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第1話
つやつや輝く柔らかな銀髪をかき上げる。
頬は透き通るように艶やかで、射るような鋭い光を瑠璃色の瞳に宿している。その姿はすれ違う人の胸を焼きつけるほどに美しい。
千種 有里 はあたりを見回し、狭いワンルームに変化がないことを確認する。去年のバレンタインにプレゼントしたラメ入りの白い毛並みのテディベア。仕事用にと誕生日に渡した銀のボールペン。電化製品が多く絡んだコードを掃除がてらに整理して、注文して買ったコンセントの保護カバー。
どれも犯しがたい不可侵領域を守っている、隠しておいた凶弾だ。
瞳を光らせて、ユーリは丁寧に微細な埃まで目を通して確認していく。左端にある机の上で開かれたパソコン、資料の山、棚の上の小銭、レシート、いまにも溢れ出しそうなごみ箱は長い躯体を折り曲げて、ねばつく匂いがないか確認する。
「しゅんちゃ~ん、ごみ溜まってるよ?」
「うるさい、明日捨てるんだよ」
5つ上の幼馴染は少し棘のある声で返す。
贅肉のない均整とれた精悍な体躯を起こして、ユーリは小さなそばかすを崩して笑う写真立てを手に取る。
……可愛い。やっぱりこの写真が一番引き立ってていいな。
相好を崩して眺め、隣で映っている自分へ視線を落とすが、なんの感情も浮かばない。美しいと言われているのは慣れてる。見慣れた自分の顔など少しも興味がわかない。きょろきょろと視線を巡らせると、ふと、棚に押し込められている本に隙間ができていることに気づく。
「しゅんちゃん、誰かきた? お姉さんの聡美ちゃん? それとも友達?」
悲しげな表情で振り向いて、この部屋の宿主、久我 俊 にさりげなく質問を重ねる。
「……え!? ああ、友達だよ。手にとって読んでた気がする」
そばかすがのった顔を俯き加減に、俊は独り言のようにぼそりと呟く。
手際よくコーヒーをドリップしていき、湯気がふわふわとなびいて芳醇な香りが鼻についた。大手電機メーカーに勤めるこのそばかす顔の男、久我 俊 はもっぱら在宅勤務に勤しんでいる。趣味は珈琲。クリスマスに贈ったミルで、その日の気分に合わせて丁寧に手挽きして毎朝飲んでいる。
粗びき、中挽き、細挽き、極細挽きの四段階を抽出器具に合わせて挽きわけようと懸命になる姿は眩しい。最近は手際もよくなり慣れてきたようで、挽いた粒の大きさも均一になって雑味のない味に変化しつつあった。満足がいく珈琲を飲んで、俊は夕方まで引きこもって仕事する。
そんな平々凡々とした暮らしを繰り返す幼馴染の家にユーリは週二、三回ほど訪れている。
「ふ~ん、しゅんちゃん友達なんていたんだ? だあれ? 僕にも紹介してよ」
にこやかな微笑を包んだような眼差しを向けて、ゆっくりと獲物を狙うように視線を巡らせる。いつもの場所にあった雑誌が一冊だけ、皺のよった毛布の上に投げ出されていた。普段読むことのないファッション雑誌。この部屋の主が読むわけがないのは知っている。光沢を帯びた表紙は艶然と笑みを浮かべて、長い脚を悠然と組んでいる自分がいた。
しゅんちゃん、褒めて! と、一冊だけ本棚に押し込んだ遠い記憶が残りながらも、ベッドに腰掛けて手にとる。
「やだよ。おまえに紹介したら、惚れられる」
「じゃあ女の子か。そっかぁ、しゅんちゃんにそんな人いたんだ。知らなかったな」
「そりゃ、もうすぐで三十路だしな。はい、珈琲。砂糖とミルクたっぷりいれといた」
「ん、ありがとう♡ やっぱりしゅんちゃんのあま~い珈琲だいすき♡」
「本当いつまでも子供だな」
俊は口許を緩めると小さく笑って、ユーリの足元に座って、ベッドに背もたれる。真っ黒な黒髪に藍色の瞳。どこにでもいる平凡な顔立ちに、そばかすが野暮ったさを増して広がっている。
「ねぇねぇ、今日のごはんなに? 一緒にお買い物しにいく? 和食にして、お味噌汁の具はなめこと木綿豆腐にしてもらってもいい?」
「注文多すぎだな。材料は用意してるから外にはいかない」
「ちぇ~! しゅんちゃんとデートしたかった! カゴ持ちながら、一緒に野菜選びたかったなぁ」
「春菊もわからない奴がなに言ってるんだよ」
「あ〜、馬鹿にしたね? でもしゅんちゃんがいないと生きていけない気がする♡」
「あほか、こども図鑑でも買ってまなべ」
「えーん、しゅんちゃん、ひどい♡」
ごろりとベッドに体を投げだして横たわり、頬を膨らませる。高い鼻梁と長い睫毛が揺れ動き、くんくんと洗ったばかりのシーツに鼻を鳴らす。
……三日前にシーツ洗ったばかりなのに、どうして?
