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7.エピローグ

課せられてもいないのに3回もセックスした37歳のどすけべ翠龍と16才の高校生男子・理衛は、気づけばドアのロックが解除されており、いつでも外へ出られることに遅れて気がついた。 慌てて服を着て部屋を出ると、そこは広めの待合室のようなつくりになっていた。 フロアの中心には数人が掛けられる長方形のソファーが二つ、その前後に一人がけの簡易なチェアが数個並んでいる。その造りに「ここは病院だったのか?」と翠龍が呟く。 「病院にしては…下品じゃないですかね……」 理衛の言わんとすることは翠龍にもすぐに理解できた。対面にあるドアの上部に蛍光板がとりつけられておりそこに煌々と『セックス中です』と表示されているのだ。 二人は無言のまま素早く背後を振り返る。自分たちが出てきたドアの上部には『セックスしました』の文字がグリーンの光を背景に、ありありと浮かんでいた。 「なっ……!」 あまりにも明け透けな表示に翠龍が短く悲鳴を上げる。理衛も年相応に照れ臭そうな顔をしたが、表示から目を背け「出口を探します」と呟いて周囲を歩き始める。 長方形の空間の北側には出入り口と見られる大きなガラス扉があるが、ロックされており出ることはできない。ここにも開錠の条件があるのもしれないと理衛は振り返り、改めて周囲を眺める。 待合室のようなこの空間には自分たちが出てきたものを含めて四つのドアが備え付けられている。恐らくドアの先は同じような造りになっているのだろう。 他には、まばらに置かれた背の高い観葉植物が葉を揺らすこともなくただ存在するのみだった。 「なんなんだ、ここは?!」 カッカしている翠龍に、ひとまず掛けましょう、と理衛がソファーへと目線を送る。近付き、そのまま流れるように翠龍の手を掴むと、優しく握り込んで歩を促す。 どことなく甘えた表情の理衛が「座らないんですか?」と目で尋ねてくるのを翠龍は驚きながら見つめていた。 一度寝ただけだというのに、恋人のように振る舞う若さがなんとも言えず… 「可愛いやつだな…」 「え?」 なんでもない、と咳払いして翠龍は導かれるま合皮張りのソファーへと掛ける。 理衛も手を繋いだまま、翠龍のすぐ隣へぴたりと寄り添い腰を下ろした。 若い理衛の手は滑らかで今の理衛とは骨の出方も皺の刻まれ方も全く違う。翠龍はまたなんとも言えず愛い気持ちになって、理衛の手をやわやわと握り返してその感触を愛でた。 理衛が喜ぶ気配が隣から伝わって、目線を交わして柔らかく微笑み合う。 そこで唐突に、視界の端にあった赤い光がフッと消え、続いてガチャンと固い解錠音が廊下に響く。 音のなったドアへ素早く視線を走らせれば、先程目に留めた蛍光板からポンと軽い音がしてグリーンのライトが点灯した。表示される『セックスしました』の文字。 「…………」二人してしばしその光を眺める。 あの部屋に入れられていた者たちも自分たちと同じような目に遭い、同じように事に及んだのかと思うと、居た堪れない。翠龍は知らぬうちに深いため息をついていた。 「…出てきますね」 ドアを見つめる理衛が扉の向こうの気配に緊張を滲ませて呟く。 ギュと重ねた手を強くする理衛に、正直なところ翠龍はメロメロだった。 16歳は可愛いが過ぎる。チクショウ。 そっとドアノブが下がり、音を立てぬよう静かにドアが薄く開く。中の人物は用心深い性質らしい。隙間から周囲の様子を窺ってから、ようやく人一人分が通れるほどの隙間でドアが開かれる。 その隙間から現れたのは長身の男で、油断なくこちらを窺う鋭い視線が、ソファーにかける翠龍と理衛の二人を捉えた。 「あ」 途端、理衛少年の手の下からあまりにも俊敏に年上の男の手の温もりが消える。 突然のことに驚く間もなく、今度は部屋から飛び出した男が叫ぶ。 「兄者!!!!」 叫ぶと同時に男は一足飛びに駆け寄って、隣にいた翠龍の足元に縋り付くように絡みついた。その相貌と態度に理衛少年はすぐに合点がいった。 ーーこれが未来の俺。 上等そうなスーツが汚れるのも厭わず、膝を床につけ、兄の顔を下から覗き込んで切なげな表情を向ける自分の未来の姿を見つめた理衛少年は、納得と戸惑いとで複雑な眼差しになる。 カッコいい大人になっているような、いないような……。 隣でボソボソと会話する二人から目を離した理衛少年は、そこでふと開け放たれたドアの隙間から遠慮がちにこちらを覗く人影をーー見慣れた19才の兄の姿を認めて思わず立ち上がった。 ■ 「兄者!」 同じ呼び名を口にしながら駆け寄る姿は過去でも未来でも大差ない。 「りえい…」と弱々しく名を呼ぶ疲れ切った兄に理衛少年は居た堪れない気持ちになる。声は掠れていた。 「大丈夫でしたか?ひどいこと…」 されてませんか?と続けようとして理衛少年は唇を噛んだ。ひどいことはされたはずだ。そういう部屋だから。だから今、こうして出られているのだから。 理衛少年はもっと堪らない気持ちになって、目の前の兄の体をギュウと強く抱いた。 なんて可哀そうな兄者。未来の俺に蹂躙されて。あの俺は優しくできただろうか。兄者のことを下手に扱う自分は考えられないが、未来は自分にとって地続きの存在ではない。もし、怖がらせていたら。無理やり、事に及んでいたら。理衛は指の先が白くなるほど強く力を込めて抱きしめた。 