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(11)エピローグ
この日を境に、魔物はこの世界に生まれなくなった。
魔物化していた動物達は元には戻らなかったが、それは騎士達が今まで通りに討伐してゆけば、そのうち全てを倒せるだろう。
国王はリンデルを真の勇者として誉め讃えた。
パレードを催し、各地にも像を立てよう、とお偉方は大層盛り上がった。
周辺諸国にも、魔物騒動をおさめた国としてその力を誇示したいらしく、リンデルをそれはそれは盛大に祭り上げようとしたが、リンデルは正直勘弁してほしかった。
これ以上目立って、カースと共に過ごせないのでは困る。
そんなわけで、リンデルは代役を立てた。
幸運なことに、現勇者であるリンデルの部下は自他共に認める目立ちたがり屋で、勇者になって目立ちたいが故に厳しい稽古も乗り越えてきたことを、勇者隊の者は皆知っていた。
話を持ちかけたところ、勇者は嬉々としてリンデルの願いを聞き、魔物の根絶を果たしたのは彼だということになった。
そうして、後の面倒事を全て彼に丸投げすると、リンデルとロッソはカースの待つ村へ戻るべく王都を発った。
「……私は、このような素晴らしい方にお仕えすることが出来て……、大変光栄です……」
鳥に跨るリンデルの後ろで、同じく鳥に跨ったロッソがぽつりと呟くのを、リンデルは苦笑しながら聞き流した。
カースの村までの道すがら、もう何度聞いただろう。
どうやら、リンデルが王に賞賛され、お偉方にちやほやされるのを見て、ロッソは自分の主人は何て素晴らしい人なのかと無駄に感極まってしまったらしい。
どうにもロッソは権力に弱いな……。とリンデルは思う。
自身の心を殺してまで、国のために仕える事を強制されてきたからだろうか。
リンデルにはよく分からなかったが、とにかくロッソは妙に舞い上がってしまっていた。
そんなわけで、一見無表情に後ろをついて来る従者の、時折溢れる呟きに、リンデルは苦笑するほかなかった。
リンデルは一応人目避けにフード付きのケープを羽織っているが、初夏を過ぎた今、この格好は暑くて仕方がない。
しかし、こうやって人目から逃れるように暮らすのも、もうしばらくだろう。
あいつが大々的に祭り上げられてくれれば、先代である俺のは影はもっと薄れるだろう。とリンデルは思う。
ロッソは流石の調整力で、城に滞在したほんの一週間ほどで孤児院を建てるための手筈をほとんど整えていた。
あとは、この村の土地を押さえて村長の許可を得るだけだったが、それも国王の名義でいただいた推薦状があれば難しくないだろう。
各都市へ、国からのお達しとして魔物で家族を亡くし困っている子がいれば知らせるようにとの通達も出しておいてくれたらしい。
その分施設には『元勇者の王立』孤児院という前置きが加えられることになってしまったが、そのくらいは仕方ないと思おう。
なにせ「そう言うことなら」と国から孤児院のための寄付金をたくさんいただいてしまった。
きっと、これから先、魔物で家族を失う者はずっと減るだろう。
二十年ほどもすれば、孤児院はたたむことになるのかも知れない。
そうしたら、カースとゆっくり過ごしたいな。とリンデルは思う。
その頃には、あの真っ黒なカースの髪もその色を変えているのだろうか。
きっとカースなら、渋くてかっこいいおじいさんになるんだろうな。とリンデルはぼんやり想像する。
急げば、明日の夜遅くにはカースの村に辿りつけるだろうか。
もうずいぶん長い事、カースの顔を見ていない。
あの微笑みに、あの髪に、あの肌に、触れたいと思う。
どうしようもなく感じてしまう寂しさが、リンデルの胸を絞る。
思わず見上げた空は、青く透き通っていた。
リンデルはこの青空のようなカースの瞳が大好きだった。
カースの記憶を失ってから、リンデルは寂しい時にはいつも空を見上げていた。
それが、カースを求めての行動だったと気付いたのは、つい最近だ。
カースがその水色を失って、リンデルは初めてわかった。
今まで空の青がこんなにも美しく見えていたのは、カースの瞳と重なっていたからだ。と。
カースは、北の山を降りる道中、リンデルの前で一度も左眼の包帯を解かなかった。
