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あの春から一年後のお話 6 あの春、この春
今日はあったかくなるのかな。なんかさ、ここ数日、肌寒かったから。でも、今日は温かい。裸で起き上がっても、ちっとも寒くない。
「……凪?」
「……」
「眠れないのか?」
春だから、かな。
「んーん」
英次の手があったかいから、かな。
「英次は? お腹、痛くない?」
「全然」
「ホント?」
「昨日、あんだけやってんだ。痛いわけあるか。おい、ほら、さみぃから布団に入れ」
手を引っ張られ、抗う間もなく英次の胸の上に抱きとめられた。重いだろ。っていうか、だからさ、お腹、まだ退院した翌日なんだけど?
「あったけぇ」
あったかいのは、俺のせいで、英次のせいで、春のせい。
「うん。あったかい」
貴方はちゃんとここにいてくれるって、ホッとした溜め息が布団の中でほわりと柔らかい熱になって馴染んだせい。
まだベッドにいたいって目を閉じちゃったのは、この腕の中があったかいせい。
「な、な、なっ、な」
「ほらー早く食って。俺はもう仕事行くから。今日は昼からで、帰りは遅いからな。俺」
「なっ! なんでお前がピーマンソテーしてんだっ!」
びっくりした? これ、すごくない?
「なんでって、そういう料理だからだよ。美味いよ? だから早く食べなよ」
ココナッツミルク最強なんだぜ? ピーマンのさ、にがーいとこをぜーんぶ、このまろやか風味で隠しちゃうんだ。
「仕事先にいたADさんに教わったんだ。魚とパプリカとピーマンのココナッツミルク煮。美味いっしょ?」
「……」
「食わず嫌いはダメだかんな」
「……」
そんな怖い顔したって、俺には怖くないんだかんな。何せ、生まれた瞬間から英次の後をくっ付いてたんだ。どんな顔だって慣れっこだ。
まぁ、やらしいことをしてる時のセクシーな顔は、ここ数年で知ったんだけど。
「ほら!」
「いやぁ……」
「ちゃんと食う! そんでたくさん栄養つけろ!」
「お前さぁ、中学生高校生名健全男子じゃないんだから、そんなたくさん食わなくたって」
「食う!」
はいはいと渋々、それを口に運ぶ。
「…………?」
あれ、おかしいな、の顔。
「? っ?」
やっぱ、おかしい、の顔。
「な? すっごい美味いでしょ」
「……あぁ」
美味かったことに不服顔。
「だから、言ってんじゃん。ちゃんと食ってね」
あ、すげ、珍しく寝癖ついてる。英次の頭、てっぺんより後ろんとこ。いつもビシッと決めてんのに。よっぽど熟睡できたのかもしれない。
「そんじゃー、俺、行ってくるから!」
「あぁ、ぁ、おい、凪」
「?」
指先一つで愛しい恋人を、大事な甥っ子を、こっちに来いと呼びつける不遜な叔父が、キスをくれた。
「……気をつけて」
丁寧にそう言って、笑って見送ってくれた。
「うん」
気をつけて、よく誰のうちでも気軽に言われるこの言葉だから、あまり皆そんなに気を使わず使ってる。
でも、愛しい人を、大事な人を、失うのは本当に一瞬のことだから、俺も丁寧に返事をするんだ。
「いってきます」
そして元気な声でそう言って出て行く。
「あ、桜っ」
外に出て、ちょっと行ったとこ、鉄棒にジャングルジム、滑り台に、なんか、どうしたら楽しいのかわかんないねじねじした登り棒。遊具が並ぶ公園の大きな桜の木。ぽつりぽつりと淡いピンクが咲いていた。
それを目一杯背伸びして激写しとこう。
もう食べ終わって食器を洗っているだろう英次にも見せてあげるんだ。そんで、桜の開花予想を即確認。
「おぉ、ちょうど週末じゃん」
春だった。
英次とさ、誓ったんだ。あの春の日。
「よっしゃ、そしたら、ピーマンの肉詰めでも挑戦すっか」
健やかな時も、病める時も死が二人を分かつまでっていう、あれ。
「それからぁ……ブロッコリーも身体にいいだろ」
病める時だって、そりゃ絶対に一緒にいるさ。もう予行練習っていうか、大丈夫。その辺はテキパキできる。何せ、入院の手引きなら熟読済みだし。
「ぁ、人参!」
身体にいいものいっぱい食べよう。一緒にさ。なんでもかんでも食べようって思ったんだ。ずっとずっと一緒にいたいから。
春の日だった。
「あはは、押田の奴、まだ言ってんのか。毛のことわざわざ訊くなよなー……毛は……生えて……」
愛しい人をもっとたくさん、たっくさん、愛していたいから。
あの春の日に誓った。病める時も一緒だけど、健やかな時をたくさんにしたいって、元気な足取りで、この春の日に思ったんだ。
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