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第8話「男前」

暗くなって来ていた。 「うーん。あそことあそこに吊るしたいんだけど、養生テープだとちょっとなあ、、っていうか、斉藤さんは?」 「いない」 「またサボり?」 苛立った、というより呆れていた。 入山はため息をついて、「じゃあ4階佐藤くん1人になるから、変わりに誰か入れるね」と言って頭に手を当てる。疲労した顔は、サブリーダーであるにも関わらず何もかもの責任を押し付けられた事によるものだった。 課題の装飾の配置が段々と固まって来ていたそんな中、始めから休みがちだった斉藤が最近ではまったく学校に来なくなってしまった。約1ヶ月で完成させる課題。あと1週間と少し言うところで、1人減って6人での作業は正直チームワークを乱す者がいなくなったというのもあって順調ではある。だが人が減っただけに、始めから大変だと言っていた作業量は増している。 「俺行くよ、入山さん」 颯爽と入山の横に立ち、180センチの高さから見下ろす瞳はにこりと笑った。 「ありがとー藤崎くん」 「げ、」 「いやいや、喜べよ佐藤くん」 斉藤に変わり、4階のヘルプに回って来たのは3階担当の藤崎だった。 「いや、だって、遠藤とかもいるし、男2人が揃ったら他が大変だろ」 明らかに藤崎の加入を拒む義人だが、隣に並んだ藤崎は5センチ上から見事な笑顔で彼を見下ろし、今度は少し困った表情を作る。 それがまたやたらと様になり、「あ?」と義人から不機嫌な声が漏れた。 「2階の遠藤さんを回したら片岡さんが困るし、指示出しの入山さんがすぐ頼れる相手がいなくなるだろ。一緒に全体の感じ見てくれてるし。それに4階が一番吊るすもの多くて大変だから、3階終わり次第、俺が行くよ。3階はもの少ないし」 「ああ、そう、そうな」 言われてみればそうだ。 (藤崎の好きな子って、入山か?) ふと、そんな考えが起こる。 放課後の7号館は周りの校舎と比べると格段に暗い。ましてや日の光が完全に落ちたと言うのもあって、廊下の電気を全てつけなければ真っ暗で何も見えない。最近建て替わったり増築された校舎は9から14までであり、7号館はリノベーションなどもされていない最も古い校舎の内に入る。補強と言えば耐震工事をし直したくらいのものだ。 照明はまばらで数が少なく、田舎の夜道を思わせる。 そんな中での作業が続き、4階の装飾を入山の指示や皆の意見に従って男2人で組み替えたり位置を変えたりと忙しく走り回った。 「よし、仕方ない。今日はここまでにしよう。撤収して、みんな!」 入山の声に全員が返事を返してから、各階に散らばり撤去作業を開始する。時刻は20時を回っていた。門が完全に閉じるまであと1時間ある。義人と藤崎は4階。自分たち以外に人気のなくなった校舎で動くと、互いの靴音が妙に大きく響いて聞こえた。ふと、藤崎が撤収作業をしている義人の手元に視線を落とす。 「え、、佐藤くん」 素手で素材に触れている彼を見て、少しギョッとした。 「あ?なに?」 「軍手は?」 ワイヤーを遣う作業。手を切る可能性があるからと、軍手は必需品の筈だった。そして撤去作業のとき先日までしていた軍手を今日は何故かしていない義人。驚いた顔の藤崎を屈んだ体勢で見上げながら、義人も自分の手を見下ろし、しばらくしてからまた藤崎を見上げる。 「この間斉藤に貸して返って来ない」 そうだった、と記憶が蘇ってくる。 ここ最近で1番最後に斉藤を見た日、2人きりの4階で軍手を忘れたと斉藤があまりにも騒ぐので両手とも貸してしまい、以来まったく帰って来ていない。買い直すのも面倒だと忘れていたが、考えてみれば危ない状態で作業をしていた。 「へえ。人がいいね」 おちょくるような視線で見下ろしてくる藤崎を見上げ、義人は眉根を寄せた。嫌味ったらしい言い方しかできないのだろうか。 立ち上がり、5センチ下から睨み上げつつ、ふん、と義人が鼻を鳴らす。 「うっせーな。ちゃんと返してもらうよ」 あんな綺麗な顔で、こんな憎たらしい性格の持ち主。天も二物は与えなかったな、と脳裏に浮かべつつ、義人は巻き取ったワイヤーと角材を持って藤崎のいる方とは反対に歩き出す。 しかし、わざわざ軍手を返せと言うのもなんだか器が小さいような気がした。たかだか500円程度の代物だ。ならばやはり、明日の朝一で買ってしまえばいいか。 「でも今はないだろ」 歩き出してすぐに藤崎の声がして、義人は嫌々ながら立ち止まった。 「そうだけど、」 「利き手、どっち」 藤崎が、義人のすぐ側に立った。 