それに面食らったのは大学生の翠龍だった。ギュウギュウと力強く理衛に抱きしめられて、とても心配されている。 なんだかすごく愛されているなあ。そう考えて、翠龍青年も理衛の背に手を回した。そのまま軽くポンポンとあやす。 「大丈夫だ、大丈夫だ……」 優しい兄の声色に理衛は「すみません」と小さく呟いた。傍に居られなくてすみません。 そんな二人の優しい世界を崩したのは背後で揉める未来の自分たちだった。 「大体、さっき俺見ましたけど、じゃあそう言いつつ、なんであんな子供なんかとイッチャイチャ手なんか繋いでるんですか!」 「うるさいうるさい!お前は昔の方が可愛げがあった!」 「兄者ったら、都合が悪くなるとすぐこう……!そうですか、若い俺とのセックスがそんなに良かったですか。この浮気者、すけべ、変態…っ。あと淫行ですよそれ」 「なっ…!お前だって同じだろう!お前のことだ、若い俺のことを嘘で丸め込んで舐め回してどえらいことやってくれてんだろう!?アア?」 「舐めまわしてません!!」 最後のは嘘だよと、若い翠龍は思ったが口を挟むのはやめておくことにする。 実家でもよくよく中年男同士の怒鳴り合い・いがみ合いは目にしていたが、いい歳した大人が言い合っているのはやはり見苦しいものだった。 「あれが俺の将来の姿か……」 未来の自分に会えるなら、おじさんの自分じゃなく、もうちょっと若い頃合いか、もしくはもっと歳を食った自分に会いたかったな、と切ない気持ちになる。 未来の自分と出会う小説や映画の主人公はさぞ徳の高い前世を送っていたに違いない。 ふうとため息をついて、スイロン君はこちらを見る若い理衛へと声を潜めて語りかける。 「お前…大丈夫だったか?」 「は……」 「どうやら年を食うと俺は気が短くなるらしい。苦労したんじゃないか」あの部屋を出るのだってーー。 そう続けるつもりだったが、今更ながら翠龍くんは、つまりこの理衛も、あの父そっくりになってしまった自分と、そういうことをしたのだという重大事実に気がついた。 「嘘だろ…」 まじまじと理衛の端正な顔を見上げる。 リエイさんほど、まだ背丈は育っていなかったが、いずれこの理衛もあの目の高さまで成長するんだなあと思う。ちなみにこれは現実逃避の思考である。 「兄者、兄者しっかり。俺は大丈夫です。兄者こそ大丈夫ですか、顔色が……」 「……お前、あんな、アア…」オロロと短い眉を下げて兄は悲しげに呻いた。 顔を覆った手が小刻みに震えているのを見て、理衛は心配でならない。 とりあえず大人たちから距離をとって、少しでも静かなところで青い顔をした兄を座らせてやりたかった。 どこか都合の良いところは、と素早く目を周囲に向けるも、妥当な場所が見当たらない。 一瞬、脳裏には先ほど出てきた部屋が浮かぶが、頭を振ってそれは却下する。 「兄者、とにかく座りましょーー、っておおッ?!」 理衛少年が兄の腕を掴もうと手を伸ばしたところを、逆に兄の手に攫われるようにして握られる。 太い声でビビってしまって、その声に大人たちも諍いを中断して視線を寄越したのが肌でわかる。 手を取った兄者がすうっと深く息を吸って「すまない!!」と大きく詫びる。 え?え?何が??と驚く理衛を置き去りに、翠龍は少し高い位置にある理衛の肩を抱いた。 「俺が、俺がサークルでアナルなんぞに目覚めたせいで、お前の大事なものを奪ってしまった!しかもあんな年寄りに……!俺はどう埋め合わせればいい?!俺にできることは何でもする!理衛!!」 ガバッと両手を握られて兄者の真摯すぎる目が理衛を射抜く。 「ひとまず口直ししろ!」 そしてさっきまでのことは忘れちまえ、と吐き捨てて、若き翠龍は理衛少年の手を引っ張り、矢のようにドアの中へと引き込んだ。遅れてガチッと錠の下りる音がした。 ■ 呆然とその様を見ていた、取り残されしいい歳した方の理衛と翠龍は、フッと肩の力を抜いて脱力した。 いま、また入ったぞ部屋に。 セックスしないと出られない部屋に。 いやあ、若いってすごい。アンビリーバブルだぜ。 翠龍はそおっと掴んでいた理衛の襟首から手を離し、ストンと腰を落とした。いや、抜かしたのかもしれなかった。ともかく、尻の下にソファがあってよかった。 どうやら翠龍は、先ほど過去の自分が口走った台詞にショックを受けているようだった。 確かに衝撃ポイントが多すぎるので無理もない。自分自身に年寄りなんて言われるなど、世界広しといえど、きっと我が兄者しか経験したことがないだろう。 「えっと……兄者。そんなに兄者は老けていませんので」 「そこじゃないわ」 「…アナルの件ですか」 「ちょっとくらい言い方を遠慮せんか」 どうなっとんじゃと頭を抱える兄者に、理衛はどうしたもんかと肩を竦めた。栄沢翠龍には己ほどの順応性はない。 「……兄者、煙草お持ちですか?」 「ああ?」と翠龍は低く唸ったが、持っとらんとぶっきらぼうに返答する。それを残念に思いながら理衛はまだ開かれていない第3、第4のドアへと目を向ける。 「まあ、立ち話もなんですし、ちょっと休みませんか俺たち」 ちょうど俺たちには休息と仲直りの時間が必要だった。 しばらくはガキ共も出てはこんだろ、と理衛はこの空間脱出が長期戦となる覚悟を決めて、次なる部屋の扉を開くのだった。 了

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