頭が痛くなるような、人工的な甘い果実の匂いに綺麗な顔が歪む。俊はベッドの下に腰掛けて、和やかな顔でブラックコーヒーに口をつけていた。ひょいと、体を起こして俊の背中にだきついた。
「重い……」
「しゅんちゃん、今日の晩ごはん一緒に作ろう? 僕皮むき包丁できるようになったんだよ? ちゃんとチェックしてくれる?」
「はいはい、わかった。わかった」
「嬉しい、しゅんちゃん♡ そういえばその友達、泊まったの? 僕のもの、邪魔じゃなかった?」
服や洗顔剤、シャンプーを持ち込んでは置いていっている。歯ブラシも俊のコップに入れて、俊の部屋はユーリの荷物が半分以上隠れていた。
「え? ああ、すぐに帰ったよ」
「そうなんだ♡ 僕も会いたい。しゅんちゃんの友達大事にしたいもん。今度会わせてよ♡」
「やだよ。みんな、おまえの顔みて夢中になるんだ。秒で惚れるんだぜ? 俺が童貞なのも全部おまえのせいだ」
「えええ! ひどい~! あ、俊ちゃん、バレンタインとかどうするの? その子とデート?」
「しないよ、家にいる」
「じゃあ、僕、とびっきりの手作りチョコを持ってきてあげる。一緒に食べよ?」
「あー、わかった。俺もご飯作って待ってる」
斑点のようなそばかすを向けられ、ユーリは極上の笑みを浮かべた。
「しゅんちゃん、大好き♡ ねぇ、ゲームしようよ」
「おまえ、後ろにひっついてくるからやだ」
「えぇ! だってこの部屋狭いからさ、しゅんちゃん抱っこしてないと落ち着かないんだもん♡」
「本当、子供だ。甘えん坊め」
かたい身体に絡みついて、ユーリは俊に抱きつくと首筋に顔を埋める。汗の匂いがして、べろりと舐めとる。
「しょっぱい」
「うわわわ! やめろ! くすぐったいだろ!」
俊は慌てて体をひくが離さない。他の女なら、ここでキスして、後ろのベッドへとダイブするのだがそんな雰囲気など微塵も感じられない。
老若男女魅了してきた完璧な容姿。母がフィンランド人、父が日本人という類まれな美形に俊は近所の子供が遊びにきたように接する。オムツをかえてやった仲だぞ? と、いつも自慢げに話す俊に、ユーリはそっか、なら責任とってね? と返答してしまう。
「しゅんちゃん、僕、大人だよ?」
「そういう風に甘えてくるところが子供なんだよ。はやく彼女でも作れつうの。おまえならすぐできるだろ? 俺みたいなそばかすなんてないし、綺麗な顔立ちしてるんだからモテるだろう? 昔なんて、フランス人形みたいに可愛い可愛い言われてたじゃないか」
「いまは逞しくなったもん。みんな、筋肉かっこいいねって褒めてくれるよ? 腹筋だって割れているし、こないだは下着モデルもやったんだよ?」
ぎゅっと抱き締めても、俊は溜息をついてマグカップに口を寄せている。苦いブラックの香りがして、ユーリの端正整った顔が歪んだ。
「なに?」
五つ上の幼馴染、久我俊はちいさな斑点を広げた顔で困ったように見上げてくる。コンプレックスに思ってるのか、このそばかすが無ければモテるかもしれないといつも鏡にぶつぶつ言っている。
「はあああ、しゅんちゃん可愛い!」
「や、め、ろ。あ、そういえばさ、こないだうちの会社のCM出ただろ?」
「みたの!? どうだった!?」
「チャットで流れてきて、女子社員は仕事よりそっちの話ばっかりだった」
「そう? しゅんちゃんはどう思った?」
「うん? 格好いいんじゃないかな。よく撮れてる。ロケ場所ってどこ?」
表情もかえずに、冷淡な評論家風に話すそばかす。憎さあまって可愛さ百万倍なので、すぐに舐め尽くしたくなる。ユーリはこみ上げてくる欲を抑えつつ、俊にのしかかり、重みをのせた。俊もいつものことなので、慣れたのか邪見にせずに珈琲を飲み続けて味をじっくりと堪能する。
「たしか、豊洲だった気がする。しゅんちゃん、ロケ場所いつもチェックしてるよね。可愛い♡」
「知ってる場所があると、楽しいんだよ。ずっと在宅勤務だし、そろそろ飽きた。同期なんてたまに出勤だって嘆いてるけど、羨ましくなるよ」
「しゅんちゃんはずっと家にいてよ〜! いつでもここにいるって思うと安心する♡」
「やだよ。そろそろ、電車乗りたい。あ、そうそう、この部屋さ、引っ越そうと思ってる」
「え!? どうして!?」
ユーリは俊を抱き寄せて、耳朶に唇を触れるか触れないかの距離で驚いた声をあげた。俊は平然として、ユーリの整った顔から逃げようとするので腕の力を強めた。
「でるんだよ」
「でる?」
「その、ゆーれい。視線をさ、感じる」
俊は引きつった顔で身をすくめる。ぶるっと震えたのか、肩が揺れた。ユーリは口元緩めて、俊の頬の横にあるそばかすにキスをした。
「そうなの? なら、きょう泊まってあげる。しゅんちゃんの家にいる幽霊みてみたい♡」
「はあ? 別にいいよ」
「幽霊とか気になるんだもん、一緒にねよ?」
透き通る睫毛を伏せて、潤んでコバルトブルーに煌めく瞳を近づける。この美貌で無視できる人物は姉と母親しかいない。
「う……。わかった」
墨のような珈琲を飲み流して、俊は目を細めてこくりと頷いた。
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