包帯を替えようかと誘っても、リンデルが留守の間に済ませたと言われる。
確かに、魔物に遭遇したり、薪を拾ったり、水を汲んだりで、男を一人にしてしまう時間はあったが、それでも森を抜ける頃にはリンデルもそれに気付いていた。
「……カース、左眼、見せてもらってもいい?」
その日、夕食を終えたリンデルは男のすぐ傍に座ると、そっと尋ねた。
焚き火に照らされて、金色の瞳が揺らめく。
「……どうしてもか?」
木に背を預けていた男が、ゆっくりと身体を起こしつつ聞き返した。
それはまるで、覚悟はできているのか、と問うているようだった。
「うん……。どうしても」
リンデルの言葉に、男はどこか残念そうな顔で包帯を解いた。
そこには空色をわずかに外側に残しつつも、その内を白く曇らせた男の瞳があった。
ごくりと、リンデルが声に出せない叫びを飲み込む。
「……カース、その眼……」
見えないのかと聞きたかった。
けれどそれを口にするのは、あまりにも怖かった。
カースは変わってしまった左眼をリンデルに見せたくないのか、すぐに包帯を巻き直し始める。
「いいんだよ、こんなの。お前が無事なら、それで」
なんでもないようにカースは言った。
「そんなのって…………」
言葉を失ったままのリンデルへ、カースはじわりと罪悪感を滲ませると寂しげに苦笑した。
「……悪ぃな。お前の好きな色、だったのにな……」
「……っ」
リンデルが息をのむ。
「違う……っ! 違うよカースっ、謝らないといけないのは俺の方で、カースは悪いことなんて何も……っ」
カースは、片腕でリンデルの顎を引き寄せると口付けた。
リンデルが黙ると、男はそっと顔を離す。
「……もういい」
「……」
リンデルは口を噤んだ。
何かを言えば言うほど、きっと男は辛くなる。
ぎゅっと唇を噛み締める。
けれど、同じようにぎゅっと目を瞑っても、涙は堪えきれなかった。
ぽた。とリンデルの握りしめた拳に水滴が落ちて、カースはリンデルの落としたそれを指で拭った。
俯くリンデルの頬を伝う涙を、男がそっと舐める。
リンデルは、男を濡れた瞳で見上げた。
カースはリンデルを宥めるように、笑ってみせる。
森色の瞳に滲む痛み。苦笑のようなその笑顔に、リンデルは堪えきれず心が軋んだ。
「……これでもう、なんの取り柄もねぇおっさんになっちまったな」
カースが自嘲と共に零した言葉に、リンデルとロッソが力一杯反論した。
「「そんなこと」」ないよっ!!」ありませんっ!!」
二人同時に叫ばれて、カースがたじろぐ。
「カースは、料理もできるし、子どもあやすのも上手いし、なんでも知ってるし、釣りとかもできるし、すっごく優しいし、めちゃくちゃかっこいいしっ、とっても色っぽくってえっちだよっっっ」
「幼い子の扱いはもちろんですし、お料理の腕前も、博識でいらっしゃるのももちろんですが、計算もお早いですし、字もお上手で、気配りにも長けてらして、この先の孤児院運営になくてはならない方ですっっ」
二人から一気に褒められて、カースが唖然とする。
内容は大分かぶっていた気がするし、リンデルの最後の方なんて……、なんなんだ、それは。
カースは吹き出しそうになるのを一瞬堪えてから、声を上げて笑った。
リンデルはその鮮やかな笑顔に息をするのも忘れて見惚れる。
ロッソも初めて見た男の楽しげな笑顔に、心を奪われていた。
カースはひとしきり笑うと、森色の目尻に滲んだ涙を擦りながら言った。
「わかった。わかったから、ロッソはひとまず座れ。傷に障るぞ」
言われてロッソが一瞬ハッとした顔をしてから座る。
リンデルがそんな従者の反応に、自分と同じくカースに見惚れていたのだと気付く。
「お前らの気持ちは十分わかった」
そこまで言って、カースは視線を少し彷徨わせてから、意を決したようにこちらを向いて、でも少しだけ俯いて言った。
「……ありがとう、な……」
『こんな俺に』とは、カースはもう言わなかった。
この二人がこんなに評価してくれているのに、自虐的な事を口にするのは失礼なのだと分かったから。
浅黒い頬がほんのり染まるのを見て、リンデルが飛びつく。
「カースっ!」
ロッソは、そんな主人をどこか羨ましそうに眺めていた。
カースは気まぐれに腕を伸ばしてみた。
