2 / 21
(02) 宗近 1 復讐に燃えて
深夜の誰も居ないオフィスビル。
そのビルの高層フロアにはある芸能プロダクションが入っていた。
『エクストリーム・プロ』
男性アイドル専門の事務所である。
かつて世を賑わすアイドルを何人も輩出していたのだが、それは昔の話。
最近はあまりぱっとしておらず、お笑いやバーチャルアイドルの新興勢力に押され気味である。
さて、そのプロダクションだが、真っ暗なフロアの奥から灯りが漏れている一室が有った。
そこは社長室。
革張りの応接セットと重厚なデスク。
装飾の入った壁に柱、それに現代アートの絵画。
それに輝かしいトロフィーの数々。
そんな豪華絢爛な部屋なのだが、何故かそれに似つかわしくないモノがあった。
シャンデリアから吊れ下がった首吊り用のロープ。
「はぁ、はぁ……」
そして今にもそのロープに首に掛けようとしている男がいた。
その男は、両手でロープを掴み、ふらつく椅子の上でゆらゆらとバランスを取っている。
その男の名前は、河井 宗近 。
年のころは二十歳前後。
容姿は、すらっとした体形で、長い手足。
ファッション誌のモデルを連想させる。
顔はその体形に引けも取らずの美形。
美しい黒髪のショートボブ。
整った目鼻立ちで、綺麗な瞳をしている。
しかし、そんな美男子なのだが、今は生死の淵に立った必死の形相。
ゴクリと生唾を何度も飲み込み、汗で頬をびっしょりと濡らしていた。
「い、いくぞ。オレは死ぬんだ! 恨みを晴らすんだ!」
宗近は、なかなか勇気が出せない自分に言い聞かせるように叫んだ。
目をつぶり、さあ、足元の椅子を蹴りだそう、とした時、眼下にとある男の姿が目に入った。
その男は、宗近に気付いてないかのように、平然と部屋を見回している。
「だ、誰だ!」
宗近は、大声を上げた。
「ん?」
その男は、いまようやく気が付いたかのように、宗近を見た。
ツナギ姿の大男。
宗近の事をまじまじと観察する。
(なんだ、こいつ? 何故こんな夜中に……ビル清掃業者か?)
ツナギの男は言った。
「取り込み中悪いな。いいか? 中に入って」
「いいも、悪いも……もう、中に入っているじゃないか……何を言っているんだ?」
宗近は、呆気にとられた。
ツナギの男は、
「確かにそうだな……あははは」
と笑いながら、ズカズカと部屋の中を歩きだす。
そして、社長のデスクまで行くと、引き出しに手を掛けた。
「おい、何をやっているんだ?」
宗近は、この男の行動がまったく理解できずに尋ねた。
男は、答える。
「何って? クリーニングだが? お前こそ何をやっているんだ?」
「は? 見て分からないのか? 自殺だよ、首吊り自殺だ!」
「へぇ、それはそれは。邪魔して悪かったな」
ツナギの男は、平然と言い返した。
宗近は言った。
「止めても無駄だぞ! オレはもう生きていてもしょうがないんだ。復讐を成し遂げるんだ!」
ツナギの男は、頭をポリポリと掻いた。
「オーケー。大人しく座っているから続きをどうぞ」
そう言うと、ツナギの男はソファにドカっと座った。
そして、腕組みしながら宗近を見つめる。
宗近は、恐る恐る尋ねる。
「止めない……のか?」
「何だ、お前は止めて欲しいのか?」
「!?」
宗近は、閉口した。
同時に、カーッと頭に血が上った。
どうせ、死ぬ勇気なんてないんだろ?
そんな小馬鹿にされたように感じたからだ。
宗近は、どもりながら怒りを爆発させた。
「ななな、んなわけあるかよ! そこで、しっかり見てろよ、オレが死ぬ所を!」
****
震える脚。
頬を伝う汗が、ポタポタと顎から滴る。
宗近は、あんな啖呵を切った手前、もう後には引けない。
それは分かっている。
分かっているのだが、あと一歩が踏み出せない。
少し椅子を蹴ればいいだけなのに……。
「……畜生……畜生!」
宗近は涙ながらに叫んだ。
そして、自分の臆病さに嘆く。
「オレは、どうしてこんなにもダメな男なんだ……うっ、うう」
悔しくてやるせない。
その時、ふわっと体が浮くような感覚を得た。
えっ!?
