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第2話「変人」

「義人くんおはよー!」 「あ、お、おはよ」 「佐藤くんおはよ!」 「お、」 「あ、佐藤くんだーっ!」 「おはよー、、、」 女子との圧倒的な人数差に押されて、声が出ない。教室に入った瞬間のキャアキャアという声に気圧され、義人は変わらず教室の後ろの隅に向かった。 美大なんてそういうものだろうと思ってはいた。実際、美大予備校通いの時だって圧倒的に女子が多かったと言う事もあって、その辺は慣れているつもりだった。けれど、大学ともなると人数が違う上、まだまだ慣れ切れていないクラスの教室は黄色い雰囲気に包まれていて、香水だか何だか、いい匂いが入り交じった複雑な匂いが充満している。段々と気分が悪くなって来た。 「窓、換気、、!」 「佐藤くん、おはよう」 「あ、峰岸、おはよう」 クラスに4人いる男子の内の1人、峰岸修介(みねぎししゅうすけ)が、キョトンとした顔でこちらを見ていた。 おっとりした顔立ちと雰囲気があり、浪人生で年上だが、入学してから3日、義人にとって彼ほど話しやすいクラスメイトは他にいない。 「なんか、香水かな。すごい強い匂いの子がいるね」 教室の窓側、後ろから2番目の席に荷物を置いた義人。峰岸はその隣の机に手提げカバンを置き、窓開けをする彼に困った様に微笑む。 「ああ、これ香水か。すんげーくさ、、いって言ったら失礼だよね」 クラスの男女比は35:4。男子の6倍以上の人数の女子がいる。義人が属している造形建築デザイン学科は1学年につき4クラス。どのクラスも男女比は義人たちのクラスと変わらない。どの学科もそうかと言えばそうではなく、建築学科ともなれば、これが逆転したような人数差になる。 「いいんじゃないの?俺もそう想うなぁ。お手柔らかにして欲しいよ」 義人に緩く穏やかに笑いかけながら窓辺に寄った峰岸は、ガキャン、とロックを外して窓開けを手伝ってくれる。途端に春先の爽やかな風が少し冷たいものを抱えて教室になだれ込んできた。 「いい匂いだけど、つけ過ぎは禁物だよね、こういうのって」 「だよねー」 一度大きく入れ替わった空気を吸う。 教室にある全ての窓を少しずつ開け、それが終わると並んで席についた。 2列ずつで間隔を空けて置かれた教室の机は中学、高校と使ってきたサイズのものとは違う。勉強机としての役割の他に、作業机という役目と製図板を上に置く為にこの大きさになっているのだろう。何となく木目に目が行き、なぞるように波を見つめながら、また遠くで歓声のような黄色い声がしたな、とぼんやり頭に留める。 「おはよう」 突然聞こえたその声に、ビクリと肩が揺れた。 「あ、藤崎くん。おはよう」 振り向きながら、峰岸は変わらない穏やかな笑みで藤崎に挨拶を返す。 「、、、どーも」 視線を上げて捕らえた人物は勿論義人にもその完璧な笑みを向けたが、その様子を見て、義人は遠慮気味に居心地の悪そうな返事を返した。 「なに、佐藤くんもしかして昨日のことまだ怒ってる?」 にやけながら義人達の後ろの席に藤崎が腰掛ける。肩に下げていた布製のカバンを机の側面についているホックに掛けると涼しげな表情で机に肘をつき、掌に顎を乗せ、義人を見つめた。 「怒ってねーよ」 義人は峰岸と話す為に横を向いて座っていた事を後悔する。おかげで後ろについた藤崎も視界に入り、とても話しやすい体勢になってしまっていた。 「ふーん。怒ってるんだ」 やたらとにやけた顔が視界の端にチリチリと入り込んできて、彼のイライラは増して行く。 一方で、それも分かり切っているらしい藤崎は楽しげに目を細めた。 (きもちわる、、何なんだこいつ。俺をイライラさせてなんか楽しいのか?) ニコッと笑いかけられた事に余計に腹が立った。藤崎は気にする様子も無く、ズボンのポケットから取り出した飾り気のない黒いゴムのカバーのついた携帯電話を机の上に置き、落ち着いた所で教室内を見渡した。 「何で窓開けてんの?」 キョトンとした顔。こちらをイライラさせたまま、藤崎は気にせず話題を変えてくる。 春の初めで、やっと少し寒さの抜けた気候が安定してきた時期。確かに窓を開けるまで暑くもなく、暖房をかけるまで寒くもない季節だ。 「あー、香水がさ。女の子の。すごく強くて、俺頭痛くて」 ふわふわとした雰囲気のまま、峰岸が答えた。義人が一方的に藤崎に放っているこの険悪な、気まずそうな空気感には気がついていないようだった。 「ふぅん」 「すごい匂いだよな。俺ここまできつめのはダメだ」 「そうだねー。俺も無理かなー」 峰岸が義人の意見に賛同すると、藤崎は再び義人に視線を移す。義人の整った少し甘い顔立ちの横顔は、口角は相変わらず下がっているものの、藤崎と話すときとは違い何処となく楽しそうに見えた。 やはり昨日の会話が気に入らなかったのだろう。 自覚する程、藤崎は義人に警戒されている。 「なに」 藤崎に見つめられていることに気がついた義人が、峰岸に向けられていた穏やかなものではなく、不機嫌そのままにこちらをジロリと睨む。 「佐藤くんてさぁ、」 なんだか物珍しいものでも見ているような目で、藤崎は義人をジーッと見つめ続けた。 その間、峰岸が前の席に座っている誰かに話しかけられている。2人で話すと言う事に対しての居心地の悪さが浮かんで来て、義人は今すぐここから逃げたいとすら思った。どうせまた、嫌味でも言ってくるんだろう、と。 「早く言えよ」 「いや、うーん」 「何だよ」 もったいぶる様な言い方に腹が立ち、大きめな声でそう言うと、一度ゆっくり瞬きをして、藤崎が口を開いた。 「佐藤くんて、童貞?」 手で口元を隠しながら、義人にだけ聞こえるくらいの声でポソッと、そんなセリフが聞こえた。 「、、、は?」 その事実を気にするか気にしないかは人による。義人は気にするたちで、藤崎は気にしないたちだった。 「なんでそんなこと言われなきゃいけねえんだよ!!」 カッと頭に血が上る。 気にするたちの義人からしてみればこんな質問をされる事自体がこの上ない侮辱だ。 しかし気にしないたちの藤崎からすれば、何故そこまで義人が怒るのかが理解できなくもあり、また、怒りで立ち上がった義人が体ごと自分の方を向いた事が嬉しいなどと、今感じるべきではない喜びを覚えていた。 「あからさまに経験なさそうだからさー」 あはははは、と笑う藤崎の胸ぐらにつかみ掛かる手。それに気がついて止めに入る峰岸と、驚いてこちらに視線を送る女子達。 「お前、本当にむかつく!!」 面倒な学生生活になりそうな予感がした。

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