134 / 459
134
なんでもない言い方で、曖昧な声音で、されどニューイを気遣う声。
(これは、九蔵の声だ……)
公園での光景が、半透明の映像としてニューイのすぐそばに映し出される。
コトダマ。
このビー玉は、悪魔が人間の世界の時を映す道具なのだ。決まった時間の声や映像を、ほんの少しだけコピーして持ち運ぶ道具。
そこにいるのは確かに九蔵だ。
『約束する。もし俺がこの先、アイツと契るって決めたとしたら……軽い気持ちじゃなくて、本気だぜ。アイツだけが苦労しないように、アイツのことを大事にする』
悪魔姿のズーズィを相手に、九蔵の声はハッキリとニューイの鼓膜をゆさぶる。
知らなかった。こんなに前から気にかけてくれていたことを、ニューイはちっとも、知らなかった。
場面が九蔵の部屋になると、九蔵はどういうわけか、自分の恋には望みがないと気落ちしている。
『んじゃ、ニューイは俺なんか眼中にねぇってことで……』
『あーら、諦めんの?』
『バカ。諦めねぇよ。二番手の俺は、一生片想いでいいってわけです』
イチルとの約束のことなんて、ニューイはなにも言っていない。
なのに九蔵はなぜか確信を持って自分を二番手だと言い切り、それでもいいと言った。
一生の片想いなんて、地獄と同じだ。
それを簡単に言ってのけた九蔵とズーズィが交わす、ニューイの知らないやり取り。知らない九蔵の言葉。九蔵の恋。
こんなセリフは、知らない。
こんな気持ちは、知らない。
「な、なぜっ……九蔵が、私を愛している、なら……キミはどうして、笑って私の話を……イチルの話を聞いていたのだっ……」
青ざめて震えるニューイは、ここにいない九蔵の残像に尋ねる。
ズーズィはうなだれるニューイの頭をあげさせ、大粒のビー玉を目の前に差し出し、指先に力を込めた。
「答えは、これだ」
──パキン、と時間が弾ける。
『ニューイの笑顔が、好きだから』
「あ……ぁぁ……っ」
そのシンプルな理由を聞いて、ニューイの涙はポロポロととめどなく溢れた。
ロマンチックな言葉ではない。壮大な愛の言葉でもない。好きとも愛してるとも言わないちっぽけな人間の、道端に咲く小さな花のような恋心。
しかしそれは、絶対に踏みにじってはいけない、大切な人の心だ。
ニューイの周囲を漂うビー玉が弾けると、映像の九蔵は、うまい屋の厨房で丸くうずくまって澄央に吐露する。
自分の過去や、認識、諦観。
それがニューイと出会って、九蔵の中でどう変わったのか。
どれほどニューイが好きで、ニューイじゃないとダメなのかという九蔵の想いが、いじらしいほど伝えられる。
全ては、好きだから。
好きな人には、笑っていてほしいから。
『馬鹿らしいだろ? お姫様になりたいんですって、ね』
「あぁ、九蔵……っあぁ……っ」
心の声を無視して心底からの望みを冗談にしてしまう九蔵に、ニューイは大粒の涙が止まらなかった。
──知らないせいで、私が踏みにじったキミの恋は、ボロボロじゃないか……!
なんてことをしてしまったのか。
知らないことは、巨石を負わせるような大罪だ。
九蔵が自分の内側を伝えるのがヘタクソだとわかっていたのに、自分の不安で瞳を盲目に曇らせてしまった。
彼が一生懸命に伝えたサインを。
子どもが服の裾をクイとつまむようなサインを、悪魔の手は振りほどいた。
自分のことで精一杯だった。
精一杯な九蔵は精一杯な時ですら、もうひとさじの優しさを他でもないニューイに捧げて、プロポーズに頷いたと言うのに。
ニューイがイチルを愛していると理解している九蔵は、叶わない夢を冗談にして、笑顔であれと、自分の魂をプレゼントしたのだ。
ともだちにシェアしよう!