20 / 46
第20話「発覚」
(、、、あれ?)
広めの雑貨屋に入った。
少し洋服も置いてある、2階には本も置いてある店で、1階と2階に4人ともバラバラに散らばって商品を眺めている。先程まですぐそこにいた麻子を、いつの間にか見失っていた。
「上か」
店の奥にある階段を上る。手摺りにスルスルと手を滑らせながら、トントンと靴音を立てて木製の階段を上がっていく。蹴上がりには板も何もなく、足を入れると座れそうな階段だ。2階の床が見えて一歩踏み出し、店内を見回そうとしたその瞬間にそれは目に飛び込んで来た。
「え、、?」
固まった。
(何だあれ)
2階の少し奥。それほど背のない棚と棚の間に、2人で何かを見ながら笑い合う藤崎と麻子の姿があった。
距離の近さはまるで恋人同士のようで、時々街中を2人で歩いている時、例えばショーウィンドウのガラスに映った義人と麻子を見たときよりも、様になっていて美しく見える。
「っ、」
胸にズシンと、重みが乗った。何かドス黒いものが、腹の底から喉まで一気に競り上がってくる。
黙ったままぐるりと方向転換して、2人にバレないようにそのまま、また1階へ降りていく。耳の後ろから、ドグドグと血管が切れそうな程激しい血流の音がしていた。
「これ可愛くない?」
「あー、、俺シマウマの方がいいなあ」
「あはは!本当だ何それゆるい!」
微かな会話が義人の耳に届いてしまう。
(きっともう、お互い無理なんだろうけど、、何かそう言うのって、せめて別れた後にする事って言うか、、、逆の事考えられないのかな、される側になること、思い付かないのか)
段々と胸に刺さっていく、苦しさ。
義人の首を締め上げるような会話はまだまだ楽しそうにされていて、それを聞くわけにもいかず、靴音を立てないように降り進む。
(藤崎だって、好きな人いるなら人の彼女にチヤホヤしてていいのかよ、、麻子だってあんな、差別的な、、俺じゃなくて、アイツと、)
恋人でなくても、せめて友達だと思いたかった。誰よりも一緒にいた、隣で笑い合った信用のおける友達だと。しかし義人自身、気が付いている。自分だって麻子の不機嫌を理由に喋りたくないと思っていた。彼女から逃げて何の話し合いもせず、事が終わればいいと思ってしまっている醜い自分が存在していた。
「、、、」
もう男として興味のない義人と、その隣にいる、義人が出会ってきた人間の中で1番魅力を感じる整い切った顔と中身のある性格、優しさを持った藤崎では、興味の対象として雲泥の差ができると言う事。
「佐藤くん」
「わっ、、え?」
階段を降り切ったところで手摺りを掴んだまま突っ立っていた義人に声をかけたのは、同じように2階に上がろうと反対の手摺りを掴みながらこちらを見ている里音だった。
「くう、上?」
「あ、うん。上に、、麻子と、いる」
彼は自分が情けないと思った。
自分ばかりを被害者にする自分に。誰かに気持ちを分かってもらいたくて、かまかけのようにそう言ってしまった事に。
「ふうん」
階段を降り切り、手摺りから手を離した義人は俯いて黙った。
何も、麻子を悪者にしたいわけではない。不機嫌にならずにいてくれるなら、笑い合って今日を楽しく過ごしたかった。
けれど、これからずっとこの状態が続くのはもう心が付いてこない。だったら、お互いもっと自分に合う人を探そう、と別れを切り出そうと考えていたのだ。
そんな矢先に、まだ別れてもいないのに麻子は藤崎の隣を選んだ。あの笑い方を、義人は自分に向かってしてくれる麻子を随分見ていないように思った。そんな残酷な現実が、ドス、と重たく心に乗っかって、中々降りて行ってくれないでいる。
確かに義人は「好き」がどう言うものなのかが分からない。でもいつの日かに麻子が隣にいたあのとき、あの時間は、彼の中で確実に輝いていたのだと今更ながらに自覚した。
「、、、」
(楽しかったんだ、、だから、信じたかったんだ)
向こうもせめて、誠実に、別れるときまで一緒にいようと努めてくれるだろうと。
トン、トン、トン、と里音の履いているヒールの靴が音を立てて離れて行く。
「、、くうはね」
「?」
声のした方に視線を上げると、鋭い里音の視線と絡まった。顔の似ていない双子だが、藤崎がたまにこの目をする事を義人は知っている。
今からきっと、真面目な話をするのだ。
「一途だよ」
「え、、?」
その一言に、何故かドキ、と胸が鳴る。
「付き合ってる子がいる時に、他の子に手を出したりしない。それで人が傷つく事、ちゃんと知ってるから」
「、、うん」
2階と1階の天井の照明が当たらない階段は、手摺りにつけられたクリップライトで足元を照らしている。
「人の彼女取った事なんてない。だから誤解しないで」
