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第7話 猟犬様の獲物は②
ライが歩くと道が拓く。
はしゃいでいた仔犬たちも、威張り散らしていた猟犬たちも避けていく。息を潜めるようにひっそりと様子を窺い、尻尾が丸まり、耳もぺたんと垂れてしまった。みんな仔犬になったみたいだ。
希望はライの後ろを、一歩下がって歩いていた。ライに向けられていた畏怖の視線は希望の存在に気付くと、疑問と好奇に変わる。
希望は知る由もないことだが、最強の猟犬と、彼の〝お気に入り〟らしいと噂される仔犬の組み合わせは、見る者の想像と妄想を駆り立てた。
希望も目立った容姿をしているから、視線を集めることには慣れているつもりだった。しかし、今日は種類が違う。いつもみたいな暖かくきらきらとしたものではなく、じっとりと重たく、澱んでいる。
ジロジロと値踏みするような無遠慮な視線が纏わりつき、嫉妬と羨望を煮詰めた眼差しは肌を刺すようだ。希望の足取りも重くなっていく。
希望は少し俯いて、視線から逃れるようにライの足元を見つめた。
……逃げちゃおっかなぁ。
希望は少し本気で考える。
ライが希美に向けているであろう、怖い顔を見てから急激に気分が沈んでいった。自分でも気付かないうちに、相当浮かれていたようだ。
怖いと恐れていた人に誘われてのこのこついてきて、猟犬になれないのに猟犬みたいな格好をして、ライの目にはどう映っているのだろうか。
周囲の視線も「何を勘違いしているんだ?」と言っているようで、夢から醒めた心地だった。
以前からかわれて逃げ出してしまったことは、もちろん反省している。さすがに何度も何も言わずに逃げるのは失礼だ。
だから、きっぱり、きっちり、断って、正々堂々逃げようかな、とライの隙を窺っていた。
「……どうした?」
「ひゃっ!」
希望が顔を上げると、ライが立ち止まっていた。じっと見下されて、希望の耳がふるふる震える。
「何を考えてた?」
「な、なんでもないです……」
「……」
ライはじっと希望を見つめる。思惑を見透かされるのではないかと思って、希望は俯いてしまう。
だが、急に肩を力強く抱き寄せられて、驚いて顔を上げた。
ライは周囲を鋭い眼差しで見回していた。たった一回だ。それだけで、周囲は視線を逸らし、慌てて立ち去っていく。
希望は、ぽかん、としていたが、ハッとしてライに視線を戻した。
「ありがとう」と言葉が出る前に、ライは希望の肩をぱっと離して、歩いていく。眼差し一つで、空気を変えてしまったのに、何事もなかったように進んでいってしまった。
かっ……かっこいい……。
希望はその背中を、しっとり熱を帯びた瞳で、見つめていた。
だが、またハッとして、唇を噛み締めた。
くっ、くそぉっ!
これがそっちの意味でもNo.1の猟犬……!!
やはり見透かされていたのだという恥ずかしさと悔しさはある。けれど、希望には少し怖くて重苦しかった視線は容易く跳ね除けられて、心も体も軽くなったのは事実だ。
恥ずかしさや悔しさ以上に、淡いときめきで満ち溢れていた。心なしか頬に熱が集まっている。
頬の赤さを誤魔化すように、そして、正気を取り戻せと気合を入れるように、希望がバシバシと両頬を叩く。希望の不審な行動に気づいて、ライは首を傾げていたが、希望はそれどころではなかった。
「ライ・ガーランドォ!」
ときめきの余韻の最中、突然の声に希望はびくっと肩を震わせて、前方に目を向けた。今度は何事だ、と思わずライに駆け寄ってくっついてしまう。
誰もが、ライの為に道を空けていた。
その道の真ん中を、ズシン、ズシンとやたら堂々と歩いてくる大きな猟犬がいる。
肩から腕の筋肉は異様に膨れ上がって、どこから首かわからない。体の横幅と顔の大きさはライの二倍以上はあるだろうか。身長もライが見上げるほど高い。
けれど、希望がふと下を見ると、足の長さはライの3分の2程度だった。びっくりして、思わず交互に見比べてしまった。
しかし、比較対象のライはその類稀なる容姿を『創造主の本気』『女神の最高傑作の一つ』と称されているのだ。比べるのは可哀想だ。希望は何事もなかったように顔を上げた。
その猟犬の角張った顔の真ん中には大きな鼻がどっしり居座っている。その上の窪みで、ぎょろり、と目玉が希望に向いた。にやりと下卑た笑みで、歪な並びの歯と牙が露わになる。
「今日はまた随分と可愛いお嬢ちゃんを連れてるなぁ? 今度貸してくれよ」
希望は猟犬を睨みつけた。
可愛いと言われることは好きだが、希望は雌に間違われるような顔つきや体型をしていない。同世代の仔犬の中でも背は高いし、ライほどではないとはいえ、どちらかといえば逞しいと言われる体格だ。
それをあえて『可愛いお嬢ちゃん』と呼んだということは、明らかに希望への侮辱と、ライへの挑発が含まれている。
希望は愛と平和を歌う平和主義だ。喧嘩は好まない。しかし、誇り高き血統書付きのわんこなのである。誇りを穢す者を許してはならない。
希望は目をキリッと吊り上げる。ライから離れて、前に出ようと一歩踏み出した。
しかし、急に視界を真っ黒に覆われ、動きを止める。
「持ってろ」
「わっ!? え? なに!?」
ライの声とともに、バサリと何かに頭から覆われて、ジタバタもがく。覆ったものを両手で掴むと、自分から引き剥がした。
ぷはっ、と顔を出したのと同時だった。目の前に大きな影が倒れ込んできて、ズシン、と鈍い音が響いた。
「え!? ええ!?」
希望は思わず手に持っていたものを抱きしめる。
先程まで威勢の良かった猟犬はうつ伏せに倒れていた。白目を剥いて、時折ビクッ、ビクッ、と小さく痙攣している。
希望が目をパチクリさせていると、ライの手が希望の持っていたものを掴んだ。軍服の上着だ。ライが着ていたものだろう。自分に被せられた大きく黒いものはこれだったんだと希望はやっと気付いた。
また、周囲のざわめきから、自分の視界が遮られた一瞬で、下卑た猟犬はライに敗北したらしいと悟った。
いったいどうやって? どうして? と希望が目を丸くしている。しかし、ライは上着を羽織ると、何事もなかったかのように歩き始めた。倒れた猟犬の横を通り過ぎていくのを、希望も慌てて追いかける。
「あっあの、ありがと……」
「? なにが?」
ライは少し振り向いて不思議そうに首を傾げた。
それだけで、希望に背を向け歩いていく。希望はその広い背中を、ぎゅうっと唇を噛み締めて見つめていた。
……くそぉっ! かっこいい!!
元々希望は、強くて逞しいものに対して、憧れが強かった。
それに加えて、何度も助けてくれたことも、それを恩にも着せず何事もなかったように振る舞ってくれることも、希望の心を撃ち抜いてしまった。か弱き者のように扱われていたら、希望の自尊心は傷付いていただろう。だが、ライはそうしなかった。
希望の頬は火照り、胸はきゅんきゅん疼いて止まらない。悔しさとときめきのせいで瞳も潤む。
せめてもの抵抗で、希望は潤んだ瞳でライの背を睨み続けた。
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