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 なんでもない言い方で、曖昧な声音で、されどニューイを気遣う声。 (これは、九蔵の声だ……)  公園での光景が、半透明の映像としてニューイのすぐそばに映し出される。  コトダマ。  このビー玉は、悪魔が人間の世界の時を映す道具なのだ。決まった時間の声や映像を、ほんの少しだけコピーして持ち運ぶ道具。  そこにいるのは確かに九蔵だ。 『約束する。もし俺がこの先、アイツと契るって決めたとしたら……軽い気持ちじゃなくて、本気だぜ。アイツだけが苦労しないように、アイツのことを大事にする』  悪魔姿のズーズィを相手に、九蔵の声はハッキリとニューイの鼓膜をゆさぶる。  知らなかった。こんなに前から気にかけてくれていたことを、ニューイはちっとも、知らなかった。  場面が九蔵の部屋になると、九蔵はどういうわけか、自分の恋には望みがないと気落ちしている。 『んじゃ、ニューイは俺なんか眼中にねぇってことで……』 『あーら、諦めんの?』 『バカ。諦めねぇよ。二番手の俺は、一生片想いでいいってわけです』  イチルとの約束のことなんて、ニューイはなにも言っていない。  なのに九蔵はなぜか確信を持って自分を二番手だと言い切り、それでもいいと言った。  一生の片想いなんて、地獄と同じだ。  それを簡単に言ってのけた九蔵とズーズィが交わす、ニューイの知らないやり取り。知らない九蔵の言葉。九蔵の恋。  こんなセリフは、知らない。  こんな気持ちは、知らない。 「な、なぜっ……九蔵が、私を愛している、なら……キミはどうして、笑って私の話を……イチルの話を聞いていたのだっ……」  青ざめて震えるニューイは、ここにいない九蔵の残像に尋ねる。  ズーズィはうなだれるニューイの頭をあげさせ、大粒のビー玉を目の前に差し出し、指先に力を込めた。 「答えは、これだ」  ──パキン、と時間が弾ける。 『ニューイの笑顔が、好きだから』 「あ……ぁぁ……っ」  そのシンプルな理由を聞いて、ニューイの涙はポロポロととめどなく溢れた。  ロマンチックな言葉ではない。壮大な愛の言葉でもない。好きとも愛してるとも言わないちっぽけな人間の、道端に咲く小さな花のような恋心。  しかしそれは、絶対に踏みにじってはいけない、大切な人の心だ。  ニューイの周囲を漂うビー玉が弾けると、映像の九蔵は、うまい屋の厨房で丸くうずくまって澄央に吐露する。  自分の過去や、認識、諦観。  それがニューイと出会って、九蔵の中でどう変わったのか。  どれほどニューイが好きで、ニューイじゃないとダメなのかという九蔵の想いが、いじらしいほど伝えられる。  全ては、好きだから。  好きな人には、笑っていてほしいから。 『馬鹿らしいだろ? お姫様になりたいんですって、ね』 「あぁ、九蔵……っあぁ……っ」  心の声を無視して心底からの望みを冗談にしてしまう九蔵に、ニューイは大粒の涙が止まらなかった。  ──知らないせいで、私が踏みにじったキミの恋は、ボロボロじゃないか……!  なんてことをしてしまったのか。  知らないことは、巨石を負わせるような大罪だ。  九蔵が自分の内側を伝えるのがヘタクソだとわかっていたのに、自分の不安で瞳を盲目に曇らせてしまった。  彼が一生懸命に伝えたサインを。  子どもが服の裾をクイとつまむようなサインを、悪魔の手は振りほどいた。  自分のことで精一杯だった。  精一杯な九蔵は精一杯な時ですら、もうひとさじの優しさを他でもないニューイに捧げて、プロポーズに頷いたと言うのに。  ニューイがイチルを愛していると理解している九蔵は、叶わない夢を冗談にして、笑顔であれと、自分の魂をプレゼントしたのだ。

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