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第55話「理由」
「佐藤もだよ」
水の入ったグラスに口をつけ、藤崎と滝野が話すのを眺めていた義人は、名前を呼んだ遠藤の方を向いた。
彼女は席を移動し、今は義人の隣に腰掛けている。
「え?」
何の話だったろうか。
酔ってふわふわしてきた頭では遠藤について行けず、義人は数秒黙り込む。
「菅原さんのことだよ」
遠藤が痺れを切らしてそう言うと、先程の話しで藤崎だけが滝野に怒られた事に対して「佐藤もだよ」と言われたのだと気がついた。
「拒否るときは拒否れよ」
彼女はアルコールにはめっぽう強い筈だが、このときばかりは少し赤くなった顔でこちらを見つめている。
「え、」
「菅原さんが話しかけて来たときも優しく受け答えするんじゃなくて、困ってるときも助けなきゃってお人好し優先にするんじゃなくて。ダメなものはダメで拒絶しなきゃ、相手だって分からないだろ」
この会話は2人だけしか聞いていなかった。
光緒と和久井、滝野が立ち上がってふざけ出したのを皆んなが見上げて笑っている。
義人は何か、嫌なものが胸の中に湧き上がってきているのを感じた。
けれど、逃げてはいけないような気がして、隣に座っている遠藤を真っ直ぐ見つめ返した。
「、、、」
彼女が苦手だが、嫌いと言う訳ではない。
入山のように甘やかしが入る相手と違って、彼女は義人にいつも的確に厳しい意見を言うから苦手と言う意識があるだけだ。
睨まれているような厳しい視線が注がれる中でも、視線は泳がずに前を見つめた。
「拒絶をしろ。優しい、に逃げるな」
ズキ、と胸が痛むと言う事は、遠藤の言っている事に思い当たる節があるのだろうと思った。
「それはお前が藤崎と付き合う責任だろ。ゲイってことがバレるよりも、相手が藤崎ってことがバレるよりも、優先すべきは拒絶の筈なんだよ」
「、、、」
「甘ったれるな」
この場の空気を乱しても、嫌な雰囲気に変えたとしても、遠藤はそんな事は梅雨知らずと言う態度で言い切った。
「、、うん、分かってる」
しかし義人はすぐには無理だと思った。
甘ったれでも良いから、今は彼なりの方法で藤崎を守りたいのだ。
遠藤が言っている事は正しくて、勿論優先すべきは藤崎と自分の関係を脅かす存在を消す事にある。
けれど、それをまだ素直に受け入れて「僕はゲイで藤崎と付き合ってます。だから手を出さないで下さい」と言える程、彼は強くはない。
間違っていたとしてもせこかったとしても、義人は義人の今のやり方を貫く気でいた。
あくまで、遠藤が言っているのは遠藤の意見なのだから。
「気分悪くしたいわけじゃない」
「大丈夫、分かってるよ」
彼女が彼女なりに十分に気を遣っている事も、自分達を思って厳しい意見を言っている事も理解はできている。
彼女は少し困ったように自分の頬を指先でかいた。
(何か今日は、人間っぽいなあ)
普段の遠藤に失礼極まりないが、率直に言うとそんな感想が浮かんだ。
普段は友人に対しても何に対しても何処か遠巻きで浮世離れしたようにふわふわした態度を取り、人をおちょくって笑う事が多い彼女がしっかりと自分に焦点を合わせている。
それが義人に不思議な感覚を覚えさせていた。
「俺、遠藤にはそこにいてほしい」
せっかくこうしてたまにだけ2人でゆっくり話せるのだからと、義人も自分の意見を言おうと口を開く。
「は?」と強めの返事が聞こえて、彼は困ったように笑った。
「俺の味方じゃない、甘やかさない位置にいてほしい」
これは義人の本音だった。
藤崎や入山、滝野はいつでも自分の絶対的な味方でいてくれる。
