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第5話
それだけ告げると神田はしつこく絡んでくることもなく、すぐに恭介のまえから立ち去っていく。彼は次に道路の脇で集まっている女の子たちのところへ向かうようだ。
さっきから彼女たちが出す大声に恭介は辟易していたのだ。タバコが欲しくなったのはそのせいでもあった。
できるなら神田に追い払ってもらいたいくらいだ。今日はもうこれ以上女の高い声が耳にはいってくるのはごめんだった。
今夜は一般家庭が夕飯を終えるような時間に帰宅した母親と、ひさしぶりに家に帰ってきた父親とがリビングでばったりでくわした。
そうしたらその数秒後にはもう夫婦喧嘩の勃発だ。
数日振りの息子にはひとことの声すらかけることもしないくせに、睨みあった夫婦は互いには出し惜しみせずに多くの言葉を浴びせあう。
家は集合住宅地に建っている。おそらくケンカの内容までもが近所に筒抜けだろう。
とにかく家のなかがうるさかったのだ。それが煩わしくて、恭介は家を出てきていた。
それなのに……。
母の金切り声も酷かったが、女三人寄れば姦しいとはよく云ったものだ。屯している女の子たちは七人もいて、なにが楽しいのか興奮ぎみにキャーキャーと喚き散らしている。
(あぁ、タバコ吸いたい……。あいつらホントうるさすぎ)
「おーいっ。そこ。女子の一軍! オマワリ来たら面倒だから今日はもう帰れ」
(うっそ、アイツまじあのバカ女たち追い払ってくれんの⁉)
恭介は嬉々としてそちらに目をむけた。
「えぇ。ヤダっ。だっていまマサキさんが来たところなんだもん」
「そうだよ。このあとシノザキさんもくるって云ってたし!」
神田はきゃんきゃん云い返してくる女どもの言葉を、ひととおり聞いてやっていた。
「で、こんにちわって話かけに行って、マサキさんたちにこいつらバカな女だなって嫌われるんか?」
「やっ、ひっどい。だれがバカよ」
「嫌われちゃうかな?」
彼女たちが口々に云う。
「好きなシノさんやマサキさんに迷惑かけるんだぞ? 気の利かないバカ女認定されてお前ら、もう終わるな」
「なによっ。偉そうに。あんただれよ? なんであんたなんかにそんなふうに云われなきゃなんないのよ?」
「いやいや。俺けっこう偉いかもよ? 学校名聞く? それにあのふたりは更に賢いだろ。大学名聞いてる? ここに集まるやつ、偏差値低い奴らいないからな。せいぜい性格だけでもかわいくしといたほうがいいぞ」
「ぶぅーぶぅー。こいつむかつくぅ」
「うぅ。でも云い返せない。うちらアホだもん」
「あははっ。自分で云っちゃう?」
「マサキさんたち、最近日曜なら明るいうちに来てるから出直せよ」
「うん。そうするー。あのひとたちにうちらのことアピッといてね」
「おぅ! かわいいファンがいましたよって云っといてやるな」
「めちゃくちゃかわいいだよ! ありがとー。ばいばい!」
女の子たちが機嫌よく帰って行くのをみて、様子を窺っていた恭介は舌を巻いた。
(あいつけっこう有能かもな。って、あれ?)
つぎに神田の行くほうを目で追っていた恭介は、そこに驚きの人物を見つける。
客から預かった車や、廃車があちこちに停められている敷地の入り口に、ちょっとまえに入ってきたのがマサキのレクサスだ。さっきまで車内に籠って姿を見せていなかった彼が、いつのまにか外にいた。
そしてその光沢のあるボディーに寄りかかる彼の足もとに、なんとあの奈緒紀がちょこんと座っていたのだ。
「まじか……」
彼の黄色い頭は暗い外でもよく目立っていた。彼がときおりはしゃいだ声をあげているのは、マサキのもとに挨拶に訪れる男たちにからかわれているからだ。
ここでマサキと面識のある人物は、仲間内で一目置かれる存在だ。
上条奈緒紀。
彼はいったいなんなのだ。
あの風紀当番の日、彼と落合の様子を眺めていたみたいにして、恭介はこの夜もまた暫く彼のことを眺めることになる。
そうしているうちに、彼らのもとにシノザキが街乗り用に気に入って乗っている愛車、ニンジャ250Rで滑りこんできた。
彼はレクサスの隣にバイクを停めると、マサキとひとことふたこと言葉を交わしていたが、そこにいたひとりがいきなり恭介のことを指さした。注視しいていたのがばれたのだろうか。
彼らと恭介は三十メートルは離れていたが、それなのに気づかれるなんて、自分はそんなにあからさまな視線を送っていたのだろうかと気まずく思う。
ところがぎこちなく顔を逸らした恭介のところに、ザッザッと砂利を踏み鳴らして彼らたちがやってきた。シノザキに羽交い絞めにされていた奈緒紀も一緒だ。その雰囲気からして、どうやら見ていたことがバレたわけではなく、彼らは自分に用があるらしい。
奈緒紀とは一瞬だけ目があったが、彼は恭介に気づいたふうもなくシノザキの腕のなかでぎゃいぎゃい喚いている。
「おっす、恭介。お前自動二輪とったか?」
「いや、まだです……」
恭介が従兄に免許とジクサーを借りて乗りまわしていることは、以前、シノサキには知られていた。
そのときに彼は自分にうるさく云ったりはしなかったが、ただマサキにバレるまえにさっさと取得して来い、とだけは云われていた。恭介はまだシノザキとの約束は果たせていない。
そしていま自分のまえに立つ彼のとなりには、腕を組んで眉を吊りあげたマサキがいる。
「あー……。やばいかな、俺?」
「だな。お前バカ正直?」
クスッといい顔で笑ったシノザキは、マサキに顎をしゃくってみせた。
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