少し埃を被った空気は独特な古いものの匂いを纏っていて、この店の少し古ぼけたような雰囲気に似合っていた。「いらっしゃいませ」と1階の入り口付近にあるレジのカウンターの中から、店長らしき初老の男性と話していた若い女性が声を張る。やたらと遠くで聞こえた。
「くうじゃない。麻子ちゃんの方が近づいてきてるんだよ」
何かを見透かして、何かを察して、里音は冷たい視線で義人を責めた。そこでやっと義人は自分の被害妄想に気が付き、ハッとして彼女を見上げる。
「あの、」
藤崎は、義人が思っているよりも苦労が多い。
過去に付き合っていた大切な女性を傷つけた経験に対して、ずっと罪悪感を抱いている。元からの真面目さとその経験から、人との関わりは大切にする人間であり続けようと常に努力している。
里音はずっとそれを見て来た身として、先程義人が言った「麻子といる」が気に食わなかった。明らかに含みのある言い方で大切な兄を汚される事は相手が誰であれ許さない。それが自分にとって初対面の相手なら、容赦なく敵視する。
「ごめん。言い方、悪かった」
義人自身も、冷静に考えれば藤崎が義人の想像していたような「そんな事」をする人間とは思えなかった。藤崎が誠実な人間だと言う事への信頼の方が今は優っている。
「うん。佐藤くんはまだくうの事知らないから、許す」
「、、ぁ」
ふわりと笑ったその顔は、無邪気で柔らかく、まるであのときの藤崎の笑顔にそっくりなそれだった。
(面倒・・・)
隣で笑う女の子に、藤崎はまったく興味がなかった。
「これ可愛くない?」
何の気無しに見ていた2階の陳列棚。見終わった頃に義人に話しかけに行こうと、藤崎は色々な話題の内容を考えていた。
「あー、、俺シマウマの方が良いなあ」
気がついたときには義人ではなく隣に麻子が立っていた。それとなく擦り寄ってくる彼女に違和感を感じ、食事のときから気になっていた視線はこれか、と頭の中で察しがついた。
(完全に乗り換える気だな)
自分自身でも呆れる程に、藤崎はこう言った雰囲気を察しやすい人間だった。
少しでも自分に興味や好意のある人間の匂いを嗅ぎ分ける事に長けている。ランチセットを食べていたときからチラチラとこちらに送られて来ていた麻子の視線に薄々感づいてはいたものの、流石に隣にいる義人の存在に安心していた。まさか、自分の男がいる前で他の男に乗り換えたりはしないだろう、と。
「あはは!本当だ何それゆるい!」
手に取った陳列棚に並んでいた中で1番趣味の悪い目が飛び出たシマウマのキーホルダーを麻子に見せると、思ってもいないような顔をしたまま喜んで声を上げる。
滑稽だった。
藤崎からすれば喉から手が出る程欲しく、羨ましい地位にいる女の子。義人の「恋人」である彼女が、彼氏そっちのけで自分の隣に、まるで「恋人」のような顔をして並んで立っている。
(佐藤くん、2人で出掛けたの久々って言ってたな、、)
普通なら、邪魔してはいけない大切なデートなんじゃないだろうか。
「えー、これ買おうかなぁ」
「、、、」
渡した趣味の悪いシマウマを嬉しそうに見つめる麻子にバレないように、小さく息をついた。
刺激が欲しい、ドキドキが欲しい。そんな安易な考えで、きっと彼女は義人を差し置いて自分の隣にいる。そんな事実がどうにも藤崎を苛立たせていた。
「、、俺下行くね」
「え?」
「佐藤くん探してくる」
本当なら彼女が行くべきだ。こんな場面を義人に目撃されたら、やっと冗談が言い合える程に築き上げた彼からの信頼が崩れてしまう。一つ前の雑貨屋で里音が購入したアクセサリーの入った小さな紙袋を揺らしながら、藤崎は1階への階段へ向かって歩く。
「私も行くー」
キーホルダーを置いて上機嫌な声が後ろをついて来た。
藤崎はぼんやり斉藤の事を思い出していた。滝野に言い過ぎだと怒られる程に、彼女に対してはきつく拒否を示してしまった。それが藤崎の面倒な異性への配慮でもあったが、今度は相手が少し悪い。言い過ぎてわざとらしく泣かれても、言い寄られていたのは自分だとあの優しい義人が理解できるだろうか。
(嫌われたくない)
いつになく義人の前では不器用にしか振る舞えず、自分の格好いいところなんてろくに見せられていない。最近になってやっと少し心を開き始めた義人とのこの関係を拗らせたくもなかった。
麻子から義人を奪いたいならもっと努力が必要だ。
なのに麻子は自分に興味を抱いている。義人と一緒に休日を過ごせるのはとてつもなくラッキーな事で少し舞い上がった自分もいたが、まさかこんな事態になるとは藤崎も予想できていなかった。
「藤崎くんて今彼女さんいるの?」
後ろにいる女は、藤崎のそんな想いは露程も知らず脳天気な声を出している。
いらないのなら、その席を寄越せ。