否定もあるときにはあるが、あくまで義人の意思を汲んで理解した上での発言が多く、ある意味で遠藤はその中では異例の存在であり、新鮮な意見をそのままぶつけてくれる唯一の人間でもある。
その存在は傷付きやすい義人からすれば苦手でもあり、また、貴重な人でもあった。
「それが甘えだよ」
「そうなんだけどさ。でも頼む。俺のこと嫌ってても良いから、そうやってちゃんと、俺が周りに甘えてるんだってたまに言い聞かせて」
「、、、」
馬鹿なことを言うやつだなあ、と彼女は視線を細めた。
お互い苦手ではある相手で、すぐ隣にいるのは何となく違う気がする。
けれどこうして数人のグループの中にお互いがいる事に関しては、どちらも納得のいく距離感で逆に心地がいい。
「、、君のそう言うところは好きだよ」
「え?」
「儚くて消えちゃいそうで、弱くて馬鹿で」
「い、言い過ぎ」
苦笑いしてみせた。
「ずっと、一緒にいられたらいいね」
遠藤は藤崎を見ている。
楽しくて幸せな時間が過ぎるのは早くてたまに怖くなるなあ、と義人は同じ方向を向きながらぼんやりと考えていた。
「いてくれよ」
「どうしよっかなあ」
「えー、お願いしますって」
珍しく笑い合って、何となくカチン、とグラスを合わせて乾杯をした。
「だからあ!!佐藤!!」
「えっ?あ、ハイ!」
突然入山に名前を呼ばれ、義人は遠藤から視線を外してぐるんとそちらを振り返る。
顔が真っ赤に染まった入山は未だに和久井と手を繋いだまま、空いている左手でビシッとこちらを指差していた。
「人に指をささない」
呆れたように和久井が繋いでいる手をグイグイ引くが、入山はソファから立ち上がった状態で口をへの字に結んでから、一度酒臭そうな息を大きく吐き出した。
「お前なあ!不安不安言ってるけど、藤崎はお前の為に髪の毛切って可愛くなって、少しでもお前のタイプになろうって頑張ってきたんだぞ!!」
「え?」
「待って待って待って!!その話今しなくていいよ!!」
酔っ払って藤崎がどこにいるのかも認識できていない入山は、フラつきながらもかろうじて義人を睨んだ。
藤崎は話が続きそうになるのを慌てて立ち上がって食い止め、ワーワー言いながらテーブルの向こうにいる入山の言葉を遮っている。
「えー、いいじゃん久遠ちゃーん!なになに入山!」
「うるせえな久遠」
「本当にやめろ本当にやめろ本当にやめろ!!」
「何の話し?」
(髪切った?タイプ?)
騒ぐ藤崎を光緒が羽交い締めにして身動きを封じ、滝野が「犯罪っぽい!」と言いながら藤崎の使っていたお手拭きで口を塞ぐ。
流石に力自慢では1番を取る光緒の力には敵わず、藤崎はもがきたくてももがけずに唸るような声を上げるばかりだ。
「最初から短かったよな?え、最近の話?ミリ単位で切られても分からねーよ」
「違う!!」
「あ、分かった分かった!久遠ちゃんが大学入る前まではロン毛だった話じゃない?」
「それや!!」
何故か関西弁を喋り始めたが、入山の出身は東京だ。関西圏に住んだ事すらない。
和久井は入山が倒れないように立ち上がって彼女の肩を支え、遠藤は爆笑しながらずっと携帯電話で動画を撮っている。
里音もニヤニヤが止まらない。
「長いの似合ってたのに急に切ったのよね〜、あのとき」
愛生の呑気な声が飛んでくると、藤崎は余計に焦ったのか凄い勢いで暴れ始めた。
「締め落とすぞ」と耳元で光緒が脅している。
「お前は男同士だからとか俺は魅力がないからとかしゅぐ言うけどお!!」
微妙に呂律が回らなくなってきている。
「楓さんその辺にして座りなさいって」
「和久井だあってろ!藤崎はなあ!お前が髪の短い子が好きだって言うからなあ!入学式のあとすぐに髪切ってきたんだぞお!!」