呼んでも来ないような気がしたのだが、意外にもロッソは一瞬嬉しそうに瞳を輝かせると、素直にそこへ飛び込んだ。
「えっ、なんでロッソも!?」
リンデルが慌てる。
「お許しいただきましたので」
ロッソが、いつもよりどこか嬉しそうな顔で、しかしさらりと答える。
カースの腕に抱きとめられているロッソを、リンデルが羨ましそうに眺める。
リンデルが飛びついた側には腕が無い。
「おいおい、仲良くしてくれよ」
カースがどうにも参った様子で苦笑を浮かべた。
細められた森の色が焚き火に照らされ宝石のように煌めくのを、二人は男の胸元で息を詰めて見る。
「……カースぅ……」
リンデルの甘えたような声に、カースは嫌な予感を感じつつ答える。
「……なんだ?」
「……しよ?」
「お前なぁ……」
とカースはため息を吐く。
「まだ外だろ。魔物もうろついてるし、人里も近い。もうちょっと我慢しろ」
「ん…………じゃあ、帰ったらしようね?」
男を上目遣いで見上げるリンデルは、残念そうではあったが反論はしなかった。
答えを分かった上での発言だったのだろう。
「主人様、私との約束をお忘れですか?」
すぐ隣からの冷たい声に、リンデルはギクリと肩を揺らす。
「?」
カースの怪訝そうな視線を受けて、リンデルがなんと言ったものかと悩む。
ロッソはそんな主人を楽しそうに眺めながら、続けた。
「戻ったら続きをと、お約束してくださいました」
カースの森色の瞳が半分になった。
じとりと半眼で見下ろされ、リンデルが冷や汗を浮かべつつ答える。
「ほら、それは、カースが良いって言ったらで……」
「俺はもう、お前に返事をしてるよな?」
カースに即座に返されて、リンデルが眉を寄せる。
「っ、でもっ、本当は嫌じゃないの!? 俺はカースの正直な気持ちが知りたいよ!」
潤んだ瞳で見上げられ、カースは小さく舌打ちをする。
「正直、か……」
カースがそれはもう盛大にため息を吐く。
「正直な……、嫌だと思う部分もあるが、それ以上に、俺は! お前に毎日求められる方がキツイんだよ!!」
珍しく声を荒げるカースに怒鳴られても、臆することなくリンデルは首を傾げる。
「……身体が?」
「決まってんだろ」
答えて、男は言葉よりもずっと優しく金色の青年の額に口付ける。
リンデルは目を細めて、くすぐったそうに、けれど嬉しそうに口元を弛ませる。
「俺をいくつだと思ってんだ……」
「えーと、五十二?」
男のため息のような呟きに、リンデルはそのまま数字を返した。
「いや、歳を聞いてんじゃねぇんだよ。ってか、分かってんだったら、もうちょい加減してくれよ……」
男がぐったりと項垂れる。
ロッソはそんな男の様子に身に覚えがあり過ぎて、目の前に来た頭をそっと撫でた。
カースがそれに気付いてか、ロッソに顔を向ける。
「だから、お前は俺に遠慮しなくていい。あいつの相手をしてやってくれ……」
心底疲れたように、カースが言った。
「はっ、はいっ。私でよろしいのでしたら、喜んでっ」
ロッソが慌てて居住まいを正し、カースに礼の姿勢を取る。
ほんの少し頬を染めるロッソから滲み出ている喜びに、カースが苦笑を浮かべる。
「ただ、乱暴にするのだけはやめてくれよ?」
釘を刺されて、今度はロッソが青くなった。
「はい! 決して!!」
しかと誓うように宣言され、カースは『それでいい』とばかりに目を細めた。
「じゃあさ、帰ったら、三人でしようよ」
リンデルが、さも良い考えだとばかりにポンと手を叩いて言う。
「!?」
ロッソは狼狽えた顔をするが、そこに否定的な色はない。
「いや。俺を巻き込まなくていい」
カースがきっぱり断るも、リンデルは食い下がる。
「ええー、そんなこと言わないで、カースも一緒にしようよ。俺カースが辛くないようにするからさ……」
リンデルが縋るように胸元に頬を擦り寄せる。
しかし、今までの事を思うと、その言葉を信じるべきではない。とカースは思う。
だというのに、反対側ではロッソも無言でコクコクと頷いている。
そんな二人を見る限り、この提案が数日後には現実になりそうな気がして、カースは低く呻いた。
「お前ら……。帰った日くらい、ゆっくり寝かせてくれ……」
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「あのっ! すみませんっ!!」
