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第11話 Bitter Sweet Samba ①

 業者が引き上げた後の、段ボールの積み上がった部屋で、飯島はほっと息をついた。 南向きのリビングの掃き出し窓を開け放つと、爽やかな風が吹き込んでくる。 駅に向かう商店街の道路わきは、桜並木が満開を迎えていた。 「きれいだね、花見行こうよ。造幣局とか有名だよね。」 背後から松木が声をかける。 「お前、自分のとこの片付けしなきゃだろ。」 朝一番に引っ越し業者が荷物を搬入するのに合わせ、松木は自分の引っ越しもそこそこに、手伝いに来てくれたのだ。 「えー、下手に荷物開けないほうがいいと思いますけどね。どうせ近いうちにここに引っ越してくるんだし。」 「勝手に決めるなよ。」 「飯島さん、こんな広いところに一人で住んでどうするの?いくら給料上がったからって、家賃だって結構するでしょ。二人で折半のほうが絶対良くない?」 確かにそのつもりで見つけた物件だった。 松木の転勤を機に自分も転職し、二人で大阪での生活をスタートさせるための部屋。 その計画は一度頓挫したと思っていた。 松木のいない人生に一人取り残され、広い部屋でどう過ごせばよいのかと、つい先日まで途方に暮れていた。 松木に関しては、自分は完全に盲目だと飯島は自嘲する。 相手の状況も気持ちも確認せぬまま、勝手に一人で舞い上がったり、誤解してどん底に落ち込んだり、情緒不安定を通り越して気分障害だ。 「ほら俺、とりあえず前任の吉川さんが住んでた単身者用アパートにそのまま転がり込んじゃったんだけどさ、会社に近すぎるし、壁薄くて隣の部屋の音丸聞こえだし、あそこにずっと暮らすのは無理。」 「ここに居着くつもりかよ。」 「そのつもりで見つけてくれたんでしょ、ここ。飯島さんのオフィスより、俺の職場に通勤するのに便利な場所じゃないですか。乗り換えなしで一本で行ける。」 「なんか、お前の口調むかつく。」 すべてお見通しと言わんばかりの松木の口調が癪に障り、飯島は松木の足に軽く蹴りを見舞うとキッチンに入り、コーヒーを注いだ。 「あ、美味いな、これ。」 「でしょ。新しい職場の近くで見つけた豆専門店なんだ。豆から挽いて淹れるとほんと美味いよね。特にこれはどっしりした苦みの中にほんのりと甘さがあって…」 「あ、そういう蘊蓄はいいや。理屈抜きで美味いよ。気持ちがリラックスする。」 松木は話の腰を折られたにもかかわらず、飯島の顔を覗き込んでニコニコし、マグカップに自分の分を注いだ。 「なんだよ。」 「飯島さん、美味しいもの口にしているときは素直になるよね。」 「うるせえよ。」 「あとは、ベッドの中だけか。素直なのは。」 「ばか、何言って……」 飯島は自分の顔が真っ赤に火照るのを感じた。 松木は涼しい顔で言葉を続ける。 「飯島さん、ちゃんと健康考えて、朝ごはん食べるように習慣変えようよ。俺が毎朝美味しいコーヒー淹れてあげるから。」 「ばか、毎朝豆挽いてたら遅刻するだろ。」 「だから、新しいコーヒーメーカー買いに行こうよ。全自動で豆から挽いてくれるやつ。」 「え、うん……まあ、1台あってもいいか。」 松木と毎日コーヒーを飲みながら朝を迎えられたらどんなに良いだろう。 「今からちょっと桜見に行って、その帰りに家電量販店でも寄るか……」 提案しようとしたところで、松木の顔が近づき、飯島の唇が塞がれる。 互いの唇からコーヒーの香りが立ち込める。 松木はしばらく飯島の唇を貪ると、腕を引いてフローリングの床に横たわらせた。 「おい、まだ明るいって。カーテンもつけてないし。」 「大丈夫、ベランダの柵があるから、立たなきゃ見えないよ。」 松木の唇が首筋を這う感触に、飯島はぞくぞくと震え抵抗できない。 シャツをまくり上げられ、乳首をつままれると思わず声が漏れた。 「窓、窓だけでも閉めて……変な声聞かれたら住めなくなるだろ。」 松木が掃き出し窓に手を伸ばすのを確認し、飯島は身体の力を抜いた。 