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第8話
それでもまあ、学科については恭介が出題傾向から引きだした要点を、そのちいさい頭に叩き入れてやったので、合格しても当然だったかもしれないのだが……。
ただ恭介は学科の面倒は見てやれても技能まではどうしてやることもできなかった。だから当日はどうなることかと心配していたのだ。ところが筆記のあとに行われた技能試験のほうも、彼は難なくこなしてしまった。
そもそもこのちっちゃい少年にバイクが起こせるのだろうかと疑っていたくらいだったので、奈緒紀が恭介の予想をはるかに上回るテクニックでコースを走行したときには、ひどく驚かされた。
恭介はバイクを下りた奈緒紀が試験監督のもとから帰ってきたとき、思わずジャケットを脱いだ彼の細い腕を凝視してしまった。奈緒紀はぱっとみは少女のような顔をしているくせに、その二の腕にはうっすらときれいな筋肉をつけていた。
いったい奈緒紀はどこでバイクの練習をしていたのだろうか。そう思って恭介は訊いたみたのだ。
「あの板金工場、町田くんの工場なの。ほら、ときたま事務所開けてるヒゲのにいちゃんいるでしょ? 先輩は見たことない? あのひと龍巳 くんと幼馴染なんだって」
「たつみってだれだよ?」
奈緒紀はよく、自分の知り合いのことはみんなも知っている、という思いこみで話す。てっきりそのときもそうかと思ったのだが、違った。
「先輩このあいだしゃべってたでしょ? 篠崎龍巳くん」
「おまえ、あのひとのフルネームまで知ってんのか? 幹部候補くらいしか知らないって聞いたことがあるぞ」
「あははは。そんな族やヤッちゃんの構成みたいにいうと、龍巳くんイヤぁな顔するよ。まきちゃんが口うるさいからチーム化っぽくなってるけど、スタイルはあくまでもフリーなんだって。あ、まきちゃんって、マサキって呼ばれているひとね」
「お前、やけにあのひとらと親しいんだな」
あそこに集まるバイク好きたちの憧れを一心に受けるシノザキと懇意だなんて、こいつもさぞかし得意満面だろう。
「龍巳くんは兄ちゃんと友だちなんだって。だから俺のことも構ってくれてるんだよ。ただそれだけ」
奈緒紀がとくになんでもないよ、というニュアンスで話をくくったのは、恭介の心の裡を見透かしたからだろうか。
「でさ、あの敷地広いでしょ? 町田くんが使っていいって云ってくれたから、俺ずっとあそこで練習してたの。顔出しに来たひとたちも、時間があったらつきあってくれちゃったりしてさ」
みんないいひと、と呟いた奈緒紀はうれしそうな顔をしていた。そりゃあれだけのメンツにかわいがられ、手取り足取り教えてもらっていたのならば、自信も生まれるだろう。
奈緒紀は自由奔放にしているだけで、周囲にちやほやされているのだ。そのうえ甘やかしてくれる彼らのうえに胡坐をかいて、なおかつ甘い汁を吸いまくっている。
恭介は些か不愉快な気持ちにさせられた。
そう考えるのは自分だけなのだろうか。ひとり、いやふたりくらいは自分と同じように、奈緒紀にやっかみの気持ちを持っているものがいても、おかしくないのではないか。
どんなに自分の容姿と成績がいいと自負していても、恭介はちゃんと己の性格の悪さや、度量の狭さは自覚していた。恭介にはだれかを甘やかすなんていう、余裕なんてない。
「でもさ、学科は正直ヤバいと思っていたんだ。先輩、教えてくれてありがとうね」
――奈緒紀を甘やかすひとたちは、よっぽど懐が深いのだろう。そんなことを考えていた恭介の脳裏に、あの夜板金屋の広場で「ありがとうね」と、魅力的に笑った奈緒紀の顔が蘇った。
――チョウメイ一発合格、助かったよ。
恭介はマサキとの約束は果たした。
だからそこで奈緒紀とのつきあいを終えてもよかったのだ。
しかし当日交付された免許証を手にして、うれしそうにしていた奈緒紀にまんざらでもなかった恭介は、そのあともこうして彼が家に来るたびに部屋に招き入れてやっていた。
それにしても奈緒紀がやってくるのは、いつも深夜だ。
恭介の家は父親が転勤しているので滅多に帰ってくることはない。母親もバリバリのキャリアウーマンで仕事に明け暮れる毎日だ。彼女は遅くに帰ってきては自分のことで精一杯にしている。
だから奈緒紀が遅い時間に家にやって来ようが、早朝出ていこうがこの家には咎めるものはいなかった。
じゃあ、こいつの家族はどうなんだろう。
黄色い頭に、深夜の徘徊。彼の兄もホストクラブで働いているそうだが、奈緒紀の親は子どもたちを叱らないのだろうか。
よその家庭の事情だから奈緒紀に問うことはしないが、彼の家 はえらく放任の親なのか、それとも環境が悪く子どもが放置されているのだろうか。恭介はここのところよく奈緒紀のことで首を捻っている。
「奈緒紀? ……寝たのか?」
ついましがたまで目を擦っていた奈緒紀が、いまはもうすぅすぅと静かな寝息を立てていた。
「またかよ……」
彼がここに通いだしてから、なんどもこんなことがあるのだ。
またしても、自分のベッドで寝てしまった奈緒紀を上掛け布団の中に収めてやるべく、恭介は溜息をひとつ吐くと椅子から立ちあがった。
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