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第18話

 ショックも度が過ぎると価値観がいろいろと変わってくるものだ。  いくら高貴な血が流れていてひとに(かしず)かれる立場であったとしても、一日に三度も殺されかけるような皇太子でいるなら、中学生の女の子よりも弱くて馬鹿でも平凡な自分ままのほうがなんぼもいい。この世界に来てからそう考えを改めた宝だった。  皇太子の役なんて、早く終わらせたい。  それに――。 (イアンには嘘をつきたくないないな……)  宝は溜息をついた。  仕事とはいえこんな自分に、彼はよくつくしてくれる。しかもロカイの部屋では命をかけて守る、と云ってくれたのだ。そこでふと自分が思い違いをしていることに気づいて、宝は首を振った。 (くれた、ってそんなおこがましい)  ロカイの部屋で見たイアンの騎士としての気概と、そして宝のことを守ると云った頼もしい彼に宝は胸を高鳴らせていた。すっかり自分に云ってもらったような気持ちになっていたが――。 (あれは俺が本物のギアメンツだって思っているから云ってくれた言葉だ)  はき違えてはいけないのだ。すべて自分の勘違いだ。彼は宝のことを皇太子だと思っているから、相手にしてくれているだけなのだ。  しかもただ嘘をつくだけでも心苦しいのに、自分なんかのために彼に命をかけさせようと云うのか? もしそれでイアンになにかあったら、自分はどう彼に償えばいいのだ。 「はぁ……」  ロカイには悪いが、いっそイアンにすべてを暴露してしまおうか。それともそんなことをしてしまえば約束を(たが)えたことになり、元の世界に帰ることができなくなったりするのだろうか。この国の危機も救えなくなる?    (明日プラウダに相談してみようかな?)  よしそうしよう、と決心して顔をあげた宝は、予備の毛布を手にしてカウチに移動したイアンに気づいて彼を呼び止めた。  宝はイアンに勧められるままに部屋にひとつしかないベッドに腰をかけている。 「あの、お、僕がそっちに寝るからイアンがベッドに寝て」  そう云って宝がベッドから腰をあげると、イアンは何を云っているんだとでもいうような顔をした。 「ベッドがあるのに皇太子をカウチに寝かすなんてことはあり得ません。あなたは今夜はそこで寝て下さい」 「あ、じゃあ一緒にベッドで寝よう。このベッドは大きいし、それに男同士だから平気だろ?」  またもやイアンがさっきと同じ顔をする。 (俺の云ったことおかしかったかな? そっか。成人男子なら、女の子と寝るほうが当たりまえなのか?)  男同士なんて気色悪いのだろう。でもしかし。 「そうじゃないと、気になって僕、きっと眠れないから……。あの。お、お願いします」 「……わかりました」 (よかった)  宝がベッドの端によると、イアンが入ってきた。 (あ、そっか。俺が皇太子だからか……)  さっきロカイの部屋でイアンの話を聞いているうちに、騎士である彼がどれだけ皇太子に忠実であろうとするのかがよくわかった。いまも宝のことを皇太子だと思っているから、お願いを聞いてくれたのだ。  宝の胸がずきりと痛む。 「『僕』に戻ったんですね」 「あ、えっと。はい。いろいろ記憶がとっちらかっていて。さっき思いだしました」 「昼間はそんなに危ない目にあったんですか? 今夜首を絞められて井戸に落ちたときよりも?」  イアンが身体ごとこっちを向いてやさしい眼差しを向けてくれる。労りの言葉を贈られて、宝はいっきに気が緩んでしまった。じわりと目に滲んだ涙はあっという間に大きな粒になって、頬を伝い落ちていく。 「ギアメンツさま?」  ずっと冷静沈着だったイアンが慌てたようすで、名を呼んだ。 「こ、こわかった。見たこともない大きな剣とか、ボウガンとかで狙われて……。そ、それに結城と晶もむちゃくちゃだし……」  ひとを傷つけるために作られた武器を見ることも、目のまえで(あらそ)われることも、とても怖かったのだ。  昨日のギアメンツの大きな怪我だって、今夜、井戸のまえで倒れてた男の流した血の匂いだって――。  たどたどしくではあったが、宝は昼にあった出来事をイアンに聞いてもらった。逞しい彼女たちを見ていると、自分がとてもちっぽけで嫌になってくることも。怖かったことも悔しかったことも、気持ちを含めてすべてをだ。  自分はいつも怖がっていて、なにもできない。むしろ誰かの足を引っ張っている。こんな自分なんていなければ、いい。 (俺ってなんの価値があるんだろう。きっとギアメンツとは全然違うんだ。それなのにこんなヘタレな俺を、皇太子だと思って忠実であろうとしてくれている) 「ご、ごめんなさいぃ」  宝はイアンの胸に手をかけると、深く頭を下げた。そのまま項垂れると、宝の涙が彼の膝にぼたぼたと落ちていく。  ふいにイアンの手が肩に置かれて、宝は涙に濡れた顔をあげた。そこから彼のぬくもりが伝わってくると、なぜだかわからないがいっそう涙は止まらなくなる。 「ギア……」  そっと抱き寄せられると、宝は彼の胸に顔を埋めた。  彼の胸のなかに納まるのはこれで三度目だ。井戸の中と部屋に運んでもらったときにも、宝はここに身を預けたが、そのときなぜだかとても懐かしく、そしてせつない気持ちになった。それはほんの一瞬のことだったので、宝はすぐに忘れてしまっていたのだけども……。  イアンの胸のなかは、いまはもうすっかり宝にとってとても安心できる場所になっていたし、同時にとても不思議な甘い気持ちになれる場所だった。  やさしく慰められてどきどきしてくる。しかし多くをつらい気持ちに占められていた宝は、イアンにときめいている自分の、異常な感情には気づかないでいた。 「それにしても彼女たちはすごいですね。自分の目で確かめたわけではありませんが、きっと私なんかよりも――」 「ちがう! イアンのほうがすごいよ! かっこいいし、それに男だし!」 「……え?」  一般的に『女であるのに強い』というほうがすごいのだが、しかし宝はいろいろと(こじ)らしている。だから失念していた。はたしてイアンにとって最後のひとことは余分であっただろう。  宝は彼が垣間見せた複雑な表情の意味が分からない。首を傾げつつも、それでも気持ちを伝えたくて云い(つの)った。

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