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第1話
煙草の匂いは、初恋を思い出す。
苦い色香をまとったあの人を。
*
「おいこら、仁志」
鍵をかけた科学室で煙草をふかしていると、入ってきた担任の白崎にそういわれた。
つい、ドキッとして手から煙草を落としそうになる。
どうして白崎がこんな場所に。
「お前か、ここで煙草吸ってたの」
「……すみません」
顔を伏せて形だけ謝り、火をステンレスのシンクに押し付けて消した。
白崎は深くため息をつく。
「今時、煙草ふかすなんて不良もやらないぞ。贅沢ものめ」
何となく的外れな指摘をしながらこっちへ来る。
冴えないジャージ姿。二十八には見えない老けた印象の無精髭。脂で曇った眼鏡。ネコ毛の髪はセットもされていないらしく、ボサボサだ。上背だけはあり、猫背で分かりにくいが一八〇はある。
仁志のすぐ隣まで来て、白崎はズボンのポケットから煙草とマッチを出した。
「後で反省文だからな」
そう言いながら白崎も禁煙であるはずの教室で火をつける。
「……なあ、俺が言うのもなんだけど、学校で吸っていいのかよ」
「は? いいわけないだろ。教頭に見つかったらうるさくてかなわない」
「それなら」
チクられるとか考えないのだろうか。わざわざそれを仁志の口から言うのは馬鹿馬鹿しく、不自然に黙ると、白崎がマッチで煙草に火をつけながら鼻で笑った。
「ここが煙草臭かろうと、反省文を書くのはお前だ。誰も俺が吸ったとは思わねえさ。ましてや、俺に反省文を書かされたお前の話なら尚更だ」
堂々と罪を擦り付けてくる担任の顔を初めてまじまじと見た。
今までは鈍臭いイメージしかなく、間抜けな顔だと思っていたが、煙草の煙を燻らすその横顔はいかにも狡猾そうで、蛇のような目をしている。冷え切った目だ。
担任だが今までそれほどの接点などなかった。
いや、接点を持つことをずっと、避けてきた。間抜けな顔、鈍臭いと揶揄して目で追いかけそうになる自分を抑え込んでいた。
白崎がこっちを見た。音がするほどはっきりと目が合う。
ずっとまともに見ることを避けていた白崎の目。途端に背筋を蛇になめられたかのようにぞわっと震えた。だが感じたのは寒気ではないもっと他のものだった。
「物欲しげに見るなよ」
形のいい、少し皮がむけた唇がそう低く囁く。
胸の中で何かが高鳴り始めた。
「煙草なんていいもんじゃねえだろ」
白い煙がうっすらと自分と白崎の間に膜を張って。
苦い奥に甘さのようなものを感じ腹の奥がぞくぞくとした。
いいもんじゃないと言いながら煙草をうまそうに吸うその男に仁志は何とか背を向け、そのまま逃げるように科学室を出た。男子便所に駆け込む。個室に入ってベルトを外し、ジッパーを下げた。
下着を押し上げていた性器が少し楽になる。そのまま、用を足す時と同様に便器に向かって右手で構えてしごいた。感じなれた甘美な痺れが体を震わせる。あっという間に勃起した。そして、ややもしないうちにパッと白いものが飛び出し、便器を汚した。
「……最悪」
解放感と自責の念が交互に顔を出して仁志を苛んだ。
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