撫でる。
「わっ……」
「こういう、ぽやっとした奴のことだよ」
「ぽ、ぽやっとなんて……」
してない、つもりだ。唇を尖らせた俺に、辰巳は再び口元を優しい苦笑に歪めて手を離した。
「……ほら、さっさと着替えろ。他のスタッフはもう始業してるぞ」
そう告げて、更衣室を出てしまう。ユニフォームを手に、俺は。
「……っ」
一拍遅れた羞恥にうずくまっていた。
あ、頭、撫でられた。優しくて、ちょっと困ったみたいな、片頬笑い。脳裏に焼き付いて、追い打ちをかけてくる。
大きく息を吸い、吐き出す。深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着きを取り戻し、ぎこちなく着替え始める。空色のTシャツに、黒のゆるっとしたデザインのズボン、黒のエプロン。シンプルな組み合わせのそれは、ホテル内の客室を掃除し整える、いわゆるルームメイクのスタッフのものだ。
裏方の仕事でよければ紹介できる、と言われ飛びついた俺は、いくつか教えられた仕事のうちそれを選んだ。整理整頓は好きだし、あまり人と関わる仕事は得意じゃないし。
「いいのか。体力仕事だぞ」
心を決めた俺に、辰巳は苦い顔をしていた。
「大丈夫だよ。……俺、そんなに頼りない?」
「頼りないというか……いや、ああ、そうだな」
「大丈夫だって。俺、見た目より体力はあると思うよ?」
「……」
とまぁ、散々聞かれたけれど、大丈夫と言い張り、今に至る。辰巳は心配そうな表情を最後まで崩さなかったけれど、俺って、そんなに貧弱に見えるんだろうか。確かにインドア派ではあるけど……。
Tシャツを被り、スラックスを履いてベルトを締める。エプロンの紐を縛って荷物を指定されたロッカーに預けると、俺は扉の方へ歩み寄った。扉をそろりと開け、顔を出す。
「辰巳、着替えたよ」
「だから、辰巳じゃない」
「あ、ごめん」
慌てて口を塞ぐと、辰巳は眉を下げて笑った。
「塞いだって始まらんだろ」
「そ、そうだね……ですね、江川さん」
ぎこちなく呼びかけると、辰巳はまぁ及第点だと言うように片頬で笑ってきびすを返した。
「客室は5階から7階だ。水野は客室のルームメイクだから、主にそこで仕事をする事になるだろうな。休憩室は……この廊下を右に曲がった……あそこ。あの扉の中だ。今日はまだ完成しないようだが、タイムカードが出来たらここの機械にこう……通す。いいか?」
歩きながらてきぱきと説明する辰巳に、俺は感心してしまう。
「慣れてる……ますね」
「まぁ。半年近くいるしな」
辰巳はエレベーターの前に立った。上階へ向かうボタンを押すと、ごぅん、と機械の動く重い音がする。
「……ちなみに、これはバックヤードに繋がるエレベーターだから、開けた途端お客様と居合わせるなんてことはないから安心していいぞ」
「あ、そうなんですね」
そっと胸を撫で下ろした俺に、辰巳は苦笑した。咳払いひとつこぼして、すっと真顔に戻る。
「始業は9時。日によるが、仕事が終わるのは14時前後か。水野は17時までは働きたいんだったよな」
ちらりと視線を寄越され、俺はこくりと頷く。さすがに9時から14時の短時間勤務で一人暮らしの生計は立てられない。
エレベーターが開いて、俺は辰巳に続いて乗り込んだ。
「だとすると、ルームメイクが終わったあとに外部の手伝いや空いた部屋の細々とした清掃……大掃除みたいなものか、そういうのだったり、あとはシーツやタオルの発注なんかも任せることになるだろうな」
「俺に……出来るかな」
責任の発生しそうな内容に思わず尻込みする。辰巳は微苦笑を浮かべて、それからちらりと現在の階層を示すランプを見上げた。俺もつられてそちらを見る。
「文月が同じ17時まで勤務しているし、今言った仕事はあいつが分かってる。何かあればあいつに聞けばいい。最初はあいつに清掃やそのあとの業務を教わることになるだろうな」
小麦色の肌の、可愛らしい顔に反して毒のある言葉を吐く青年の顔が脳裏に蘇り、俺は困り笑いを浮かべて頬を掻いた。
「うまくやれるといいけど」
「大丈夫だろ、お前なら」
おさななじみの顔に戻って、辰巳は穏やかな低い声で言う。
「……。うん、ありがとう」
情けないところばかり見せていられない。俺は微笑み返して、頷いた。
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