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第2話

◇ 「誰でもいいです、誰か俺を滅茶苦茶に抱いてください!」  飛び込んだ店の中、開口一番そう叫んだ。 「お願いです、必要ならお金も払います! 処女だし、面倒かもしれないけど! 誰か俺を抱いてください!」  一瞬シンと静まり返った店の中は、だがあっという間に大騒ぎ。 「ちょっとちょっと、アンタ何してんの!?」 「あ、アンタが俺を抱いてくれんの?」  肩を掴まれ振り向いた先には、プロレスラーみたいなおっさんが立っている。 「馬鹿言わないで! ちょっとそこ座って!」  恐ろしい力で首根っこを掴まれ、俺はズルズルと引きずられカウンター席に座らされた。 「アンタどういうつもり!? ここはまだいい子たちばかり来る店だから良かったけど、一つ間違ったら輪姦されるかもしれないのよ!? 何をとち狂ってこんなことしてんのよ!」 「俺を抱いてくれるなら、別にそれでもいいんだよ!」  カウンターを思いっきり叩けば、ママが大きく溜め息をついた。 「何を自棄になってんの……。ちょっと話してみなさいよ、聞いてあげるから」 「べつに話なんか……」 「理由次第では、いい男紹介してあげるわよ」 「いい男じゃなくてもいいんだけど」 「良いから!」  ガチムチの筋肉だるまが、目の前で手に持っていたジャガイモひと玉を握りつぶしたから……それ以上口ごたえなんてできなかった。  俺、藤崎賢太(ふじさきけんた)が【コージ】と出逢ったのはひと月ほど前、初めてこういった場所に来た時だ。その店は今いる落ち着いた雰囲気のバーとは大分違って、ちょっとクラブっぽいところだった。  生まれてから二十五の歳を迎えた今まで、一度も自分の性的嗜好通りの恋愛をしたことが無かった俺は、随分と緊張していた。  そんな時、一番最初に声をかけてくれたのが彼だった。優しい声で、腰に手を回されて……。 「君、可愛いね。って」 「はぁ……馬鹿ね、そんな上等文句で簡単に騙されて」  生まれて初めて、恋愛対象である同性に、しかも所謂イケメンにそんなことを言われた俺は、馬鹿みたいに舞い上がってコージに惚れてしまった。  その日はコージと一緒に強くもない酒をしこたま飲んで、酔った勢いで言ってしまった。『あなたが好きです、付き合ってください』と。 「そしたら『いいよ』って、『俺の為に尽くしてくれるなら』って言われて、」  そうして流されるように始まった交際。仕事以外の時間はひたすらコージのために使った。掃除に洗濯、慣れない手料理まで頑張って過ごした一ヶ月。その間、コージが俺に触れることは一度もなくて。家を空けることも、多くて。 「今夜、ついに目の前で他の男の腰抱いて……俺の事、無料で使える家政婦だって」 「だからって、そんなクソ野郎のためにバージン安売りしてどうすんのよ」 「俺のバージンが高く売れると思う? 自分の容姿くらい分かってる!」  初めては、初めての恋人に全て捧げたくて……一夜限りなんて関係も探さず大切にしてきた。でも男同士で漫画のような自然な出逢いなんてなかったし、結局不慣れな部分につけ込まれ騙された。  そんな自分が馬鹿らしくて、虚しくて。とにかく自分の大切にしてきた清さを汚したかったのだ。  そう絞り出すように語った俺にママはまた大きく溜め息をついて、そっとカウンターの端に視線を流す。それに釣られて一緒に視線を移動させれば、今まで認識していなかった存在に気付いた。思わずビクッと体が揺れる。まさか、こんなに近くに人が居たなんて。 「(まどか)ちゃん、相手してあげなさいよ」 「は? 何で俺が」  暗めのライトに照らされた店内の、特に光が届きにくいカウンターの奥の席。そんな薄ぼんやりとした光の中でも、彼の髪が夜空みたいにキラキラと光を反射している。極限まで色を抜いた、コージの髪とは正反対だ。  痛みのない、綺麗な黒髪が彼の動きに合わせてサラリと流れる。 「アンタも自分で頼みなさいよ、こんなチャンスないわよ~? 初めてなら円ちゃんに任せるのが一番なんだから。