「え、、え?何それ」
くぐもって何を言っているのかハッキリと聞き取れなかったが、多分「やめろーーー!!」と叫んだ藤崎がバラされた秘密の恥ずかしさに耐えかねて羽交い締めしてきている光緒に逆に擦り寄っていった。
「うははははは!!ダッサ!キッモ!!」
遠藤は耐えきれずに笑い転げ、里音と愛生は「やーん!」と言いながら顔を見合わせた。
公開処刑を喰らって死にかけている藤崎は身体に力が入らず光緒の上で仰向けになって脱力し、下敷きになっている光緒に「可哀想に」とミルクティベージュの短い髪をわっしゃわっしゃともみくちゃにされている。
「絶対誰にも言わないって約束したじゃん、、」
「だからお前愛されてるからあ!!安心していいからあ!!」
「楓、藤崎くん死んだからもうやめてあげて」
何故か泣き出した入山を和久井が半ば強引にソファに座らせて肩を抱いて落ち着かせている。
「え、、え、うそ、え?て言うか言ったことあったっけ?」
義人はこちらに向かって足を広げながら光緒に抱っこされて両手で顔を隠している藤崎を見つめた。
「本当にやめて、、両親と妹の前ではやめて、、」
珍しく羞恥心でぐだぐだになっている藤崎は面白く、義人は酒の入った状態での悪ノリで、ニヤつきながら藤崎に近づいていく。
「なあ、いつ言ったっけ?なあなあ、久遠」
「やめて下さい、、」
「なあなあなあ、いつ?ロン毛やめたの本当に俺のタイプになりたかったからなの?なあ」
「、、義人」
顔を覆っていた指の隙間からジロリと片目が覗いた。
「あとで覚えてろよ」
絞り出した低い声がそう言ったが、義人は気にせずニヤリと笑って返し、更に彼に詰め寄っていく。
「なあなあなあなあ」
「あー、もーやだ本当にやだ、、入学式のときに言ってたの聞いてたんだよ」
小声でごにょごにょと言う藤崎に耳を傾け、義人は入学式?と1年前のその日の事を思い出す。
少し暖かくなってきた気温の中でスーツを着ていた。
けれど周りは派手な私服だったり着ぐるみだったりする人間もいる。
「え、入学式?、、里香がいて、あと恭次がいて、」
同じ予備校に通っていた仲の良い2人と一緒に体育館に入り、3人で並んで席を取った。母親が自分も行くと言ったのを、どうせ父親が不機嫌になるからと止めて自分だけで出席したのだ。
「あー、、そんな話しになったかも。あのとき初めて恭次に麻子と付き合ってるって話して」
『やっぱり髪の短い子が好きなんだね。ショートヘアがタイプって言ってたのほんとだったんだ』
そう言われた事を思い出した。
「あー!久遠ちゃんあれだろ!」
そこまで言うと滝野は楽しそうに、光緒の肩に掴まってソファに膝立ちし、後ろから手を伸ばして藤崎の肩を叩く。
「俺の腕掴んで、何でそこ?って席まで行ったの、あれ義人の後ろだったんだろ!」
「え、後ろにいたの?」
「いました〜、、」
藤崎はまた両手で顔を覆いながら苦しげに声を漏らした。
「やだ〜!あれそう言う理由だったの〜?レオン知ってた〜?」
「てっきり大学デビューしたくなっただけかと思ってたよ」
「本当にやめて、、」
力尽きた入山は寝始めてしまった。
「何してんの、お前」
義人は初めて知った事に少し困惑しつつ、「馬鹿だなあ」と藤崎の太ももに手を置いてトントンと叩く。
呆れたように照れたように笑うと、また指の隙間からこちらを覗く目と視線が絡まった。
「必死だったんだよ」
不機嫌な声だったが、藤崎の顔は首まで真っ赤に染まっている。
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