「は?」 「利き手はどっちですか」 振り向けば、目を細めてくる藤崎。その視線が、誘うように妙に艶かしく見えて、義人の身体がピリッと緊張して強張る。 相手は誰もが認めるだろうイケメンで、素直に褒めたりはしないが、男の義人でも格好いいと想う相手。だからだろうか。たまに寄越されるそう言う妙に優しい視線や読めない感情を含ませたもののせいで、どうしてだかギクリと動きが止まるときがある。 「、、み、右」 それはとてつもなく嫌な感覚で、同時に身体の芯が忙しなく熱くなるように感じた。 「良かった。俺、左」 そう言って、藤崎は右手の軍手をはずして義人に差し出してくる。黄色の滑り止めのついているものだった。 「え?いや、お前が怪我するかも、」 「だから」 「え、」 「利き手が怪我しなければギリギリ作業には参加できるだろ。お互い利き手だけは守ろうよ、佐藤くん」 貸してくれるなんて思っていなかったと言うのと、突然そんなに優しい態度をとられたせいか思考がついていけない。これは、借りていいのか。いつも自分にたっぷりの嫌味を言ってきたりからかったりしてくるあの藤崎相手に。 「、、、」 見上げた先には、優しい視線しかない。 けれどどうしてか、素直に受け取ろうと言う手が出なかった。藤崎と軍手を交互に見比べ、何か言いたいのだがどうしていいかも分からず黙り込む義人。 「ここ、置くよ」 意外な発言にぼーっとしていると、しびれを切らした藤崎が義人の肩に右手の軍手をポン、と置いて行った。 「っ!、、あ、」 「なに?」 何か言わなければ。 歩き出していた藤崎が、こちらを振り返る。 「あー、、ありがと」 声が上手く出ないのは、身体が痺れて動かないのは、何故なのだろう。義人の頭はフル回転している。 人気のない4階の廊下に響く声。 まだ肌寒かった筈の春の夜は、いつの間にか上着がなくても過ごしやすい気候になっていた。 「どういたしまして、佐藤くん」 ニヤリ。あの笑顔が見えて、それにまたギクリという心臓。何だか悔しくなって肩に置かれた軍手をさっさと右手にはめた。 やっと計算し終わった頭が導き出したものはあまりにも情けない答えで、頭をブンブンと振ってそれを振り払うと、義人も藤崎に続いて荷物を持ちながら階段に靴音を響かせて降りて行った。 「はい、終わりー。じゃあ教室に持って帰って、置いて、そんで帰ろうか」 「うん」 入山がそう言って、撤去した道具を班員で全て教室に運んでいく。ワイヤーなどは全部入山が持ってきてくれたトートバックにあまり曲げないようにして入れ、ガムテープや養生テープ、その他の工具等もまとめて段ボール箱に突っ込んだ。 段ボールは朝早くに大学のゴミ捨て場に行けばいつでも数枚は溜まっている。入山が取ってきてくれた手頃な大きさのものを組み立ててガムテープを貼り直して使っていた。文化祭前になると奪い合いになると予備校の先輩から聞いたことがあったな、とぼんやり義人は考えた。 「けっこう遅くなったね。ごめんね、皆平気?時間とか」 「大丈夫だよ!」 西野がニコニコしながら答える。 西野は峰岸に似ていて、ふわふわした穏やかな雰囲気のある女子。ふんわりとしたボブヘアに白い肌。薄化粧で大体機嫌が良く、何かと空気を和ませてくれる。 吹き抜けの上の空しか見えていなかった義人達が7号館から出ると、外はもう真っ暗で学内の街灯がポツポツと灯をつけていた。 「斉藤来なかったな」 段ボールを持って、何の気なしに隣を歩く藤崎に話しかける。藤崎はワイヤー類の入ったトートバックの方を持っていて、一瞬だけ義人を見て「あー、」と言うとまた前を向いた。 「そうだね」 「、、、お前ってさ、なんか、ああいうタイプの子、苦手?」 斉藤のあの態度の急変具合から言っても多分2人の間には何かしらがあったんだろう。 義人の中でも大体は想像できていた。自分に被害が及んだ事もあり、少し気になっていた事をそのまま藤崎に投げ掛ける。 「いや、別に」 あっさりとした答えが返って来た。 「あー、好きでもない、みたいな?」 「ん、、んー、どうでもいい。課題やんないならやんないで」 「けっこードライだな」 段ボールが意外に重く、抱え直しながら言った。 「そう?高い金親に払わせて入学したのに授業に出ない。作業に加わらない。コレで単位落としたら親には申し訳がつかないし、作業に出ない事で俺達からの信頼はなくなる。何より、彼女自身の経験値が、俺達よりも極端に低くなる。将来何がしたくて、今何をしようと思ってここに来たんだろうな、って思っちゃうんだよね。出れるなら、出た方が良いのにね」 その答えに、義人はうまく言葉が出て来なかった。