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第8話 猟犬様の獲物は③
希美へ。
俺はもうダメかもしれません。
希望の腰にライの腕が回って、力強く抱き寄せられる。自然と体が密着することになって、服越しでも、ライの逞しさを感じた。ライの身体は熱くて、触れているところがじんじんと痺れていく。
これだけ近づいてもライはほとんど匂いがしないのに、何故か頭の奥がクラクラする。首筋のあたりに顔を埋めて、すりすりぐりぐりしたい。きっとフェロモンとかいうのが出ているに違いない、と希望はちらりと視線を向けた。
「目を離すな」
「……っう、うん……!」
あっという間に気づかれて、希望は視線を戻した。だけど、そんなこと言われても集中できない。
すでに希望の頭の中はくらくらと揺らいでいるのに、ライはさらに希望の耳元に唇を近づける。皮膚の薄い耳にほとんど唇が触れたまま、小さく、低く、囁いた。
「もっと姿勢を低く……そう、そのまま……」
振動が耳と、奥の鼓膜に響いて、背筋にぞくぞくと得体の知れない感覚が這い上がる。
希望は首まで真っ赤にして、ふるふると震えていた。
「……聞いてる?」
「んぁっ!?」
「あ」
ビクンッと希望が大きく体を震わせて声を上げる。へたりと垂れて震えていた耳と丸まっていた尻尾もビビッと真っ直ぐ伸びる。
そして、獲物だったはずの狐はピョーンッと跳ねて、逃げ出してしまった。
「あ、あぁ……」
ふわふわと揺れて消えていく狐の尻尾を見送って、希望はしょんぼりと項垂れた。
せっかく教えてもらっているのに、うまくできなかった。これでもう三回目だ。
最初は、鴨だった。池の周りにたくさんいた。鴨って美味しいんだよなぁ、と思っていたけれど、ライが狩りの姿勢を教えようと希望の腰を抱き寄せたところで希望が悲鳴をあげたので、みんな一斉に逃げてしまった。
二回目はうさぎだった。今度はライに言われた通り、後ろからそっと近づいて、希望は見事、うさぎを捕まえた。抱っこしてふわふわを堪能していたら、ライに「ほら、仕留めろ」って言われた。ペットじゃダメですか? って聞いたら、狩りに来たんだよな? と聞き返されたので、そっと逃した。
そして、三回目が今の狐だった。尻尾が可愛いですよね、って言ったら、じゃあ獲るか、と狩りの時間が始まった。しまった、そういう意味じゃなかったのに、と思ったが、今度こそは! と意気込んで挑んだ。結果はこの有様だ。
「ごめんなさい……」
情けない姿を晒してしまって、希望は座り込んだまま俯いていた。ライにどう思われただろう、と様子を窺うように、目だけで見上げる。
けれど、ライは希望を眺めて、楽しそうに笑みを浮かべていた。不思議に思って、希望は顔を上げた。
「怒ってないの?」
「なんで? 楽しいよ」
「……?」
希望が訝しげにライを見つめていると、ライは希望に手を伸ばした。指先は真っ直ぐ希望の耳に伸びて、柔らかく撫でる。希望がひっ、と小さく悲鳴をあげたが、ライはそのまま指先で擦るように、薄い耳を擽った。
擦られている間、希望がぷるぷると震えて、ライは笑っている。
「耳弱い?」
「そういうわけじゃっ……、……っ、さ、触っちゃだめ……」
希望が身を捩って、両耳をそれぞれ手で隠すように守る。
普段はこんなことにはならない。もし毎日これほど耳が敏感になっていたら日常生活に支障が出ているだろう。
けれど、ライが耳元で低く囁いてからずっと、甘く痺れていた。少し触れられるだけでビリビリ電気が走るみたいに身体が震えてしまう。
自分の身体なのに、おかしい。いったいどうしてしまったんだろう。
希望にも分からず戸惑っているというのに、ライはまだ笑っている。喉の奥で押し殺すように、目を細めて笑って、再び希望に手を伸ばした。
「あとどこ弱いの? 背中は?」
「ひゃん!」
希望の尻尾と耳がまたピンっ! と伸びて震えた。ライが尻尾の付け根の上、腰から背中へ撫で上げたのだ。ビビビッと震えた後、耳も尻尾もゆっくりとへたり込んでしまう。
それを見て、ライはケラケラと笑った。玩具を見つけた子供みたいに楽しそうに笑っている。
希望はむぅっと唇を尖らせ、目尻を真っ赤に染めた。怒りと恥ずかしさで潤んだ瞳でライを睨みつける。それでもライが笑っているのを見ると、ふんっと鼻を鳴らして顔を背けて、不満を露わにした。
希望は誇り高き仔犬である。遊んでもらうのは大好きだが、弄ばれるのは嫌いだった。
顔を背けた希望の頬に、何かが触れた。先程は無遠慮に希望を煽ったライの指先だ。今度は指の背で、そっと頬を撫でている。
「……ここは?」
笑みを浮かべているが、嘲笑っているようには見えない。ゆっくりと掌で頬を包んで、指先でなぞる。
「ん、んぅ……?」
希望が戸惑いながらも受け入れると、次はそっと顎の下を擽った。柔らかい刺激が心地良くて希望はふるふると震えてしまう。
希望はうっとりと目を瞑り、顎を上げて首を晒している。はは、とライが笑った声でハッとする。
「ここも弱いなー?」
「……っ!」
またやってしまった、と希望は悔しそうに眉を寄せた。前にもこうして触れられて、揶揄われたというのに、なんという不覚だ。
また逃げ出すわけにもいかなくて、希望はそっとライの手を押し退けた。
「触られるの好きなの? 意外と誰にでも触らせちゃうタイプ?」
「そ、そんなことない! 誰にでもってわけじゃ……!」
「俺はいいの?」
「……っ!!」
かっとなって言い返したが、ライの言葉にそれ以上何も出てこなかった。何を言っても言い訳にしかならないような気がして、代わりに、ウゥゥ、と小さく唸る。けれど、ライはやっぱり笑っていた。
また指先を伸ばして、希望の頬に触れる。希望がびく、と少し震えたが、抵抗しないとわかるとそのまま撫でる。顎の下、首との境目を柔らかく刺激する。
……くぅ……っ!
くやしい! 気持ちいい!
目を開けると、ライは目を細めて希望を見つめていた。
深い緑の瞳の奥で暗い光が揺らめく。怖いのに目が離せなくて、心臓は強く早く胸を叩く。
それでも肌を擽る指先が心地良くて、希望は少しの間、ライに遊ばれることを許した。
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