1 / 22

斎東(さいとう)

 斎東(さいとう)が立っている。  雨は朝からしとしと降っていて、止む気配は無い。  雨だれの音を聴きながら斎東に声を掛けようかとも思うが、どうせこんな山奥まで来た以上ここ以外寄るべき場所もないのだから、そのうち入ってくるのだろうと社殿の上がり口の階段に座り込み、じっと様子を見ることにする。煙草に火を入れる。  こういう、ある意味から隔離されたような場所で生活をしていると、どうも思考が平面的にならされてくる。  斎東はあそこで何をしているんだ、という疑問は、まあどうでもいいが、という閉塞的な終着点に落ち着いてしまう。  雨だれの音も単調で、規則的に煙を吐き出しながら、ただぼうっと斎東を見ていた。  楼門の向こうの斎東は傘をさしたまま後ろ向きに立っていて、神社へと続く石段を見下ろしているふうだった。  なぜ後ろ向きのあれが斎東だと分かるのかというと、うす茶色の大きな(じゃ)()(がさ)に、龍が這うような模様が描かれてあるのが見えるから。ほかにも、ここらでは見ない二重廻(にじゅうまわ)しの黒い雨衣。舶来物だろう。その下にのぞく濃紺のはかまには、銀糸で立涌文様(たてわくもよう)がほどこされているのがわかる。およそ下界にいる人間でああいった格好を日常的にまとえる人間はそういない。  もっとも雨の山道を歩くのだから、普通はもう少し考えるべきだろう。雨衣の下でははかまの裾が濡れていて、おしいな、と思う。靴は、濃い栗色の、やはり舶来物の皮長靴。上背が充分あるのに、さらに足を長くみせている。細い足首が際立つ。あれだと、腰紐も銀で、着物は無地の黒なのが私の好みだな。  無造作に束ねられた黒髪が、ときおり傘が動くたびに見え隠れする。  …ああ。  そうか、何かを待っているのだ。  そして思い出した。斎東はいつかも、同じようにああして立って何かを待っていた。  そのうち、たいそう重そうな木箱を持った男衆(おとこしゅう)が何組も現れ、斎東は彼らを勝手に社殿の中に招き入れた。  最後に手ぶらでついてきた一人の男が木箱の中から取り出したものを組み立てると、それは華奢な造りの仏像になった。斎東は、いいだろう、と誇らしげに振り返っていった。  私がなかば呆れて、うちは神社だから仏像はいらない、というと、「きょとん」として、「似たようなもんだろ。」寺も神社も。といった。  またそのたぐいだろうか?斎東は、ときおりそうして、自分が買ってきた美術品をうちの廃社殿に持ち込んだりする。  斎東は、が好きだ。  その嗜好は大きな図体やがさつな気性に似合わず、宝石などで装飾された色鮮やかで華やかなものより、小さくても繊細で味わいのある装飾がなされたものや、銀などの、おとなしめの配色のものを好む。  仏像なども、金箔が施された見栄えのいいものより素材の木目の美しさがわかるものや、その細工のありようを楽しむ。  斎東のそんな感性は私の性分にも合っているので、今まで持ち込まれた美術品に私からけちをつけたことは無い。拒むことも、ほとんど無い。美しいものは私も好きなのだ。  煙草の煙が流れて行ったのか斎東がこちらに気付いて振り返った。左の頬を上げてにやりとする。  斎東の顔は、太めの眉や切れ長の目や、鼻の形や少し厚い唇など、いちいち整っていて好きなので、男の私でもつい見とれてしまう。  おしいな、斎東。だまって突っ立ってさえいれば器量足らずや気分屋な内面がばれないから、女が放っておかないだろうに。  斎東は、いまだこちらに来ようとはしない。そのを見せたいのだろう。 (面倒くさいやつ。)  階段のふちできせるをたたいて火を落とし、ため息をはいてから立ち上がる。  雨のなか、下駄をつっかけ小走りで楼門のひさしの下まで行く。  楼門とは名ばかりの、小さな屋根がついているだけの門。しかし雨をしのぐには充分だ。  