13 / 38

第7話

 奈緒紀が話しているのは、今日彼がなぜ三年の教室のある棟にいたかという事情だ。  奈緒紀が神田と面識があったことがなぜか癪に障る。恭介は英字を連ねる手を休めずに云った。 「なにが暇じゃないんだよ。いまもそこでごろごろしてるだけじゃないか?」 「先輩わかってないな。俺が先輩の部屋でごろごろしているのって、すっごい貴重な時間なの。限りある人生の俺の大切な時間に、十代で遊びまくったねぇちゃんの何度目だかわかんない恋愛の手伝いなんてしてらんないよ」 「いいじゃないか。うまくいけばあんなかわいい巨乳が、お前の義姉さんになってくれるかもしれないんだぞ?」 「あー、やだやだ、先輩本気で云っているの? あそこらへんのねぇちゃんたち、みんなシングルの子持ちだよ? 知らなかったんなら気をつけなね。うかっかり寝ちゃうとあんた他所(よそ)の子『よろしく!』って押しつけられちゃうよ? てか、あのひとが義姉ちゃんになるんだったら、俺、兄ちゃんと別の意味でも兄弟になっちゃう」  そんなの困っちゃうと呟いた奈緒紀に、恭介のシャーペンを握る手がぴたりと止まった。 (それってコイツ、あのみっちゃんって女とやったってことか?)  こいつもう童貞捨てていたのか、と思わず耳を疑ってしまった恭介だったが、しかし奈緒紀の素行や身なりを見ているかぎり、彼はどう見てもヤンキーだ。それもそうかとすぐに思いなおす。 「あー、えっと。マコとかチハルとかいう子たちのグループ知ってるか? ……あの子たちって、どう?」 「あぁ。……先輩、あそこらへんの誰かと寝たんだ? ねぇねぇ、だれと?」  ベッドの奈緒紀を見ないようにして、恭介はさりげなく訊いてみた。しかし「あぁ」と呟いたあとの奈緒紀は直球だ。嫌々ながらも振り返ってみると案の定、彼はにやにやしてこちらを見ていた。 (くっそ) 「あそこらへんはねぇ。子持ちは誰もいないけど、あそこに来る子のなかではレベル低いほうでしょ? だれも相手にしてないと思ってたけど、そっかぁ。先輩、しちゃったかぁ」  しみじみと云われて、胸にグサッときた。だれも手をつけないような粗末なものを手を出したのか、と卑下された気分だ。  でもそれはむしろ恭介自身が思っていたことなので、余計に胸に刺さったのだ。胸の(うち)で、自分でもどうかと思っていたさ、と呟いた。それにやったといっても、たった一度だけだ、と。  恭介の教師陣に誉たかい品行方正な態度は、あくまでも学校内だけのものだった。  恭介はすくすく伸びた体躯に見合うべく、思春期の情動を誤魔化すことはなくよく遊んでいたし、むしろクラスメイトの誰よりも発散しているほうなのかもしれない。  ただしあとさきのことを考えて、学校の女生徒には一切手をつけたことはなかった。  恭介は大学生と偽っても充分に通る体格を利用して、大抵は夜の繁華街などで知り合った年上の女性と適当に遊んでいた。  板金屋であったチハルは、たしかに恭介もまずいタイプだと思ったのだ。しかしその日は家のことでとてもむしゃくしゃしていた。そこにあのチハルって女がしつこく絡んできたので、恭介はイライラが最高潮に達したのだ。  だから誘われるままに彼女の部屋にあがり、八つ当たり気分で半ば乱暴にチハルを抱いたのだ。チハルとは本当に一度だけの関係だ。彼女も自分のことを見限ったのか、あれから目すら合わせてこない。  奈緒紀に図星を指されてぐっと言葉に詰まっていた恭介は、「レベル低いとか、お前が云うな」とぼやいて、ふたたびノートに向かった。 「ちっがうよ。リンリ観とかそういうのだよ。ああいう子たちって他所で避妊に失敗してきといて『あなたの子だから責任とって』とか平気で云ってくるよ? まだまだみっちゃんたちのほうがマシかな。とりあえずはがんばって子育てしてるもん」 「お前、やけに詳しいな」 「情報化世界ってやつだよ。今は情報が大切なんだよ?」 「それを云うなら情報化社会な」 「そう、それ」  恭介は聞きなれない単語に、なんだそりゃともういちど奈緒紀を振り返えった。  恭介のベッドのうえで雑誌を捲っていた奈緒紀は、眠そうに目を擦っている。続けて「ふわあぁ」と欠伸をした彼の目じりに、涙が浮いてまつ毛に引っかかる。  奈緒紀は言葉を間違うことが多かったが、頭の回転がとてもはやい。だからぽんぽんよくしゃべる。  本人に確かめてはいないが、もしかしたら学校の成績もいいほうなのかもしれない。なにしろ恭介たちの通う高校は、地元の県立のなかでも上位のほうだ。  それに先日の試験会場で、彼は本当に自動二輪の筆記試験を一発で合格していた。  奈緒紀は、意外にも金髪ピアスの見てくれを裏切る能力を持っていたのだ。

ともだちにシェアしよう!