何が起こったのか。
目の前にはツナギの男の真剣な顔。
そう、ツナギ男にいつの間にか抱き抱えられていたのだ。
宗近は痩せ型とはいえ決して小柄ではない。
普通の男の体重はある。
その男の体を意図も簡単に持ち上げ、抱っこしたのだ。
宗近は驚きで目をパチクリさせた。
(……何という逞しい体なんだろう……)
鍛え抜かれた上腕二頭筋、そして胸筋。
その中にすっぽりと収まる自分の体。
宗近はか弱い女の子にでもなったかのような感覚に襲われていた。
誰かに守られているという絶対的な安心感。
(何だろう……とても落ち着く……)
宗近は、うっとりとしてしばし時を忘れた。
そんな宗近だったが、男の声で現実に引き戻された。
「どうした、大丈夫か?」
はっとして目を見開く。
ツナギの男は心配そうに宗近の顔を覗き込んでいた。
「お、おい! お前! 何でオレを抱っこするんだよ!」
宗近は、急に恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。
そして、大袈裟に喚き散らかした。
しかし、その男は構わずに宗近の顔に顔を近づける。
「なんだよ……何か文句でもあるのか!」
宗近は、膨れっ面で言った。
「……いや、特にないが……」
男は尚もじっと宗近を見つめる。
宗近も宗近で、
(何なんだこの男は……)
と男の顔をじっくりと観察した。
ぼさぼさの髪とツナギ姿に気を取られていたが、よくよく見ればかなりのイケメンである。
それは宗近の中性的な魅力とは違い、まさに男臭い野生的な魅力。
その男はポツリと言った。
「お前ってさ、可愛いのな……それにとてもいい匂いだ」
宗近は男の意外な言葉に動きが一瞬止まった。
(いい匂い……誰?……お、オレがか?)
可愛い。それは、よくひとから言われる言葉ではある。
しかし、いい匂い、だなんて初めて言われた言葉。
しかも、この男の口からその言葉が発せられたと思うと、何故か猛烈に恥ずかしくなってくる。
宗近は怒鳴った。
「ふ、ふざけるな! な、何を言っている……ん!?」
突然、その男の唇が宗近の唇を塞いだ。
「んっ、んんん……んんっ……」
男は宗近の口を激しく吸う。
それは肉食獣が草食獣を捕食するかのような獰猛さ。
「んんーっ!!」
宗近は息が出来ず、涙目になって口を離した。
「ぷはっ……はぁ、はぁ、て、テメェ! 何、突然、キスしてんだよ!」
「ふふふ、ははは。わりぃ、わりぃ! お前さ、なんか俺の好みなんだよ。最高にそそる匂いだしな! あははは」
男は少しも悪びれる事なく笑いながらそう言った。
****
二人はソファに腰かけた。
宗近は、ツナギの男の顔をそっと窺う。
(結局、こいつは一体何者なんだ? 本当に清掃業者なのか?)
