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第1話

この国に平和が訪れて、もう随分と月日が流れた。 終戦記念を迎えた今日、大通りでは連日のようにパレードが開催されていた。着飾った何万という人々が集い、まるでお祭りのように盛大に賑わっている。 戦争の爪痕も次第に姿を眩ませ、あちらこちらに建てられたモニュメントだけがいやに事態を物語っていた。国のために戦い、散っていった何百万もの戦死者を追悼、賛美するためにと造られたそれは、人々を癒すことも戒めることもせず、ただ凝然と立ち尽くし、嘲笑うかのようにこの国の行く末を見守っている。 ポケットから綻びだらけの古びた腕章を取り出した。指の親腹でそっと優しく撫で下ろす。それは、忘れもしない、懐かしい友のものだった。 『敵前方より三機!』 ノイズのうるさい声がする。ウィルは通信機から聞こえてくる力強い声を聞きながら、エンジンの最終調整を行っていた。焦りが伺えるその声色に、一度は心の奥底に沈めたはずの不安が再び呼び起こされる。手元の小刻みな震えを抑えることができなかった。 コックピットでは今か今かと痺れを切らしたエースパイロットが、操縦桿にもたれかかり、固い備蓄パンに噛み付きながら外の様子を伺っている。悠然たる面持ちからは気怠ささえ感じられた。 『もうもたねえ!レイまだか!』 壁に取り付けられた通信機から発せられる荒々しい咆哮がトタン屋根に響く。たった今調整を終えたばかりのウィルが、困惑を隠せないままに操縦席を覗き込み、力強く頷いた。 『出るよ』 ノイズを打ち破るかのように、落ち着いた声がする。追撃王と呼ばれるだけのことはある。出撃と同時に敵の戦闘機を追い詰めていく。そんなレイを送り出したことで、ウィルの表情にも安堵が見えた。 空の上では猛々しい戦闘が繰り広げられていた。途切れることなく砲弾の重低音が鳴り響く。負傷兵が担ぎ込まれては、経験の浅い新兵が送り込まれた。誰が死んで、誰が生きているのか。もう正確な判断すらろくに出来ない。ただ言えることは、誰もが休息を求めているということだけだった。 中でも戦闘機はほぼ出ずっぱりの状況が続いている。パイロットの疲労は計り知れない。ウィルが空を行き交う鉄の塊を不安げに見つめていた。 「ウィル、今のうちに休んどけよ。すぐに忙しくなるぞ」 格納庫の上段から班長がウィルに言い放つ。 「なんて顔してんだ。そんな顔であいつ等を迎えるつもりか」 怖い顔で振り返ったウィルを、班長が優しく諌めるのだった。 こんな酷い状況下で、どういう顔をすればいいのだろう。班長の背中を見送ったウィルは、歯をぐっと食いしばり、茜色に染まり行く空を見上げた。無事に帰ってきてほしい、と願いながら…。 完全に日が暮れ、辺りは暗闇に包まれていた。 格納庫には先の戦闘で傷ついた戦闘機が横一列にズラリと並び、その有志を讃えるかのように立派な羽を休めている。戦闘に参加したパイロットのうち、疲れ切った者は崩れ落ち、立ち上がれないものは地面に転がったままとなっていた。 レイと次席のオリヴァーだけが疲れを見せずに立っている。 「さっすが、お二人さん。余裕綽々だな」 壁に寄りかかり、その身を休めていたマナトが二人を茶化した。煤で汚れた頬には血が滲んでいる。 「おまえが食い止めてくれたからな。手間が省けた」 「お!さすがオリヴァー。わかってんな!」 まだ戦闘は続いている。今はまだ一時的な休息にすぎない。それなのに何故、そんなにも明るく笑えるのというのか。 三人の様子を伺っていたウィルの瞳には涙が浮かんでいた。 「ウィル!ちょっと来てくれ!」 ウィルに気づいたマナトが陽気に手招きをする。さっと涙を拭ったウィルは何食わぬ顔で近寄った。 「そんな大きな声で呼ばなくても聞こえるから」 「まあいいじゃねえか。無事に帰って来たんだし!俺の声が聞けただけでも嬉しいだろ」 「……別に」 一度側を離れたら生きてまた会えるのが奇跡のような時代を生きている。声を聞けたことだけじゃない。今こうして目の前にいる。それがどんなに嬉しいことか。ウィルは、また涙が出そうになった。胸がぎゅっと締め付けられる。 拗ねたように目を伏せるウィルを見て、マナトは愛おしそうに目を細めた。 「…ったく、可愛くねえ。宿舎帰るから肩貸してくれ」 「えっ。どこか怪我したの?!」 「大したことねえよ。太腿に装甲の破片が刺さっただけだ」 「刺さっただけって…。医務班に診てもらいなよ!」 「医務班も数が足りなくて回すのがやっとなんだ。それに酷い怪我をした奴等が大勢いる。おれなんかが診てもらうわけにはな」 「でも…」 「ただの擦り傷だから大丈夫だって。ほっときゃ治るよ。……そんな顔すんなよ。これから先、怪我の一つもできなくなんだろ」 「できなくなる?!しなくていいから!!治らない怪我だったらどうするの!!いい加減なこと言わないで!!」 マナトは周囲に気を配りすぎる分、自分のことはいつだって後回しにする悪い癖がある。ウィルはそれが悔しかった。何よりマナト自身を大切にしろって言いたいのに、そうできない立場にあることだってわかってる。だから、自分がマナトの代わりにマナトを大切にするんだって、ウィルはそう心に決めていた。 ウィルは、お国のためにと言いながら、マナトのために、自分にできることを精一杯やっている。ここはそんな奴らの集まりだ。大切な誰かを死なせなくないから、大切な誰かに苦しんでほしくないから、命を賭けて戦っている。そういう場所だった。 「怒るなよ。生きてんだから、怪我の一つや二つ仕方ねえだろ。死ぬよりはマシなんだからな?!なぁ、そう思わねえか、オリヴァー、レイ」 諍いが絶えないのはいつものことだ。レイとオリヴァーは素知らぬ顔で二人に背を向ける。 「おれを巻き込まないで」 「同感だ」 「はあ?!相変わらず冷てえのな。…あー、ウィル。おまえが軽く手当してくれよ。それなら文句ねえだろ」 「…バカ」 頼ってくれることが素直に嬉しい。ウィルの怒りもいつの間にか収まっていた。 「よし!そうと決まれば帰るか!飯食おうぜ、飯!終盤どうも腹減っちまってよぉ、腹の虫がうるせえのなんのって」 「今日は長くなりそうだからって、操縦室の右ポケットに備蓄パン入れてたんだけど…」 「あぁ、あれか。あれは朝に食っちまった」 「朝に?長期戦になるだろうからって言ったよね?それくらい自分で管理しろよ」 「そうだっけ?」 「はぁ…。しっかりしてよね。レイやオリヴァーを見習ってほしいよ」 「次は気をつけるって!」 肩に回された大きな腕をしっかりと握り締め、自分より一回りも二回りも大きなマナトを見上げた。この笑顔が見られなくなるなんて、想像するだけで胸が痛い。

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