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──おかしい。冬総は、説明されなくても現状の異常性に気付いてしまった。
ほんの、数十分前。下校前に見た教室と、全く違う。
なのにここは、間違いなく同じ教室だ。冬総は戻るべき教室を間違えていないし、中に居る一人の男子生徒もこの教室に在籍するクラスメイトなのだから。
──だけど、どうしたってこんなことはありえない。
「なに」
虚ろな瞳で冬総を振り返るのは、学校中で『変人だ』と噂されている【春晴秋在】だ。
しかし、秋在が一人で教室にいることは問題じゃない。問題なのは──。
「──なんで、床が絵の具まみれ、なんだ……ッ?」
教室の端に寄せられた机と椅子。そうして作られた、広い床。
──まるでその床をキャンバスに見立てたかのように、教室の床には色とりどりの絵の具がぶちまけられていた。
制服を汚した秋在は、悪びれていない。学校指定の靴も、可愛らしい顔も、カラフルに汚れている。
冬総は、直感した。『関わってはいけない』と。冬総は、本能的に気付いていたのだ。
『春晴秋在がしていることは異常だ』と。ここで秋在に関わったら、ロクな目に遭わないことも。
なのに冬総は、深呼吸をした後に……。
「なに、してんの?」
──思わず、声をかけてしまった。
絵の具は【こぼした】なんてものじゃない。明らかに【床を汚す】という意志と意図を持って、ぶちまけられている。
当然、犯人は秋在だ。その証拠に、秋在はポケットの中から新品であろう青い絵の具を取り出しているのだから。
キャップを外し、冬総から視線を逸らした秋在は、ギュッギュッと強弱をつけて、絵の具を床にこぼした。
「理解する気がないくせに、どうしてそんなこと訊くの」
秋在の返事を受けて、冬総は眉間に皺を寄せる。無論、無意識にだ。
理解【できない】ではなく、理解【する気がない】と。初めて言葉を交わした相手に、冬総は断定された。それが、眉を寄せた理由。
冬総は、秋在の態度が面白くなかったのだ。
「──じゃあ、理解してやるから教えてくんない?」
売り言葉に買い言葉。嫌っているわけでもないのに、冬総は秋在を睨んだ。
すると秋在は、空になった絵の具の容器を放り投げ、今度は赤い絵の具を取り出した。それを、迷うことなく自分の足元に向かって絞り出す。
「──目が覚めたとき、寂しいと思ったから」
『ブヂュウッ!』と、秋在が力任せに絵の具を押し出したせいで、空気の混ざった汚い音が鳴る。
ボトボトと床に落ちた赤い絵の具を、秋在は勢い良く踏む。秋在の行動により、強烈な【赤】がまるで意思を持っているかのように跳ねた。
「どう? 理解、できた?」
期待なんて、微塵もしていない瞳。そう言いたげに、大きなクリーム色の瞳が冬総を映す。
冬総は、咄嗟に返事ができなかった。正直な話、冬総には秋在が理解できなかったのだから。
黙った冬総の考えなんてお見通しかのように、秋在は続けて言葉を放つ。
「ふぅん、そう。わざわざ『ごめんなさい』は、言わなくてもいいよ」
悪魔のように冷たい声色のくせに、秋在は天使のように微笑んだ。
「自己矛盾」
言葉で冬総を刺し殺すかのように、鋭い言葉を吐き捨てながら。
その、あまりにも鮮烈な色と、秋在の姿。
「……ッ」
返事もできないまま、秋在が放つそれら全てから、冬総は目を離すことができなかった。
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