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第3話

(だからこんな奴らは放っておけばいいんだ。余計な世話なんだっつうの)  終わったことをほじくり出して、ますます鬱憤を募らせていく恭介だった。  しかし責められている当事者である少年はなに食わぬ顔をしていて、派手な染色のわりは痛んだようすのない髪をひと撫ですると、肩を竦めている。  生徒手帳をだせと手を伸ばした落合に、彼はついに観念したようだ。「はぁ。チョウメイィ」と溜息を吐きながら呟き、ごそごそと鞄のなかをあさりだした。 「ったく。俺、朝はチョー忙しいんだよ? 子どもたち起こして、飯食わせて、洗い物して。そのあとも持ちのチェックしてやって、保育園まで連れて行って。『せんせい、ウチの子よろしくお願いします』ってぺこぺこ頭さげてさぁ、気ぃつかって。はぁ、疲れた、疲れた」  それでも軽口を叩くあたり、彼は相当(したた)かだった。  身長が百六十センチに満たなさそうな華奢な少年に、いい歳をした教師が足を引っ張られるのを見ていると、心なしか胸が()いてくる。だから恭介は教室に向かうのをやめて、暫く彼らを見ていることにした。 「夜遊び? そりゃするよ。大人はね、子どもが寝たあとじゃないと自由なんてないのさ」 (誰が大人だ、誰が。お前なんて子ザルだ。チョロキューだ……)  作り話をよどみなく話す彼に、どこの主婦だと恭介は突っこみたくなった。すると我慢できなかったらしい落合が、自分の代わりに突っこんでくれる。 「お前そりゃ、いったいどこの主婦だ」 「だいたい『起こされて』って云うけどさ、どうせ先生なんて親かお嫁さんに起こしてもらってんでしょ? 『新ちゃん朝ごはんできたわよー』って出されてものを食べるだけだとか、『新ちゃんハンカチ持ちまちたかぁ?』って、持ち物の世話までやいてもらったりとか? そんな甘ったれに、な・ん・で・俺が説教されないといけないんだ?」 「ぐっ」  まくし立てられた内容のなかに事実が紛れていようだ。図星を突かれたらしい落合が、胸を押さえて呻いていた。 (こいつ新ちゃんって云うのか。しかも親と同居。ってかふつう、教師のそんなことまで知ってるもん?) 「つ、つべこべ云うなよ。急いでいるならさっさと手帳!」 「はい。どうぞ」  ベシッと落合の手に彼の手帳が載せられると、それはそのまま先ほどのノートとともに恭介のところに回ってきた。 「悪い、宮内。それも記入しといて」 「わかりました」  手帳の名まえの欄には、上条奈緒紀(なおき)と書いてあった。  ――なおき。一年か。 (それにしてもやかましいやつだな。黙っていればかわいいのに)  そう思った恭介は、どきっとした。  男相手にかわいいとかって……、俺、なに考えているんだ。  彼を見なおして恭介は、ああと思った。彼の雰囲気がすこし幼いからだ、きっと。だから子どもがかわいいと思うのと同列に、そう思ってしまったのだろう。  すぐにそう納得した恭介は、彼に対して思った気持ちをそのときはとりとめて気にすることはなかった。  小さなヤンキーと教師の話はまだ続きそうだ。授業まであと七分。 「はぁ。先生。『俺は朝は忙しいんだっ』とか云ってさ、なんもせずに家出てきてたらダメだよ? そしたら帰宅したら奥さんが出ていっちゃってたりするよ? 刺されちゃうよ? 死にたくなかったら、ちゃんと家の手伝いしなね?」 「はいはい、わかりました。って、なんで俺が説教されとるんだ。俺がいまからお前を説教――」 「落合先生。はい、これ記入終わりました」  「あ、ああ。サンキュ」  なんとなく気が向いたのだ。恭介は自分の気分を浮上させてくれた彼に、助け船を出してやることにした。 「始業まであと五分ですよ。そいつ、早く解放してあげたほうがいいんじゃないですか? さっきテストだって云っていましたよね?」 「あ、あぁあ。そうか。じゃあ仕方ないな」  恭介の言葉に、落合は我に返ったようにはっとした顔をして腕時計をみた。 「やっとわかってくれた?」 「なに云ってんだ……、まったくお前もう。ほら、行けよ。テストがんばれな。宮内も遅くまでありがとうな」  シッシッと犬を追い払うよう解放された子ザルと恭介は、落合と別れるとそのあといっしょに昇降口に向かうことになった。  気まずいような気もするが、仕方ない。恭介は彼を観察するのにもちょうどいいかと、彼のすこし後ろを歩くことにした。 「そうだよ、そうだよ。俺テストだよ。暗唱テストだよ」 「って、方丈記?」  歌うように云った彼に話かけてみると、振り返った彼は恭介の顔をじっと見てきた。  ド派手な髪とピアスばかりに目がいっていてまったく気がついてなかったが、よくよく見れば彼は透明感がある大きな瞳をしていて、血色のいいピンク色の薄い唇もちょっとそこらにはないくらいに魅力的だった。 「あー。うん」  そして彼はふいに相好を崩す。 「さっきね、助けてくれてありがとね。あいつ、話はじめると長いからさ」 「それはお前が話を雑ぜっ返すからだろ?」 「ははは。かも? でも暗唱あるからマジ急いでたんだって。はぁ。でも、もう無理だな。復習しときたかったのに」 「武田先生か? テストって、休み時間か放課後に再チャレンジすればいいヤツだろ?」 「うん。でも順番待ちが長いのよ。俺、ほんとにいろいろと忙しいの。今日だってはやく学校でないとダメなのにさぁ……」  昇降口までは、まだ距離があった。  口を尖らせて歩いている彼の用事なんて、どうせ遊びかデート程度のものだろう。馬鹿らしい。そう思いつつも恭介は去年の記憶を手繰り寄せると、彼に向けて口を開いた。  彼に鴨長明の方丈記の有名な一節を聞かせてやるために――。

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