突然背後から声をかけられて、リンデルは鳥の手綱を引いた。
カースのことを考えるのに夢中になっていて、人の気配に気付くのが遅れてしまったようだ。
反省しつつ振り返ると、そこには二十歳を過ぎたくらいの見慣れない青年が立っていた。
「もしかして、あのっ、勇者様……じゃないですか!?」
人違いだったらごめんなさいっ。と謝りながら尋ねる青年に、リンデルは慎重に答える。
「……そうだとしたら、何かな?」
「やっぱり!!」
青年は跳び上がって破顔した。
嬉しそうなその姿に、リンデルは青年に害意はないと見て鳥から降りる。
山道に差し掛かりそうなこの場所の周囲には、他に人の気配も魔物の気配も感じなかった。
ロッソも、警戒を怠らないよう気を張り巡らせながらも、それに従う。
「俺っ、あ、僕は、以前勇者様に助けられたことがあって、そのっ! お礼が言いたくてっっ!!」
リンデルはフードを外して笑顔を見せる。
ずいぶん昔の事ではあったが、なんとかこの青年を思い出すことが出来た。
「ああ、そうか……。君は妹さんを守ってた、お兄さんの方だね」
先ほど通り過ぎた村には、現役の頃、討伐に訪れたことがあった。
まだ勇者になったばかりの頃で、ロッソに相当手を焼かせてしまっていた時期だ。
「覚えていてくださったんですかっ!?」
青年が嬉しそうにまた跳ねた。
「けれど……、君達からはちゃんとお礼を言ってもらったよ?」
リンデルが疑問を口にする。
「一度くらいじゃ足りませんっっ。俺っ、あっ、僕も、妹も、こうやって暮らせているのは勇者様のおかげだって、毎日感謝してるんです!!」
「……そうか。ありがとう……」
くすぐったそうに目を細めるリンデルの金色に輝く笑顔に、青年が心奪われる。
「………………ぁ……」
「?」
呆然としてしまった青年に、リンデルが笑顔のまま小さく首を傾げる。
ハッと我に返った青年が、僅かに頬を染めて伝える。
「いっ、いやっ、お礼を言うのは俺の方でっっ!!」
あっ僕だっっ。と青年が慣れない一人称にあたふたする姿に、リンデルは勇者就任当時の自分を僅かに重ねる。
「本当にっっ、本当の本当の本っ当ーーーーーーーーーーーっっっにっっありがとうございましたっっ!!」
力の篭った礼に、リンデルは苦笑を飲み込み、極めて勇者らしく微笑む。
「当然の事をしたまでだ」
それは、いままで何度口にしたか分からない、勇者として決められた返答の一文だった。
リンデルは少し考えてから、もう一言添える。
「君を助けることが出来たのなら、私もとても嬉しいよ」
もう俺は勇者じゃない。俺の気持ちを添えたって許されるだろう。
そんな元勇者の姿に、ロッソは微かに目を細める。
思いがけない言葉とその柔らかな表情に、青年が顔を赤く染めつつも必死で伝える。
「おっ、俺っっじゃなくて僕っっ!! 勇者様の幸せを祈ってますっっ!! ずっとずっと、一生っ!!」
熱く伝えられて、リンデルは顔に出さないまでも、驚いた。
一生、自分の幸せを祈ってくれると彼は言った。
今までも、毎日感謝していたと言ってくれた。
ほんの一度だけ、人生でほんの少しの間、関わっただけの自分に。
なんて有難い事なのだろうか。
自分が知らないところでまでも、大勢の人に幸せを願われているのだという事を、リンデルは再度実感する。
俺は、なんて幸せ者なんだろうか。
リンデルは、自身に絡み付く数え切れないほどの見えない鎖を見る。
そこから、たくさんの愛が注がれていた事に、その愛のおかげで、ケルトを愛せたという事に、リンデルはもう一度気付き直す。
真なる勇者の顔をして、リンデルは金色の髪を日差しに煌めかせると、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう。私も君の幸せを祈っているよ」
全力で手を振る青年に見送られて、リンデル達はまた鳥を進める。
リンデルが、誰よりもその幸せを祈っている、男の元へ。
リンデルが、心を囚われたままの、人の元へ。
今度こそ、二人で……いや、皆で。
互いに鎖をかけあって、互いに囚われあって。
幸せだと、笑いながら生きるためにーー……。
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