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第八章・9

 それまで黙って聞いていた惠が、細い声を振り絞った。 「もし、その女の人とうまくいかなかったら、結婚はしないの?」 「ああ」 「そしたら、また僕とデートしてくれる?」 「ああ、約束する」  やだよう、と惠は泣いた。 「今すぐ、デートしたいよ。兄さんが、他の人のものになるなんて、イヤだよぅ」 「惠、感情的になり過ぎるな。恋に、吞まれるんじゃない」 「恋なんて、感情以外に何があるの? 理性的な恋なんて、恋じゃないよ」  ああ、すまない。  惠、すまない。 「悪かったな。お前はまだ、高校生だな」 「大人の都合なんて、知らないよ!」  どん、と惠は瑛一の胸を突き飛ばし、部屋から出て行ってしまった。 「惠」  残された瑛一の心に、冷たい雫が落ちる。 「こんなことなら、ここまで深く愛するんじゃなかった」  後悔しても、遅い。  瑛一の胸の中には、惠がしっかりと根を張っているのだ。  それを引きはがし、他の誰かと一緒になる。 「できるのか? 俺に」  瑛一は、生まれて初めて不安というものを味わっていた。

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