引いている訳とは違う。むしろ、藤崎がそう言う考えの持ち主だと分かって驚いている。へらへらした変な奴だと思っていたが、それだけではなく、きちんと大切なものを持ってここにいる彼を言ってしまえば見直したのだ。 「引いた?」 こちらを向いた目が、きらりと街灯の灯りを反射する。濃いブラウンの瞳は、日本人離れしているように思えた。 「違う違う。お前もっとこう、本当に斉藤のことどうでも良いのかと思って、、でも結構あいつの事とか考えてんだな」 「ん、、そう?」 藤崎はよく分からないと言いたげに、視線だけ一瞬空を見上げた。7号館から教室への帰り道。コンクリートの道を歩きながら、他の班員より少し遅れ、離れて1番後ろを歩く義人と藤崎。 「でも、確かにもったいないな」 義人はやっと、藤崎とまともに喋れた気がしていた。 今までのあれは何だったのだろうか。妙にざわざわした感触は今はなく、自然体で藤崎の隣を歩き、何気ない会話ができている。 (俺、コイツの前だと緊張すんのかな、、さっきもそうだったけど、、苦手なだけ?) 肌がピリつく様子もなく、体温も普通だ。 焦ったような、取り乱したような感覚もない。横に並んでいるからだろうか、とチラリと横目で藤崎を見上げる。前を歩く西野と入山を眺めているようだった。 (あ、、そっか。あの、変な、、エロい目で見られてないからか) 時たま感じる視線。誘われるような、気圧されるようなそれ。あの見つめ方をされないから、真正面から見られていないから落ち着いていられるのだろうかと考える。どうしてかは義人には理解できなかったが、けれど、今こうしてやっと同じ班員としてコンプックスも何も感じず嫌味も言われず普通に藤崎と話せている事が、彼からすればどうしてだか嬉しかった。 「作業の手も欲しいし、来てくれたらいいのにな。さいと、う、あ、や、うわッ!!」 ぐらり。 降り始めた階段を踏み外したと気がつくには遅かった。視界が急に角度を変え、そのまま体が前につんのめる。 「危ない!!」 「っわ、!?」 寸でのところで、義人よりも少し前。階段の1段先を歩いていた藤崎に抱きとめられる。段ボールの中に入っている物が傾いた方へ移動する、滑る様な音が聞こえた。 「ッ、、!」 ドクドクと、胸が鳴る。 後少しで落ちるところだったという恐怖が、すぐそこにあって収まらない。 同時に感じる、腰の当たりに回された藤崎の筋肉質な腕の感触と、段ボールを支えてくれている安定感。 「、、、佐藤くん、バカ?」 「お前って本当にむかつくよな!!」 段ボールを持っていたせいで、足下が見えていなかった。藤崎は段ボールを義人に押し当てるように前方から抑え込みながら、右足を義人の体の前に入れ、左手で後ろから腰を抱きとめている。 「放せアホ!」 まだ不安定な体勢だというのに、恥ずかしくなった義人は少しもがいてみせた。 自分のドクドクとうるさいビビり上がった心臓が藤崎にバレたら、余計に恥ずかしくなりそうだ。 「助けたのに、ひどいね」 耳元で声が聞こえる。 言いながら、体勢を直すまで待っている藤崎が無駄に男前でうざったらしい。義人がちゃんと立った所で、するりと骨盤を撫でるように藤崎の腕が離れて行く。 「っわ、」 くすぐったいような感覚に、ビクッと体が揺れた。 「俺がそっち持つよ」 「は?いやいいよ。平気だって」 義人の持っている段ボールに手が伸びて来る。これ以上借りを作ってたまるかと思い、手を拒むように箱を自分の方へ引いた。 「今転んだだろ」 呆れた様な顔。そういう顔を向けられるのは、何故だか悪い気はしなかった。しかし男の意地として、背の高い方に重たいものを持たせると言う甘えも何だか恥ずかしい。 「もう階段ねえから!」 睨み上げて、藤崎の手をどける。 「9号館ついたらあるだろ」 「いや、って、おい待て!」 持っていた段ボールをあっさり奪われ、変わりに藤崎が持っていたトートバッグを渡される。 「藤崎、マジでいいって!大丈夫だから!」 「はいはい。小さいのは黙ってろ」 ニヤ、と、つり上がる奴の口角。ああ、またからかってきている。 「な、、!!」 カッと頭に血が上った。 一瞬でもお礼を言おうとした自分を、義人は噛み潰して前を歩く藤崎を追う。 「男子おそーい!!門閉まるよー!!」 急げ、と遠くで入山の声がする。 これ見よがしに軽くなった体で颯爽と藤崎の横を走り抜け「お先に!!」と言うと、流石に文句が後ろから聞こえた。

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