松木の手が飯島のズボンのボタンをはずし、下着ごと膝まで下ろす。 「…ぁ、んっ、んぅ…」 松木の舌が臍の周りや鼠径部をくすぐる。 内股を甘噛みされ、飯島の欲望がびくっと跳ねた。 「お前も、脱げよ……」 飯島は松木のシャツを引っ張った。 スウェットを下ろすと、松木のそこは既に硬く勃ち上がっていた。 「飯島さん、触って。」 体勢を入れ替え、飯島は松木のペニスをしごきあげながら唇を寄せた。 「っ、ふ……あ、飯島さん、気持ちいい。」 ぴちゃぴちゃと音を立てて愛撫すると、松木が荒い息の下から飯島の名前を呼ぶ。 優しく髪を撫でられ、飯島は松木の欲望を咥えながら恍惚とした気持ちになる。 「飯島さん、もういいよ、飯島さん、飯島さん、もう離し……あっ」 飯島は松木の生暖かい劣情をそのまま嚥下した。 「すみません……その、口でイクつもりじゃなかったんですけど……それに、その、飲まなくても……」 松木は真っ赤になってしどろもどろに言い訳をする。 「別に俺がそうしたかったからいいんだよ。」 「ああ、その……ちょっと早かったですよね、なんか慣れない場所で感極まっちゃって……」 「人のことベッドでは素直、とか馬鹿にしてる割には、自分のほうが素直じゃん。」 「リベンジですか?もう、負けず嫌いなんだから。飯島さん、まだイッてないですよね、第2ラウンドいきましょう。床、堅いから跨がってください。騎乗位いきましょう。」 「いや、その前にローションとゴム、まだ段ボールの中だから。それに無理して床の上でやることないだろ、お前だって背中痛めるぞ。」 「ああ、荷物の開梱なんて待ってられませんよ。今すぐ買い物行きましょう。一番近いコンビニかドラッグストアはどこですか?」 「おい、花見に行くんじゃなかったのかよ、それからコーヒーメーカー…」 「飯島さん、わざと意地悪してますね。そんなお預けしている余裕あるんですか?あなたまだイッてないでしょ。」 「いや、その……」 慌てて半勃ちの股間を手で隠したが、すでに遅かった。 松木が飯島を再び押し倒す。 「わかりました、口でイかせてあげますよ、さっきのお礼に。全部飲みます。」 「いや、ちょっ、お前はそんなもん飲まなくていいって、ちょっと!っ、あっ……」 西日を受け、花びらがきらきらと輝きながら舞い散っている。 「きれいだな。咲くのも散るのもあっという間。」 大木を見上げて呟く飯島の横顔を見ながら、松木もうなずく。 「綺麗ですね。見飽きることがない。いつまでも見ていたい。」 「もう、お前がしつこいから花見する時間が減ったじゃないか。」 「飯島さんが大事なものを段ボールに梱包しちゃうからでしょ。なんですぐ出せるところに入れておかないかな。」 「お前こそ、自分が使うものなんだからちゃんと持参しろよ。」 「声、大きいですよ。」 「っ!」 飯島は思わず臍を噛む。 最近、松木に言い負かされることが多くなったことが少し悔しい。 「桜は来年も見られますよ、また一緒に来ましょう。来年も、再来年も。」 松木が低い静かな声で飯島に囁く。 来年も、再来年も。 心の中で同じ言葉を反芻する。 飯島は切ないような胸の疼きを感じ、目を伏せて頷いた。 「コーヒーメーカー以外にも、いろいろ買い足さなきゃならないものたくさんありますね。」 「……いらないよ。これ以上、なにも。」 ずっと欲しくて欲しくて焦がれていた未来が、いま自分の手にあるのだ。 これ以上何を望むというのか。 「いや、ダブルベッド欲しいですよ、朝食も大事だけど、良質な睡眠も大切です。」 「……。」 こいつには浪漫というものがないのか。 これまで散々松木の浪漫を粉砕してきたことを棚に上げ、飯島は松木に毒づく。 「おい、ほんとに居着くつもりかよ。」 「毎朝美味しいコーヒー淹れますから。最高のやつ。」 最高の笑顔で松木が言う。 「うん……それは楽しみだな。」 舞い散る桜の花びらに背中を押され、飯島は少しだけ素直な気持ちを口にした。

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