22 / 22
終焉
翌朝、激しい泣き声と鐘の音で目を覚ます。
頭痛がひどい。体もふしぶしが痛む。板敷きで寝たためだ。私は客間や寝室に戻る気になれず、一晩社殿で過ごしていた。
社殿の戸を開けると、外が真っ白に見えて一瞬目がくらむ。日差しがすっかり強くなっている。
目がなじむと、嵐は一晩ですっかり去っていたらしく、境内には木の葉や小枝が散らばっていた。
泣き声が止んでいて、マキチが鈴緒を持ったまま驚いた顔で突っ立っている。
「えっ、先生、ここで寝てたん?」
私が何も答えずにいると、再びマキチは顔をゆがませ、おおいに泣き始めた。頭痛に響く。
「…どうしたんですか」
やっとそれだけいうと、マキチは、うーっ、うーっ、と泣くのを止めようと必死にこらえながら、嗚咽まじりで、「斎東さまが、死んだ」 といった。
やっぱり。
「タツ兄たちは、やっかいものがいなくなって、せいせいしたとかいう!」
また泣き顔に戻ろうとするマキチに、袖にあったこんぺいとうを差し出す。
「えっ、全部いいん?」
マキチはすっと泣き止んで、こんぺいとうを受け取る。さっそくがさがさと巾着袋をあけて、一粒口に放り込んだ。こりこりと音を立てて食べている。
「…斎東は…
斎東さまは、どこで見つかったんですか」
抑揚のない調子でマキチに問う。体がひどく重い。
「見つかってない。川に…おれ、見たから…うっ」
ひいひいと、今度は静かに泣き出した。
明け方、おりからの雨と昨日の嵐とで増水した川が楽しくて、マキチは川を上流へ、上流へと歩いていた。すると、大きな男が川べりに立っているのが遠くに見えた。
「斎東さまだった。着物とか、立ち方とかで、おれ、すぐわかった。」
斎東は大きな人形のようなものを持っていて、マキチが不思議に思って大声で呼ぼうとした瞬間、「“ばっ”て飛んで、川に落ちた。こわかった。」
斎東が流れる様子は見えなかったという。
「川のなかを目で探したけど、ものすごい早くて、泥水ばっかで、ぜんぜん見えなくて。見てたら、おれもいっしょに流されるかと思った。すごくこわくなって、おれ、ひとりで逃げたんだ。」
そこまでいって、また、ふうーっ、と泣き出す。
今年の雨は確かに異常だった。川が何度も氾濫しかけたと聞く。濁流に飲まれる斎東の姿を思った。
「これが落ちてた。」
差し出されたものを見て、一瞬おもわず目をつぶった。
ああ!と思う。
それは数珠の革紐がついた巾着だった。革紐は途中で切れている。
マキチはひくひく泣きながら、わざわざ中の小瓶まで出して見せた。斎東の家の家紋。
…斎東。欲しいとはいったが、お前、新品を買ってくれるんじゃなかったのか。
「紋の形が斎東さまの家のだろ?これ見せて、すぐ、みんなに、助けに行こうっていったんだ。でも、だれも、もうだめだわっていって、来てくれなかった。それ、どころか、やっかいものが死んだんなら、お、お祝いしようって、おれ、馬鹿だけど、斎東さまは、いい、ひとだってわかってるから、死んだら、悲しいのに」
馬鹿なのは下界の連中だ。斎東がいなくなって、どうやってあの鉱山を切り盛りしていくつもりなのか。当座はいいかもしれない。だが大きくなりすぎた組織は、支柱を失ったためにすぐに地盤からゆらぎ始めるだろう。
やがて雲の上から新しい上層部の連中が来て、やつらは対抗できない。権利は散り散りに切り崩される。斎東が作り上げたあの町は、もう終わりだ。
「先生、いっしょ、に川に、来て、くれ、ないかなあ。もっ、もしかしたら、斎東さま、まだ…」
そこまでいって、絶望的な状況を思い出したのか、マキチはまた激しく泣き始めた。袋からこんぺいとうが落ちそうだ。
そう。斎東はもう駄目だろう。
わかっていた。斎東は、そういうやつなのだ。
美しいものを壊すものを、斎東は、けして、…許さない。
それなのに。
昨夜、頭を軽く叩かれたとき、お前は来るな、といわれた気がした。
私も一緒になって壊したのに、私には来るなといったのだ。
あの大きな手のひらを思った。
笑い声までよみがえった。
そうすると、待ちかまえていたかのように、一気に、様々な場面が目の前に流れ出てきた。
石段の向こうに消える斎東の背中。カイの白い腕。
水の中のカイの温かさ。斎東の鬼のような目。
あじさいの前に立つ、きらきらと光るカイ。
カイと私を抱え込む斎東の長い腕の重さ。
大丈夫だといって私の頭を撫でた斎東。
風呂上りの、廊下の向こうに立つカイ。
彼らの姿はゆらゆらと目の中に浮かんで、次々に流れ落ちた。
やがてカイの澄んだ声や、斎東が笑う声が、蝉しぐれに混じってわんわんと頭に響いた。
ああ!あのときに戻りたい!
斎東の大きな傘の下で、斎東の匂いにつつまれながら、カイが斎東のもとへと必死に石段をあがっていた、あのときに。
あの美しい男たちに会いたい。
私は真剣に思った。
昨日までの私は、こんな私を、「ばかばかしい」 と笑うだろうか。
マキチはいつの間にか泣き止んでいて、私の顔を不思議そうにのぞき込んでいた。
「先生、泣いた顔も、きれいだねえ。目が、桃色と紫色で、あじさいみたい。」
この屋敷を出よう。もうここに住むのはつらすぎる。風呂場も見たくない。居間も、寝室も、客間の飾り窓や、畳の焦げた跡も、
…なにも見たくない。
そうだ。加佐井の家へ行こう。
きっと今は空き家になっている。
庭には、ハマユウの花。
それを並んでながめる、
斎東とカイがいるはずだ。
■ ■ ■ 終 ■ ■ ■ ■ ■ ■
ともだちにシェアしよう!