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第10話【0-2】 A Time for Love ②
ふわふわとおぼつかない足取りで、飯島はホテルに入った。
傍らには同僚の松木。
スマートな仕草で飯島の腰に手を廻し、エスコートするように促す。
店からホテルまでの道のりを二人でどう歩いたのかも、飯島はよく覚えていない。
ドアを開け部屋に入った途端、飯島はきつく抱きしめられ、唇を奪われた。
激しい抱擁に身を任せたい本能と、必死で食い止めようとする理性がせめぎ合う。
お前は酔っている、酒のせいで正常な判断をなくしている、そう相手に向かって叫びたいのに、唇を封じられ息を吸い上げられる。
飯島は反射的に両腕を松木の背中に回し、背広の上から抱きしめた。
今すぐ、背広もネクタイもワイシャツも全て剥ぎ取りたい衝動にかられている自分がいる。
その横でもう一人の自分が、抱きしめる腕を解いて身を引きはがさなきゃ、と思っている。
目の前の男に手を出すべきでないことは分かっていた。
ノンケの同僚なんて無茶もいいところだ。
長続きするわけがないし、何事もなかったかのように一緒に仕事などできるわけもない。
松木は、一夜限りの遊び相手として選ぶ人間ではない。
「…みず、水を飲もう。」
荒い息の下で呟くように声を出した。
水を飲んで酔いを醒まし、冷静になるのだ。
そう言いたいのに、言葉が出ない。
「あ、すみません」
ようやく我に返った松木が身体を放し、ミニバーへと向かう。
「はい」
飯島が差し出されたペットボトルを半分ほど飲んで一息つくと、松木はそのままボトルを引き取りすべて飲み干した。
「すみません、頭に血が上っちゃって。ちょっと落ち着きました。」
松木は飯島を促してベッドの端に座らせ、自分も横に腰かけた。
「最初に、ちゃんと言っておかなきゃいけないことがあります。」
松木が真顔で飯島を向く。
『やはりやめましょう。』『彼女がいるから内緒にして。』『あくまでも遊びですから。』
飯島はこれから言われそうな言葉にどう反応するか頭の中でシミュレートする。
「俺、その、男性は飯島さんが初めてなんです。」
「へ?あ、ああ、そう、うん…」
あまりにも真剣な表情で言われ、飯島は返答に窮す。
そんなのわかってたけど、と本音を漏らしそうになり、さすがに今は言うべきではないような気がして慌てて言葉を飲み込んだ。
「その、男同士のやり方とか加減とかよく解らなくて、不快な思いをさせるんじゃないかって…」
「え、ええ…」
どう答えてよいものかわからず、飯島は俯いた。
『俺に任せろ』とか『リードしてやるよ』とでも言えというのか。
「…お、女とやるのと、そう変わんない、から…」
女性と経験のない自分がこんな口から出まかせを言って良いものなのかと思いながら、ついその場をやり過ごす発言をしてしまう。
仕事だったら、こんな適当な返事をする同僚がいたら張り倒すところなのに、と自分自身にツッコミを入れる。
「うん…そっか、そうですよね。」
松木は飯島の顔に手をやり、躊躇いがちにくちづけをする。
松木のいつになく緊張した様子が手に取るようにわかり、飯島は少しだけ気持ちに余裕が生まれる。
「シャワー、浴びてくるから。」
松木の抱擁からそっと身をほどいた。
時間が必要だ、松木にも、飯島自身にも。
覚悟を決める猶予を与えたつもりだった。
あるいは、正気に戻って逃げ出す時間を。
戻ってきたとき松木がいなければ、それはそれでよいと思った。
それが当然の結末のようにも思えた。
それなのにどこかで期待し、初めてだという松木を萎えさせたくない気持ちがある。
ことに及んで、気まずい思いはしたくない。
自分の矛盾した気持ちを哂いながら、飯島は長い時間をかけシャワーを浴びて念入りに自分を清め、身体を解きほぐした。
部屋には既に松木の姿はないかもしれない、自分は置き去りにされているかもしれない、と半分諦めにも似た気持ちで浴室を出ると、松木はトランクス一枚でベッドに腰かけ、スマホを熱心に見ていた。
「あ、ちょっと勉強してました。付け焼刃ですけどね。」
松木はバスローブを羽織った飯島の姿に照れたように笑い、立ち上がる。
「俺もシャワー浴びてきますね。すぐ戻るから、待ってて。」
松木はチュッと音を立てて飯島の頬にキスをすると、浴室へ姿を消した。
ふと見渡せば、松木の服はもとより飯島の脱ぎ散らかした服も、ハンガーにかけられていた。
枕元には既にコンドームとローションがこれ見よがしに準備されている。
「勉強って、そっち…」
飯島は顔が一気に火照るのを感じた。
どんな顔で松木を待てというのだ。
震えながらシャワーの水音に耳をそばだてる。
飯島とは対照的に、松木はカラスの行水でシャワーを上がってきた。
腰にタオルを巻いているだけだ。
「良かった、逃げられちゃうかと思った。」
飯島の体を抱きすくめ、そのままベッドへ押し倒す。
松木は飯島のバスローブをはだけ、喉仏から鎖骨、胸元へと唇を這わせる。
「っ、お前、初めてなんじゃ…」
「うん、だから、間違ったことしたら、飯島さん、ちゃんと言って。」
「前戯とか、別に無理…しなくても、あ…っ、んっ、そこ…」
「気持ちいいんだ、ここ。ちゃんとねだって。どこがいいのか教えて。」
「ばっ、お前…勉強って何見てたんだっ、あっ、ん…」
「変なAVとかじゃないですよ、ちゃんとしたセックスカウンセラーの解説。でも頭で覚えた知識が本当に役立つかは判らないですよね、経験しないと…。」
濡れた音を立てながら、松木は飯島の肌を啄み、わき腹から臍回り、そして下腹部鼠径部へと降りていく。
飯島は息を荒げ、うわごとのように松木の名前を繰り返しながら、松木の髪を指で梳くように愛撫した。
「飯島さん、いい匂いがする。」
松木はいったん顔をあげ、熱っぽい瞳で飯島を見つめると、ローションとゴムに手を伸ばした。
激しい渇きのような欲望と、遣る瀬無い羞恥心が飯島の中でせめぎ合う。
飯島は震える手で自らの膝を抱え、体を開いた。
ごくり、と松木が喉を鳴らす音が聞こえた。
どうか逃げないでほしい、飛び越えてきてほしい。
身も心も曝け出し、もはや逃げ場を失った飯島は不安に震えることしかできない。
「飯島さん、いいの?」
「松木、きて。」
二人の言葉が重なり合う。
松木の身体がゆっくりと飯島に覆いかぶさる。
飯島は深く息を吐いて熱い欲望を受け入れた。
身体の奥底から引き攣れるような痛みと、それを圧倒的に上回る甘い愉悦。
飯島は理性を手放し、松木の背中にうでを廻した。
縋りたいのは、理性ではなく目の前の男なのだ。
後悔するとわかっていても、手を伸ばさずにはいられなかった。
もう、後戻りはできない、と思った。
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