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第1話
毛色の悪い仔猫を見つけた。
まだら模様の茶色い毛に、ところどころ擦り切れて血の滲んだ手足。
よれよれのスウェットを着て、仔猫はふて腐れた顔で公園のベンチに横たわっていた。
声をかけたのは、気まぐれだ。
学部長の椅子をめぐる争いに早々嫌気が差して研究畑に引きこもり、長年大病を患っていた妻を看取ったのをきっかけに大学を超早期退職した。
ありがたいことに本だけはたくさん書いていたから、わずかばかりの印税と、貯金と、妻の残した保険金で向こう数年は食うに困らない。
あと10年もすれば年金生活が始まる。子供もいない身にはそれだけで充分だった。
ただ、このどうしようもない寂しさを我慢すればいいだけの話。
まあ正直、初老の男にはそれが一番こたえるのだけれども。
そんなところに自分と同じ、いかにもひとりぼっちです、という風情のヤンキーを見つけて、普段なら身体の半分側で警戒しつつそっと通り過ぎるところを、ほんの好奇心で声をかけてみた。
『ウチにこないか?』
さきイカとサラダの入ったコンビニ袋を目の前で振って見せると、ヤンキー、まだ17、8の少年は少し驚いた顔をして、すぐに、す、と表情を消した。夏の夜に剥き出しの白い腕を枕にして、静かに目を閉じ、こちらにふいと背を向けた。
にべもなく無視を決め込まれたところが、私の研究者としてのしつこい性分に火をつけたのかもしれない。気がつくと、次にかける言葉を必死で探していた。
『いまはこんなものしかないけど、希望があればなにか買い足してもいい』
傍から見て不審者以外の何者でもないことは自覚していた。
若い男を家に連れ込もうと躍起になっている、萎びた男色家のオヤジ。目の前の少年もそう思っているに違いなかった。
なんとか誤解を解かなくては。もう後には引けなかった。このままこの場を離れれば、本物の不審者になってしまう。私の頭の中はそんな思いでいっぱいだった。
それに、やはり少年の纏う雰囲気は、どこか私の心を惹きつけてやまなかった。
『お節介かもしれないが、こんなところに寝ていたら風邪を引くよ。別にキミを取って食おうという気はないし、私は少し前に妻を亡くして独り身なんだ。キミを警察に突きだすつもりもない。ただ、その、頬の傷を早く治療したほうがいいと思って』
慣れない口説き文句を考えているうちに、少年の目がうっすら開いてこちらを見ていることに気がついた。
黄ばんだ外灯の薄汚れた灯りを映した瞳は、心ごと吸い込まれそうなほど大きく、はっとするほど透き通っていた。
どきりとした。
その純真さに、年甲斐もなく。
『アンタんち、金持ち?』
薄い唇からほろりと流れ落ちた声が質問だとわかるまで、しばらく時間がかかった。
聞き返す代わりに目を見開いた私に、彼は気怠げな様子でもう一度訊ねた。
『金持ち?』
無職だからカツカツだよ。狭いマンションで有り余ってるのは本くらいだよ。
そう説明すれば、彼はその美しい瞳を隠してしまうだろう。そしてきっと、私は二度とその輝きを目にすることはないだろう。
闇夜に光る仔猫の瞳は、がさついて穴だらけのオヤジの心を潤し、魅力するには充分すぎた。
『ああ。今晩、キミにごちそうするくらいには』
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