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第53話「対面」

「おー、何かめっちゃオシャレで綺麗なとこ来たな」 義人は「イタリア食堂」と書かれた小さな看板をドアに下げたレストランの前にいた。 人通りが少ないと思っていた静かな通りの一角にある店で、外観は大きな窓ガラスが一面にいくつも置かれている。 白い壁に囲まれた店内は、入り口を入ってすぐ目の前に背面を合わせた10数人掛けの長いソファがあり、その前に小分けのテーブルと、テーブルを挟んだ向こうに同じく10数脚の椅子が置いてあり、椅子や小物は曇った青色で揃えられている。 「何かめっちゃ高そうなところだけど、ここでいいんだよなあ、、あ、みんないる」 義人がヒョコ、と中を覗くと、ぶち抜かれた壁の向こうにある厨房の目の前のテーブル席に見知った顔のメンバーが揃っていた。 こちらには気が付いていない。 手前にある飾り付けられたたくさんの花や木々が邪魔していて、こちらから奥もあまり見えなかった。 「藤崎、入ろ、、どした?」 そう言えば大きくて美しい店だが彼ら以外には客が見えない。 振り返った先にいる藤崎は何故か店の中を見つめたまま固まっていて、義人は首を傾げた。 「藤崎?」 「佐藤くん、お願いがあるんだけど」 「ん?」 人通りが少ない中で藤崎の手が義人に伸ばされる。自分の方へ柔く引き寄せ、少し緊張した表情が彼を見下ろした。 店内の明かりが漏れて明るく染まった道で、義人は不安げに掴まれた腕を一瞬見つめ、藤崎を見上げた。 「今からは、久遠って名前で呼んで」 「え、、いいけど、何で」 照明の明かりに照らされた深い茶色の目が揺れている。 (綺麗だなあ) そんな呑気な事を考えている義人と違い、藤崎の胸は緊張で高鳴り、じわりと手に汗をかきはじめていた。 「あのね」 「うん」 「ここ、俺の両親がやってる店なんだ」 「うん」 藤崎は意を決して義人にそう言った。 それは静かな声であり、通りにも響かず義人の耳にだけ届く。 「、、うん!?」 ガッと掴み返された手に、「わっ」と声を上げる藤崎の目の前に顔を近づけ、義人はダラダラとかきはじめた汗で背中に嫌な感触を感じた。 「俺の両親がやってる店」については何回か聞いた事があった。 いつか連れて行きたいと言われてもいたが、まさか、今?何故?と義人の脳内は忙しく思考回路を回し、パンク寸前で口をパクパクとさせている。 「な、なに?何で?」 「あ、それは中に入ってから、皆んなもいるし」 「いやいやいや、ダメだろ、俺はダメだろ」 唇を震わせながらブンブンと勢いよく頭が横に振られる。 「あ。小さい妹もいます」 「どうでもよくはないが今俺はすごく緊張してきて胸が痛い!」 「大丈夫。俺は腹が痛いから」 「何で食いもんの店に来た!!」 義人の慌てようも凄まじいものだが藤崎もえげつない程緊張しており、お互い握り合ってる手がカタカタと震えている。 「どうすんだよ、なあ、可愛い彼女家に連れてくるのとは違うんだぞ?股の間に一物ついてる可愛げのかけらもない男を両親に会わせる気か!?」 「義人。いつもとキャラ違うよ」 「うるさい!」 店内ではまだ2人が入り口の前で揉めている事に誰も気が付いていない。 目の前の大きな通りを挟んだ向こうもレストランのようで、街頭に照らされながら段々と行き交う人間が増えてきていた。 「あれ?ここ、今日は貸切だって」 「珍しいな、空いてるのに」 店の近くまで来ていた社会人同士と思われるカップルが「残念」と言い合いながら義人達を避けて違う店を探して歩いて行く。 2人はそのカップルが過ぎ去るのを待ってから入り口から少し離れ、街頭と店の明かりを避けた薄暗いところで止まった。 「両親に会ってほしい」 藤崎の真剣な視線に、義人はトクン、と胸が高鳴る。 「何で急に、」 「今日が良かったんだ」 「いやだから、何で」 キュッと口を引き結び、少し恥ずかしそうに茶色の瞳が揺れて義人を見下ろしている。 瞳に映り込んだ店の外観と通りの明かり。それから自分が、互いにゆらりと見えた。 「1年記念日だから」 「っ、、え」 義人は思わず息を飲み、面食らった顔で驚いている。 やっぱり忘れてたな、と藤崎はその顔で緊張が解け、フッと吹き出して笑った。 「嘘だろ、今日だっけ、、ごめん、全然、」 「いいよ、そこは。佐藤くんがこう言うのに疎いのは分かってるから」 ふふ、と淡く藤崎に笑われ、義人はボッと顔を赤くした。 「あー、そうかあ」 互いに緊張や焦りが消えた2人は、そのままクスクスと笑い合って手を握り合う。 心の準備も何もなかった。 けれど付き合い始めてからやっと辿り着いた1年記念日に、藤崎が自分を親に紹介したいと言うのは随分待ってくれた方かもしれないと義人は思った。 付き合ったその日に親へ「男の子と付き合いました」と報告してくれた事には驚いたが嬉しかった事を覚えている。 義人は絶対に声を出さなかったが、たまにかかってくる電話に対して藤崎が嬉しそうに自分の話をするところも見ていた。 (大丈夫かなあ、、優しそうとは思ってたけど、でもいきなり会うのは、、) 微かに震える手を、グッと藤崎に握られる。 「今、緊張してるけど、本当にすごい嬉しいんだ」 「え?」 義人と目が合うと、藤崎は弱ったようにふわっと笑い、義人の手を更にキツく握った。 緊張と嬉しさが入り混じって、彼の中で爆発しそうになりながら胸を昂らせているのだ。 「俺が世界で一番好きな人、大事な家族に紹介できる」 藤崎はただ単に、男の義人を恋人として家族に紹介する事に緊張している訳ではなかった。 大事にしている宝物を初めて人に見せる昂りでうずうずしているのだ。 「お前なあ、、」 「黙ってたのはごめん。佐藤くん絶対拒否るからさあ」 「それも見越してりいと結託して俺を嵌めたのか、、まあそれはそうだけど」 「なあ、ダメ?」 甘えるような目がこちらを見ている。 義人は藤崎のこう言う目に弱かった。 普段完璧に自分を囲い、誰にも傷付けさせないようにと目を光らせている男が甘えてきている様は可愛くて仕方がない。 自分だけが見れる一面だと彼自身が自覚しているせいもある。 「うう、、ここまで来たら行くしかないしなあ」 チラ、と店内を覗き込むと、ちょうどこちらを向いていた里音と目が合った。 笑いながらこちらに手を振ると、周りにいた面々も押し掛けるようにこちらに向かって手を振り始めてしまった。 「、、うん、行くか」 義人は腹を括る。 店内にいる数人に手をふり返していると、藤崎はこちらに来ようと席を立った里音に左手で「待って」と手のひらを見せて示した。 「義人」 名前を呼ばれると、彼は手を下ろして藤崎と向き合う。 「俺を、好きになってくれてありがとう」 どうしてかは分からないが、こう言う事を言うときの藤崎は、本当に心底嬉しそうな顔をする。 ふわりと笑う笑顔は眩しくて、綺麗で、すぐにでも触れてしまいたくなった。 (好き、だなあ) 義人は現状維持を優先するところがあるが、藤崎は先に進もうと言う姿勢がある。 たまにそれで喧嘩にもなるが、1年間、きっと自分をここへ連れてくるのをずっと我慢していたのだろうと思うと、義人の胸は嬉しさで溢れていた。 「久遠」 「ん?」 「俺で、いい?」 自信なんかない。 最後の確認で義人は藤崎へそう聞いた。 「義人がいいんだよ」 互いの瞳がキラキラしていて、春の夜は穏やかで美しかった。 「好きになってくれて、ありがとう」 「っ、、」 「親に紹介とか、考えてなかった。驚いたけど、でも嬉しい。お前が、俺のこと恥ずかしがらずに、隠しもせずに。逆にそうやって、胸はって、紹介できるの嬉しいって言ってくれるのが俺の自信になる。それが、すごく、嬉しい」 へにゃ、とへたれたように笑う義人に触れたくてたまらない、と藤崎は1人、苦しくなっていた。 「義人は、俺にはもったいないくらいに良い男だよ。俺の自慢の恋人」 「相変わらず大袈裟だなあ」 ぎゅ、と手を握り返した。 「会ってくれる?俺の両親」 「うん。あと、りいじゃない妹さん、だっけ?」 「うん」 「会いたい」 グッと義人の手を持ち上げ、藤崎は手の甲に一瞬だけのキスをした。 「行こう、義人」 「うん」 そう言って歩き出した。 鈍い金色の取っ手を引いてギイ、とドアが開くと、品の良い鈴の音が頭上で聞こえる。 緊張はしていたが、義人は胸を張って、店内に入ると一度深呼吸をした。 「やっと来たなー、義人!」 滝野の笑い声がする。 入り口を入ってすぐに左に折れて中央に配置されているテーブルと椅子を避け、すぐ右に曲がって店の奥へ大理石の床を踏んで歩く。 天井から吊り下げられたライトは低い円柱型をしていて、天井は配管や配線が丸見えで、全て白に染められている。 店内の三分の一、大きく1ブースを過ぎたところで中央にある厨房が見える席の前まで来た。 手は、繋いだままだった。 「パパー!ママー!しいー!」 里音が厨房へ向かって声をかけると、コックの格好をした男性が「はーい」と返事を返す。 彼に呼ばれて奥のドアが開けられ、中年の女性と5歳くらいの女の子がとてとてと歩きながら店に入ってきた。 「、、、」 義人が緊張したのを感じて、藤崎は繋いだ手を堅く握る。 「義人、大丈夫だよ」 滝野達はソファに腰掛けたまま、後ろからそれぞれ彼に声をかけた。 全員、義人が緊張している事も、いつも2人の関係で戸惑う事が多い事も知ってくれている。 「佐藤、笑顔笑顔!」 「力抜けー、佐藤くん」 ゴク、と唾を飲む音が響いた。 2人の目の前に現れた帽子を脱いだ背の高い男性は里音によく似た顔をしている。対して女の子を連れて来た女性は唇も目の形も藤崎に似ていた。 鼻筋は揃って父親似のようだ。 「ただいま」 藤崎が2人にそう言うと、女性の方は女の子を抱き上げ、男性と目を合わせてからニコリと笑った。 「おかえりなさい、久遠」 「おかえり」 穏やかに笑う2人の視線は、優しいものだった。 「おかえりなさい、義人くん」 「ッ、、」 「いらっしゃいませ。ようこそ」 「あ、」 壊れそうなくらいに鼓動していた心臓が、一瞬ぴたりと動かなくなった。

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