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 名前を呼ばれた秋在は、意外なことに素直な態度で振り返った。  だが、決して冬総に呼ばれたことをプラスの印象として受け取ったわけではないらしい。 「なに」  冷たい声。それと同じくらい、敵意のこもった視線。若干──かなり、苛立っているような表情だ。  作業の邪魔をされたと思っているのか、秋在は不愉快そうに冬総を見つめた。  けれど、冬総は狼狽えない。 「──今やってること、俺も手伝っていいか?」  むしろ、今度は冬総が秋在を動揺させた。  予想外の言葉だったのか、秋在の大きな瞳がさらに大きく丸い形を作る。  言外に『ビックリしている』と伝えてくるその表情を見て、冬総の胸は一瞬だけ高鳴った。 「正直、意外だ。お前も、普通の人間らしい顔ができるんだな」 「……」 「あっ、悪い。感じの悪いこと言っちまったな、ごめんよ」  新品であろう絵の具を握っていた秋在が、冬総を見つめる。 「汚れるよ」 「なんだソレ。お前はもう汚れてんじゃん?」 「先生に、押さえつけられるかも」 「そのときは、春晴だって一緒だろ?」  まだ読んでいない手紙を、冬総は汚れていない床に置く。 「だったら、俺はいいよ」  入学したてで、まだ目立つ汚れのない靴。その靴で、冬総はゆっくりと絵の具の上を歩く。 「一人より、二人だろ?」  自分に近寄る冬総を見て、秋在は茫然と立ち尽くしている。  ……が、不意に。 「──うわッ!」  秋在は、冬総になにかを投げた。  それは当然、秋在が握っていた未開封の絵の具だ。その絵の具は、白色だった。 「靴、脱いで。靴下も脱いでほしい」 「は? なんで? 俺の靴が汚れるとか、気にしなくていいんだぞ?」  既に汚れた靴を見て、冬総は訝しむような目を秋在に向ける。 「ボクと違うから」  秋在の返答は、具体的とは程遠い抽象的なもの。  理解はできなかったけれど、冬総は言われた通り靴と靴下を脱ぎ、裸足になる。  そして、貰った絵の具を床に零そうとして、思い留まった。 「どうしたの」 「いや、ちょっとな。……よし。せっかく、脱いだなら……」  冬総は、絵の具のキャップを開ける。そして、片足を上げた。  ──白い絵の具を、自分の足裏に塗りたくるために。  冷たくて、くすぐったくて、妙な感触。冬総は絵の具によって白くなった足で、教室の床を踏んだ。……やはり、妙な感触だった。  チラリと、冬総は秋在を見る。  ──そこで今度は、冬総が目を丸くした。 「──ふっ、あははっ! ボクのお小遣い、足に塗るんだっ!」  ──秋在が、満面の笑みを向けてきたのだから。  よろめきそうになって、なんとか耐える。余計な言葉が出てきそうになっても、飲み込む。  無邪気な笑い声を上げ続ける秋在から、目を逸らせない。  ひとしきり笑った秋在が、冬総を見た。 「ねぇ、キミ。キミの名前、教えて」  笑ったことで浮かんだ涙を指で拭いながら、秋在が訊ねる。 「お前……。隣の席ってのは知ってるくせに、名前は知らないのかよ」 「知ってるよ」 「は?」  絵の具を踏み散らしながら、秋在は冬総に近付く。 「でも、キミから聞いてない。だからボクは、キミの名前を知らない」  言っていることは、やはり要領を得ない。  それでも、ほんの少しだけ。 「じゃあ、お互いに自己紹介しようぜ?」 「そっか。キミもボクの名前、知らないもんね」  自分は、春晴秋在に近付けた。優越感にも似た妙な愉悦を抱いて、冬総は笑みを浮かべて提案する。  その提案を受けても、秋在は笑顔を崩さなかった。

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