斎東は、やはり、いいものがあるから見てみろとばかり目線を斜め下に向ける。  仕方なくひさしからも出て斎東の傘に割り込むようにして入ると、ふっ、と、香の匂いがする。  斎東の匂い。すっと鼻に抜ける、いい香りだ。だが、この匂いを嗅ぐと、なぜか妙に気がざらつく。  門の外に続く石段を見下ろす。何人もの男衆がうごめいている様子を想像していたが、蛇の目傘がひとつあるだけだった。  ひょこひょこと動く傘の下に、人影が見えた。石段をのろのろと上がってきているようだ。  なんだ?  見ていると、ついに膝を折ってしゃがみ込み、傘の下から腕と手が伸びて叩くように石のうえに置かれた。  細くて白いが、男のものだ。  うちの神社までの道のりはかなり険しい。  私ですらよほどのことがないと下界には降りない。  山道は起伏が激しく、徐々に高度が上がる仕組みで勾配だらけだからだ。  そして最後に、この石段。切り出した岩をゴロゴロむき出しに置いただけで、ろくに整備もされていない。  男はかなりばてている様子で、そのまま動かなくなってしまった。呼吸が激しく乱れているためか、傘がゆれている。  だれだ?  斎東を見上げると、斎東は嬉しそうに「ふふっ」と笑い、ふところから出した紙を私に突き出してきた。  私が受け取ると、斎東は、傘といっしょにさっさと石段を降りていく。とたんに雨が当たるようになったので、顔をしかめていったんひさしの下に戻る。  紙を開くと、走り書きでこうある。 「 一、逃がすな    一、見せるな    一、手を出すな 」  …斎東、お前、まさか。  いやな予感がする。紙をたたんで袖に落とす。  下から、「あっすいません」 と若い澄んだ男の声がした。斎東が手を貸したのだろう。  引っ張って連れてくるようだ。足音が一段一段近づく。ひとつはガッ、ガッと響き、もうひとつは「ガッ」につられるようにしてカラカラッと不規則で心ぼそい。  石段からまずはでかい斎東の傘が見える。つぎになぜか誇らしげな、斎東の顔。  斎東はでかい傘を持つ左手で、もうひとつ、たたんだ傘をつかんで肩に当てるようにしていた。  もうひとりが見えないと思ったら、斎東の雨衣の中に隠れている。  斎東の胸のあたりから男の頭が見えた。  男はぐったりしていて、斎東が右の小脇に抱えるようにして男を持っているのだった。先ほどの斎東の香りを思い出す。  男の細い右腕がにゅっと斎東の襟元をつかんでいて、男は倒れまいと必死な様子だ。  着いたぞ、と斎東がいうと、男ははっとしたように顔を上げた。雨衣の向こうから目が合う。  少しくせのある前髪から覗く目は、黒くて、透きとおっている。  顔面蒼白といった顔色で、それでも私に対し弱々しく笑うと、頬の下にえくぼができた。  歳は十八、九といったところか。私や斎東と比べて、十と離れてはいないだろう。  ひさしの下に並んで、斎東が男に「立てるか」 と聞くと、やっと「はい大丈夫です」 と何度か頷きながらいった。  斎東はようやく男をふところから出して、ひとりで立たせた。  背丈は私より少し低いくらいだろうか。が、今はばててうつむいているから、かなり小さく見える。  髪は私と同じくらいで耳が隠れる程度。きれいな髪だがやはり少しくせっ毛だ。濡れた髪の間から、白い耳がちらちらとのぞいている。とにかくおそろしいほど色が白い。  真新しい白地の着物は籠目柄(かごめがら)。はかまは、浅い浅葱色(あさぎいろ)だったのだろうが、今はすっかり濡れていて黒っぽい藍色になっている。斎東が選んで着せたものか。腰紐の様子からして、かなり細身の体つきだ。  男は呼吸がままならないまま何かいおうとして少し顔をあげたものの、すぐにむせるように咳き込んだ。  なるほど。にはちがいない。だが、まさかこれをうちの社殿につもりではないだろうな? -----------------→つづく

ともだちにシェアしよう!