宗近は、先ほどからのこの男とのやり取りで、すっかり平常心を取り戻していた。
自殺する、という気持ちは変わらずに持っていたが、それよりもこの男への興味が勝っている。
男は、宗近の視線に気が付いて言った。
「自殺ってのは、相当な覚悟と勇気がいる物だ。なぁ、何故死にたいか、俺に話してみないか? 誰かに話すことで気持ちの整理がつくし、そうすれば勇気が出てくるかもしれない」
宗近は、その言葉の中にこの男の本当の優しさを感じ取った。
自殺を止めようとしているのではない。
自分の意志を尊重して、背中を押してくれようとしている。
(この男は、自分事のようにオレの事を思ってくれている。この男に全てを話してみよう……)
宗近は、そう思い立ち、すべてを話そうと決心した。
宗近は話を切り出した。
「オレは、この事務所のタレントなんだ。芸名も本名も同じ。河井 宗近 っていう名だ」
宗近は、役者志望。
しかし、アイドルから転向するのが近道だと知り、この事務所に入ったのだ。
「なのに、この歳になってもまだデビューもしてない。オレは社長に騙されたんだ……」
宗近は顔を下を向けて小刻みに体を震わせた。
それは、怒りを我慢する姿。
目を血走らせ、拳を固く握る。
宗近は話を続ける。
「オレは社長の性奴隷 にさせられたんだ……」
そう言う声は悔しさのあまり震えていた。
「……事務所に入った初日にケツを掘られ、それからずっと情婦のように扱われた。でも、いつの日かデビュー出来ると信じて我慢して来た。が、それも限界……」
宗近がそこまで言うと、ポツリと一粒の涙が床に垂れた。
つまる所、宗近はデビューをチラつかされ、美男子好きの社長の言いなりとなった。
宗近は、それに我慢が出来ず、社長へ復讐を考えた。
それが、自殺である。
所属タレントの自殺が明るみになれば、ゴシップ好きなマスコミは大騒ぎをするだろう。
そうなればこのプロダクションにとって大打撃になるのは必至。
自分を騙した罰だ。その報いを受ければいい。
そこで宗近の話は締めくくられた。
ツナギの男は一部始終、黙って宗近の言葉に耳を傾けていた。
一時の沈黙。
それを破ったのはツナギの男だった。
「あははは!」
突然、大声で笑い出した。
先ほどの親身な言動から手のひらを返したような態度。
「な、何故笑う!」
宗近は怒鳴った。
「いやぁ、お前、アイドルとか役者に向いていないだけじゃないのか?」
男は笑いすぎて目じりを拭くようなそぶりを見せた。
「な、なんだと!」
宗近は、男の言い草に猛烈に腹を立てた。
額に血管が浮き立つ。
「ほら、アイドルってのは人を喜ばす仕事だろ? その資質が無いって事。違うか?」
「貴様! 勝手な事を言いやがって!」
宗近は、男の胸ぐらを掴む。
そんな、宗近を更に挑発するツナギの男。
「まぁまぁ、怒るなって……あっ、でも、図星だから、怒っているのか? あははは」
「はぁ、はぁ……貴様、絶対に許さない!」
宗近は怒りのあまり、息絶え絶えになった。
「お前にオレの何が分かるっていうんだ! せっかく身の上話をしたのにオレの事をバカにしやがって!」
宗近は拳を振り上げ、殴りかかろうとした。
それを制し、ツナギの男は、とある提案をした。
「じゃあ、証明してみろよ。俺のコイツを喜ばせられるかをよ」
男は自分の股間を指で指した。
「へ?」
宗近は呆気に取られた。
男は得意になって股間を突きだす。
宗近は男の真意が分からずに聞き返した。
「喜ばせられるか?……一体、どういう意味だ?」
「どういう意味って……分かるだろ? やろうって事だよ。セックスをさ……」
男はパチリとウインクした。
宗近は、今までの怒りから、一転して可笑しくなってきた。
「ぷはははぁ、面白い冗談を言う男だ」
しかし、ツナギの男は大真面目な顔つきのまま宗近を見つめている。
(な? こいつマジで言っているのか? この男……今日会ったばかりの奴とやろうっていうのか? アホにも程がある……いや、待てよ)
宗近は、ふと或る考えを思いついた。
(……ここは、あえてこいつの挑発にのり、上から目線の生意気なこいつの鼻を明かしてやるか)
宗近は、チラッと男の顔を見た。
口元には笑みを浮かべ、なんとも子憎たらしい表情をしている。
(こいつは、オレがどれだけ男に抱かれてきたのか知らない。社長がオレを手離さないのは、オレの体が最高に気持ちいいって証拠。よし、この男もオレの体の虜にさせて、後悔させてやる!)
宗近はニヤッと笑みを浮かべた。
そして、ズボンを脱ぐと誘うように尻をふりふりさせた。
「いいぜ。ほら、思う存分突っ込んで来いよ!」
いつもの宗近ならこんな安っぽい挑発になど乗るはずもない。
しかし、この時の宗近は、何故がこの捉えどころのない男に無意識に惹かれ、普段の自分をすっかり忘れていた。
ともだちにシェアしよう!