20 / 110
【4】その恋はズレ漫才……⑥
「あはは。世界を変えるだなんて、なんか恥ずかしいですね。青臭いっていうか……全くの世間知らずですよね。本当のことを言えば、実際に働くまで業界のことはほとんど知らなくて……就活でコンサル系ファームに受かったらカッコいいかなとか、その後、転職しても潰しが利くかなと思ったりしてました。でも、今はこの仕事が好きです。誇りを持ってやってますし、世の中の全てのものに価値 を出したいと思っています」
鰻屋が伝統のタレを守るのも、お笑い芸人が新しいギャグを考えるのも、パイロットが安全に飛行機を操縦するのもバリューだ。
仕事だけではない。
人の笑顔や愛情にもバリューがある。そして、全てのものや存在は誰かのバリューに成り得る。
そこには利益や利害といった意味だけではなく、数字には表せない幸せが含まれている。
人を幸せにしたい。人を笑顔にしたい。
それは子どもの頃からずっと陽向の心の中にある言葉だった。
だから、今回の案件も完璧にこなしたい。誰かの役に立ちたかった。
「青いとは思わない。コンサルは派手に見えて実のところ裏方業だ。クライアントの幸せのために陰で懸命に働く。人に尽くしてなんぼの世界だ。そこに喜びを感じられないなら、仕事ができても寂しいと思うだけだ。実際に喜びを感じられる瞬間は一パーセントにも満たないからな」
「そうですね」
「だから入中はこの仕事に向いていると思う。いつもふわふわしていて、少し無分別だが、人のために何かやろうという気概は誰よりもある。あのピヨたん音頭もそうだった」
「はい……」
「入中が幸せにしたい人とは誰だ?」
「それは――」
ふと祖母の顔が浮かぶ。両親と姉と友人の顔も浮かんだ。
祖母のことは今まで誰にも話してこなかったが、なぜか周防にだけ話してみようと思った。その気持ちの変化は自分でも不思議だったが、迷いや戸惑いはなかった。
陽向は祖母の話を周防にした。これまでのことや、もう亡くなってしまったこと、夢を叶えてあげられなかったことも素直に話した。周防は静かに聞いてくれた。それがとても嬉しかった。
「あの立派な鞄は、おばあ様のプレゼントだったんだな。最初に見た時、銀行強盗かと思ったが、理由を聞いて分かった。入中が長く使えるように考えてプレゼントしてくれたんだな。いいおばあ様だ」
「そうみたいです」
鞄のことなんかよく知ってるなと思った。
この頃、頻繁に目が合うのは、周防が陽向のことを見ているからだろうか。頼りないアソシエイトを憐れんでいるのかもしれないが、それでも嬉しい。気に掛けてもらえるのは素直に嬉しかった。
「周防さんのご家族は?」
「ああ。俺も入中と同じで親とは長く離れて暮らしている。母親は違うが年の離れた弟と妹がいる。父親が再婚してできた兄弟だ。二人とも素直でとても可愛い」
「ああ、なるほど。だから面倒見がいいんですね。周防さんがお母さんぽいのは、そのせいかもしれませんね」
これまできっと年の離れた弟と妹を猫可愛がりしてきたんだろう。容易に想像ができた。
「お母さん……か」
「あ、すみません。悪口じゃないんで。そのいい意味で母性に溢れているなと」
「そうか」
ほんの少しだけ周防の表情が揺らいだ気がした。
突然、テーブルの上にあった周防のスマホが鳴った。周防が通話に出る。口調から仕事の電話だと分かった。パソコンを確認する必要があるのか、周防は奥の部屋に向かった。
しばらくしてもダイニングに戻ってこなかった。
ハイランドの社内推進役とのやり取りだとすれば長くなりそうだ。
食事を終えた陽向は何気なくリビングへ向かった。グレーのソファーの上に少し大きめのピヨたんが座っていた。抱き心地がよさそうな大きさだが、いつもと印象が違う。不思議に思って見ると、首に青いチェックのネクタイが巻かれていた。
――あれ? 俺のと同じだ。
なんとなく気になったが、よく似合っていたのでそのままにした。
部屋の中央に置かれた波型のガラステーブルを見るとノートが数冊重ねられていた。
コンサルにとってノートは必需品だ。
コンサルタントは常にパソコンを弄っているようなイメージがあるかもしれないが、プロジェクトに入る時、必ずするのがノートにこれからの内容を纏めることだ。誰に見せるわけでもないので字は汚くても構わない。そこで頭の中にある知識と発想、これから何をアクションするべきかを纏める。言わば一番最初のアウトプットだ。
周防のノートはどれも使い込まれていた。
それを横に片付けようとした時、隙間から一枚の紙切れが落ちた。なんだろうと思って拾ってみると綺麗な文字で詩のようなものが書かれていた。何気なく読んでみる。
ともだちにシェアしよう!