316 / 459

316

 ──とまぁそんなわけで。  九蔵は玄関ドアに空間を繋いだズーズィによって、一度来たことがあるニューイの屋敷の中へ五分とかからず速達された。  そしてズーズィが消えたほぼ直後。  闇の中からのっそりと帰宅した屋敷の主は、キョトンとする九蔵を無言で確保し、あれよあれよという間に服を脱がせることなくバスタブにボチャンッ! と投げ込んだ。   「クソ、ああクソ、クソ。全部わかった上で、全部クソ腹立つ、ああクソ」 「へ? ……あ?」  バスタブの中にへたりこむ九蔵は、なにがなんだか理解できず、ポカンと恋人──ニューイを見上げる。 (……あれ? ニューイ、なんでここに……ってか、なんで、こう?)  九蔵はぐにゃ、と首を傾げた。  頭をクシャクシャにかき混ぜて悪態を吐くニューイを尻目に、視線を周囲へ這わせる。  広く美しくどこか古めかしいニューイの館のバスルームは、部屋の中にそのままバスタブが置かれたような開放的なものだ。  窓辺に設置されたそれほど大きくはない白いバスタブである。  明かりのついていない部屋で緑の月光に照らされるそれはむしろ上品にすら感じるが、退廃的な気もする。  味のある真鍮の蛇口やシャワー。  アンティーク調で美しい。シケたカットソーにジーンズのフリーターが浮きまくっている。  それはさておき、いったいどうして自分は言葉を交わすより先に、ハンパに湯の張ったバスタブに突っ込まれたのやら。  しかもブツブツと聞き取れないほど微かな声で文句を言い続ける屋敷の主は紛れもなくニューイなのだが、どうも様子がおかしいのだ。とりあえず口と態度が悪い。  よくわからない。  故にポカンとしている。 「合わせる顔がねぇだって? 九蔵」  そんな九蔵の前でムシャクシャしていたニューイが、ふと顔を上げた。  羽織っていたフィールドジャケットを雑に脱ぎ捨てると、Uネックシャツの胸元でシャラ、とおそろいのネックレスが揺れる。  ニューイは九蔵を見下ろしながら濡れた白い顎をムニュ、と掴み、余裕のないイケめいた顔をおもむろに近づけた。 「ッウ」 「俺にお似合いのかわいーい顔なら、ここにあるじゃあねぇの。ン?」 「ぅ、む」 「俺の誘いにはノらねぇくせに、ズーズィの誘いにはノったのか。ええ? ククッ……悪い子だなぁ、九蔵」 「……っ、違う」  不貞腐れた様子の舌なめずり。  わかりやすく不機嫌なニューイの吐息が、頬をなぞった。  心臓がゾクゾクする。  至近距離で目視すると、否が応にも血が沸騰せざるを得ない。  しかしニューイの熱い吐息に甘い香りを感じて、九蔵は火照った顎を掴まれたまま、ニヒ、と笑った。 「だってニューイ、酒くせぇ、だろ?」 「あぁ?」  ウイスキーの香りだ。  しかも、かなり濃厚。  自分だって飲んでいるじゃないか。  ズーズィと飲むことになったので更に帰りが遅くなると連絡した九蔵に、ニューイが自分も飲みに行っているので遅くなると、連絡を返した。  酒臭い理由は知っている。現場の監督とやらが相手だと、確かに言った。  でも、酔ってくるとは言われていない。 「俺のことだけ、言わねぇで。お前だって俺以外と、酔ってんのに」 「ッ……」  なら、悪い子は二人いる。  ──俺だけ責めてんじゃねぇよ。  九蔵は濡れた自分の肩に頬を寄せて顔を背けながら、視線でニューイを煽った。  ピク、とニューイが微かにたじろぐ。  意味がわかったらしい。流石、言葉遊びの好きなロマンチストな恋人様だ。ストレートに言わない九蔵の癖と会話できる。  顎を掴んでいた手がそっと引かれた。  代わりに顔を背けたせいでむき出しになった首筋へ、一度だけガプ、と大きく噛みつかれ、すぐに離れる。 「ん、っ……ふふ、くすぐってぇよぉ」 「九蔵が笑うからだろ?」 「あはっ、やぁめろって〜……」 「嫌だね。やめねぇよ、今日は。オマエの言うとおり俺は酔ってるから、トコトン付き合ってもらうさ」 「え、……っぅ」  そう意地悪く笑うニューイはキスまで一呼吸かからない焦点ギリギリの至近距離にいながら、九蔵の鼻をギュッと強くつまむ。 「このクソ野郎」 「……。ウヒ」  そのまま真正面からジッと目を見つめて笑って吐き捨てられ、顔の赤い九蔵は、ヘタクソに笑って返した。  少し腹がたったからだ。  ズーズィに嫉妬しているわけじゃないくせに、心を込めて罵倒しやがって、と。  ──なぁにが〝|誰のせいだ《このクソ野郎》〟だよ。  ──お前だって、酒臭いキスに期待したクソ野郎な恋人の一瞬を見抜いて、鼻っぱしらを捻るようなクソ野郎じゃねぇですか。  首を振ろうとしたが、鼻をつまんでいた手が離れたくらいだった。  右腕一本で頭を抱えるように抱かれ、逃がしてもらえない。 「やめて、嫌だ、嫌だって」 「オマエが悪いよ、九蔵。全部オマエが悪い。オマエのせいだよ」 「そんなん、知ってます」 「知らんだろ? 俺を惚れさせたオマエが悪いって言ってんの。なんで俺を惚れさせるんだよ。そんでスッゲェ焦らすとか、焦らしプレイの報復か? おかげで死にそうだわ」 「やです、いや、死なねぇで……」 「ンッン〜。じゃあ、説明しな? ズーズィと飲む時間はあンのに、俺に抱かれる時間はねぇ理由。納得はしねぇけど」 「ふ、それは、無理」 「ククッ……あぁ、好きだ」  九蔵がそれでも拒否すると、ニューイはスウィートな視線でなぶる。  それから、一言。 「でもオマエ、いっぺん死んじまえ」  ──うんざりするほど惚れ込んでる、と本当に知ってるなら、その上でまだ無理なんて言うキミはいっそ死んでしまえばいいのに。 〝死ね〟という言葉を、とんでもなく無邪気な笑顔で、耳を舌で包むような甘い声で、心底愛しそうに言ってのける。  それがニューイというクソ野郎だった。  死ねば泣くくせに。  自覚があるからわざと暴言を吐くニューイのほうが、よっぽど(・・・・)だろう。  この期に及んで無理と言う九蔵なんて死んでしまえバーカ、と言う声ですら、愛の告白じみた響きが宿るような悪魔である。  あれま、難儀なことだ。

ともだちにシェアしよう!