なんたって、円ちゃんはタチ喰いのプロで、彼に抱かれたタチがこぞってバリ猫になるくらいの──」 「善次郎、余計なこと言うな」 「なによっ、本当のことなのに! 本名言わなくてもいいでしょう!?」  ママ、善次郎って言うんだ……。当然だが男らしい名前を持ってる。 「あのな、俺にだって好みってもんがあるんだよ。体がデカくて、〝俺は抱く側です〟って思いこんでる男を啼かせるのが俺は好きなの。別に処女が好きな訳じゃないし、そんな厄介ごと押し付けてくるなよ」  心底嫌そうな顔をした男は、その切れ長の瞳を細めてママを睨む。ライトの光に照らされ、長いまつ毛の影がそのきめ細かい肌に落ちた。筋の通った高い鼻に、形の良い薄い唇。クラシックな雰囲気の店にぴったりなその男は、その辺の露出した女より余程色気があった。  だからと言って女性的という訳でもなく、体のラインに沿った質のよさそうなTシャツから出る腕は、俺よりも断然男らしく筋肉がついている。スポーツでもやっているのかもしれない。  隅から隅まで魅力的なこの男が相手なら、性別なんて関係なしに難なく恋愛ができるだろう。 「だってぇ、円ちゃんが相手なら安心じゃない、変なことしないしさぁ。このまま放っておいたらこの子、本当にヤバイ奴に捕まっちゃうわよぉ?」 「それも社会勉強なんじゃないの、俺には関係ないね」  綺麗な顔に一瞬見惚れてしまっていたが、男の切り離す言い方にカチンときた。 「アンタにそんな言われ方するいわれはないんだけど。大体、俺はアンタになんて頼んでない!」 「あっそ、じゃあ好きにしたら?」  ム、ムカつく~!! 「アンタさ、上手いとか嘘なんじゃないの? 厄介ごととか言って、本当は自信が無いんだろ。もしかして、小さい……とか? あははっ! 確かに善次郎さんの方がデカそうだし、上手そうだもんな!」  男を怒らせたくて選んだ言葉は、見事男の神経を逆なでしたみたいだ。切れ長の瞳が俺を射抜いた。逆に善次郎さんは、まんざらでもない顔をしている。なんたって、名前を呼んでも怒らなかったから。  やった、怒らせたぜ! ザマァみろ! 平凡な男だからってバカにすんじゃねぇよ! 何がデカい男だよ、チビで悪かったな!  俺は睨みつけてくる男を小馬鹿にしたように鼻で笑うと、やたら高いスツールから腰をおろす。男の長い足がしっかりと床についてるのがムカつくが、俺だってやろうと思えば爪先ぐらい着けられる。そんな馬鹿みたいなことを考えながら、カウンターに背を向けようとした。 「待ちなよ、おチビちゃん」 「なっ!?」  さっきまで死ぬほど不機嫌そうな顔をしていた男が、俺の腕をしっかりと掴んでいた。その顔は恐ろしいほど綺麗な笑みを浮かべている。 「それだけ煽っておいて、ハイさよなら、はないだろう」 「なっ、なんだよ離せよ! 俺は他を探しにっ、」 「上手いかどうか、口だけじゃなくて試してみたらどうだ?」 「はぁ!? なんで俺がっ」  掴まれた腕を必死に振りほどこうとするのに、細身に見える男の手はビクともしない。それどころか男は想像以上に背が高く、まるで大木に見下ろされているようで体が竦んだ。 「なんだ、あんなに大声で抱いてくれって叫んでたくせに、まさか抱かれるのが怖いのか?」  くっく、と男がニヒルに笑う。コイツ……俺のことを……馬鹿にしてる! 「怖くなんかねぇよ! 今日だって俺は、滅茶苦茶にしてもらうために来たんだ! とんでもない淫乱になってやるんだからなぁ!」 「確か、相手は誰でもいいんだったよな?」 「ああ、とんでもないデブオヤジにだって股開いてやるよ!」 「だったら、俺でもいいわけだよな?」 「ああ! 望むところだ!」  元気よく返事をしてしまってから、全身から血の気が引いた。俺って、マジでアホだ。 「俺は桐原円(きりはらまどか)、円でいい。お前、名前は?」 「……藤崎、け……賢太」 「じゃあ、今夜はよろしくな、賢太」  俺はそのまま有無を言わさず男に腕を引かれ、店から連れ出されてしまった。

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