彼は彼女から顔が見えない事を良い事に、舌打ちしそうな自分を抑えて顔を歪ませていた。
「好きな人はいる」
「佐藤くんの恋人」は、義人の性格から言ってもひとつしか席がない。二股なんてするような人間ではないのだ。なのにその絶対に有り得ない裏切りにあぐらをかいて座り、義人をキープしながら藤崎へ詰め寄る麻子に早々に嫌気が差している。
彼女が義人をフってくれたら、弱った義人に付け込みやすくなるのに。
そんな事まで考えながら、階段を降りる手摺りに手を掛ける。
「、、、」
「佐藤くんの恋人」がいらないのなら、今すぐにでも自分が取って代わるのに。
「、、あれ?」
1階に降りようと一歩、階段を踏む。
藤崎のその目には、階段を降り切った義人と中程まで階段を登って来ている里音の姿が写った。
「くう」
「、、、」
まさか、見たのだろうか。
藤崎の喉が嫌な感触の唾を飲み込み、上下する。まさか、自分と麻子が隣にいる所を義人は見たのだろうか。それを彼は何と思ったのだろうか。
嫌な考えが思考回路を占領して行く。
先程、麻子から投げかけられた質問は、彼の耳にも届いたのだろうか。
「くう」
「、、ん?」
「帰ろ。飽きた」
里音にしては低い声。怒っているのだと察しがついた。そして彼女の視線が、自分ではなく同じように階段の手摺りに手を掛けて降り始めようとしていた麻子を睨みあげていると言う事も瞬時に理解する。
「分かった」
驚く程、藤崎の声が低く冷たく響いた。
「藤崎く、」
「佐藤くん」
後ろから聞こえた麻子の声を遮りながら、1階にいる義人の所まで里音と一緒に下り切る。隣に藤崎が並ぶと、義人は顔を上げて真っ直ぐそちらを見つめた。
「!、、ごめん、りいが飽きたって言うから、帰るね」
藤崎が驚いたのは、その目があまりにも澄んでいたからだ。先程2階で麻子といた現場をもし知らない内に義人が2階まで来ていて覗いたのだとしたら、彼はもっと自分に対して不信を示す目で睨み上げてくると覚悟していたのだ。
「うん、分かった。付き合ってくれてありがとうな。また一緒に行けるときあったら行こ」
「うん」
「里音ちゃんもありがとう。またね」
「うん」
藤崎の隣に里音が並ぶ。
「麻子ちゃん」
「あ、うん」
階段の上を見上げた里音がそこにいる麻子を呼ぶ。何か近づき難い2人の雰囲気に押された彼女は動けずまだ2階にいた。
「ばいばーい」
里音が向けた完璧な笑みに、焦ったように麻子が手を振る。
「佐藤くん」
「ん、じゃあな」
義人はひらひらと手を振った。
ニコ、と笑い掛けた義人の表情を見て安心したように、藤崎も笑い返すと手を振った。
「また学校でね」
「おー、ばいばい」
「ありがとうございましたー」と、遠くでまた店員の声がする。階段を降りて来た麻子と一緒に藤崎達が店を出て行くのを見送ると、義人は彼女へ向き直った。
「夕飯、家で食べるんだっけ?」
「うん、そう」
また、不機嫌に戻ってしまっていた。
久々に真っ直ぐ見つめた彼女は、何処か寂しそうで、つまらなそうで、期待外れと言ったような不貞腐れた顔をしている。
「、、、」
一番近い女友達のような恋人。気の合う、一緒にいて楽な存在。義人は、今初めて気がついた。
それは、彼女を知らないからこそ、知ろうとしていないからこそ思える事ではないのか。
隣に立って藤崎を視線で追っている時の麻子の目は、見た事も無いほど強い、熱を持った視線だった。
「麻子」
久々に呼んだ名前に久々に反応した彼女は、随分長い間一緒にいるような気がしていたのに、何だか知り合ったばかりのように感じられる。
受験期を支え合った友達の内の1人であり、付き合っている相手。けれど、藤崎や入山達と過ごしていたような、その人自身の素の中身を知る時間をお互い持つ事はなかった。
お互いに都合が良かったのだろう。厳しく、寂しい時間を共に過ごす相手として。何も探り合わない、表面上だけ反りの合う恋人。
「ちょっと、喋ろっか」
きっと自分は、彼女が好きではない。きっと彼女も、自分を好きではなかった。あの輝いた時間は本物だったけれど、今藤崎達と過ごす時間はもっともっと光り輝いている。
人に依存する程人といた事がない。親兄弟にも気を遣って生きている。いつも一緒にい続ける相手に出会った事がない。そんな義人が、もしかしたら美術以外の何か大切な事を学べるかもしれない場所に、人に、やっと出会えた。
誰かを目眩しに使って逃げ続けるのはもう終わりなのだと、何処かでやっと腑に落ちた。
「うん」
それを彼女に喋ろう。情けない自分の事を謝ろう。彼女もそうではないのかとちゃんと話し合おう。
グッと、力を込めて拳を握る。今まで感じた事のない緊張感は、人と向き合うという事だった。
ともだちにシェアしよう!