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第17話
なんとなくわかってはいたけれど。
「実際やられると、結構キツいなあ……」
「なにか、おっしゃいましたか?」
「い、いえ……なんでもないです」
元から何度も言い寄られ、半ば強引に始まった関係。
グイグイと押されるのは、自分が必要とされているみたいで悪くなくて、つい絆されてしまった。そう、求められているのは、自分だったはずなのに。
あっけなく、落ちてしまった。そして嵌まって、気づけば鬱陶しがられるほどのめり込んでいる。
わかっている、自分の悪い癖だ。親からも関心を持たれなかった不二夫は、構ってくれる人に弱い。
まとわりつきすぎると、相手の関心が薄らぐことはわかっているのに、やめられない。
「それなら俺の店に来いよ。染めてやるから」
髪色を落ち着かせたいと何気なく話したら、元がそう言ってくれた。始まった頃のような情熱などとっくに冷めていると感じていたから、思わぬ提案にうれしくなる。
「ほんとに? お店に行っていいの?」
「いいに決まってるだろ。俺の店だぜ」
もしかしたら、まだ少しは望みがあるのかも。
男女問わず、いろいろな人と遊んでもすぐに飽きたと言って、最後に呼び出されるのは自分だ。わずかな自負は、間違っていなかったのかも。
こうやって押し倒されるなら、まだ自分はいらなくないんだ。
――そう思っていた。
でも結局、約束の時間に、彼は店にいなかった。
その人は不思議な印象だった。
サービス業なのに愛想笑いを見せなくて、背も高いから黙っていると、ちょっと怖そう。本来なら苦手なタイプのはずなのに、すんなりと心にインプットされた。
白臣は最初に挨拶をしてからは、ほとんどしゃべらない。カラー剤を塗布する間は、彼の向かいにいる手伝いのアシスタントさんが、控えめに世間話をしてくれた。
カットを始めた今は、一心にハサミを動かしている。
時折手を止め、角度を変えて確認している時だけ、真剣な表情を見せる。そんな様子を鏡越しに盗み見ていたら、不意に目が合ってドキリとした。
そんなときも笑ったりせず、何事もなかったようにカットに戻る。
美容師は華やかな印象も強いが、技術を磨くための努力と日々の鍛錬が必要な仕事だ。かなりハードだと思う。一応元とつきあっているから、素人の不二夫にもそれくらいはわかる。
見た目が決しておしゃれじゃないわけではないのに、白臣の無骨な印象は、人の髪を扱う職人であると感じさせる。
良くも悪くも軽くて、ソフトな人とばかりつるんでいる不二夫の周りにはいないタイプだ。
髪を切り落とすハサミの音が心地よい。
相変わらずほぼ話をしないが、なぜか居心地は悪くなくて、そっと目を閉じて音に耳を澄ます。
「……がですか?」
信じられない。いつのまにか、うたた寝をしてしまったらしい。
「す、すみません! 俺、寝ちゃうなんて……」
恥ずかしくて熱くなり、手で一生懸命顔を扇ぐ。慌てている不二夫を見て、白臣がふっと笑みをこぼした。
「俺のお客様、寝てしまう人がめずらしくないです。話すのが上手くないから、間が持たなくなっちゃうみたいで」
「そ、そんなことないです。すごく居心地がよかったです」
本来ヘアサロンでは緊張してしまうタイプだから本心だ。店に入ったときもそう感じていたのに、不思議だ。
合わせ鏡で後ろ姿を確認させてもらう。退色で飛び出た毛先はカットされ、しっとりと落ち着いた、品のよいブラウンになっていた。心なしか髪のツヤも蘇っている気がする。
自分の髪を、自分を、大切にしてもらった気がする……と思い始めて、慌ててその考えを打ち消す。自分に自信がないゆえ、少しやさしくしてもらうと気になってしまうのは、本当によくない癖だ。
「……落ち着いていい色ですね。きれいにしてもらってありがとうございます」
いままでにない仕上がりに感動したことを、しどろもどろに伝えると、白臣はまた、少しだけ顔を綻ばせた。
それは、元に約束をすっぽかされてショックを受けていたことを忘れてしまうくらい、久しぶりの穏やかな時間だった。
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