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第1話 猟犬様より、愛を込めて①

小鳥遊希望はやや大きな体格と黒髪だが耳や尻尾は薄いクリーム色という少し変わった毛並み、キラキラと輝く蜂蜜色の瞳を持った血統書付きのわんこである。人懐っこく好奇心の強い性格だが、ふわふわの尻尾は大好きな人にしか触らせないという、気高きわんこなのだ。    いつもは歌を歌って楽しく過ごしている希望は今、とても怒っていた。垂れ耳がピンッと立ち、尻尾もぶわりと怒りに燃えている。  希望の兄弟、希美をいじめているやつがいた。  希美は希望と同じ顔立ちで、耳も元々は垂れ耳だったが、猟犬になる際の断耳という儀式によって、今は凛々しく立っている。ふわふわと柔らかい毛並みの希望と違って、艷やかな黒い毛並みは若くして威厳さえ感じさせた。落ち着きあって優しく、紳士的な希美は、自慢の兄弟だった。  その希美が唸り声を上げ、牙を剥く。一大事に違いない。いつも優しい希美が怒っているのだから、きっと目の前にいる大きくて黒いあいつが悪いのだ。希望のいるところからはその広い背中と大きく立派な尻尾しか見えないが、噂は聞いたことがある。希美からも、少し話を聞いていた。  あれが、『ライさん』に違いない。  軍で一番の猟犬だかなんだか知らないが、「絶対に近づくな、目を合わすな、話しかけるな、見かけたらすぐ逃げろ」と希美が教えてくれた。大きくて強くて黒くて、見た目通り悪いやつだ。希美がそう言うなら、きっとそうなんだ。  近づくな、と希美に強く言われていたが、希望は走り出した。  希美の後ろにはユキさんがいた。白く煌めくような美しい毛並みとその毛並みに相応しい美貌を兼ね備えた、希美の恋人の猟犬である。ユキさんは優しくて綺麗だから、あの黒くてでかくて悪いやつに狙われたのかもしれない。だから希美は怒っているのかも。  理由はどうあれ、大事な兄弟が希美が威嚇している。ピンチである。希望の大好きなユキさんもいる。  希望は『ライさん』の前に飛び出した。   「希美をいじめるなっ! 許さないぞ!!」    きゃんきゃんっと吠えた希望を、『ライさん』が見下ろした。  恐ろしく暗く、深く、鋭い眼差しだった。今までに見たことがないくらい冷たい眼差しに、圧倒的な力の差を一瞬で見せつけられる。本能的にびくりと体が震えた。耳がぺたり、と垂れ下がり、尻尾が身を守るように足の間にくるりと隠れてしまう。自分より上位の雄を前にしては当然の反応だ。かつて四足歩行をしていた祖先の時代からの名残で、上下関係を瞬時に判断する能力が強く残っていた。だが、希望は気丈にも睨み返した。  猟犬にはなれなくとも、猟犬の血筋を誇る希望である。自分よりも大きく、強い敵がいたとしても、逃げ出すことなど考えられなかった。一歩も引かずに、黄金の瞳でライを捕らえ続けている。  希望の勇猛果敢な行動を、周囲が息を飲んで見守っていた。張り詰めた空気の中、最初に動いたのは、なんとライだった。  珍しく僅かに目を見開いたかと思うと、しばらくじいっと希望を見つめる。それから、一歩一歩、ゆっくりとした動きで歩き出した。  ブーツの固く重い足音と、ゆらりゆらり、と不気味に揺れる黒い尻尾が近づいてきても、希望は目を離さない。    来るなら来い! 希美とユキさんを守るんだ!    奮い立つ心を示すように、尻尾が再び天に向かってビシッと立ち上がった。        数分後、去っていく黒い背中と尻尾を見つめて、希望は途方に暮れていた。  ライは希望にすぐ触れそうな距離まで近づいてきた。けれど、しばらく睨み合った後、ライが差し出してきたのは先程仕留めてきたばかりの獲物だった。まるまるとしたキジは大きさも申し分なく、一撃で仕留めたのか傷は少なく、肉の傷みはほとんど見られない。  戸惑う希望に、半ば押し付けるようにして、ライはあっさり踵を返して去ってしまった。  いったいどういうことなんだ?何が起きたんだ?空から雷獣でも降ってくるのか?  ライの“戯れ”を阻んだ仔犬が無事であることに、周囲の者たちはざわめいていた。  しかし、周囲の混乱以上に戸惑っていたのは希望だ。  猟犬が上等な獲物を差し出す。  この行為の意味がわからないほど希望は幼くはなかった。  けれど、今はその意味にたどり着くまで時間が掛かりそうだ。   「……お、美味しそう……」    最強の猟犬様からの突然の求愛は、ただただ希望を混乱させたのだった。

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