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(02) 宗近 1 復讐に燃えて

深夜の誰も居ないオフィスビル。 そのビルの高層フロアにはある芸能プロダクションが入っていた。 『エクストリーム・プロ』 男性アイドル専門の事務所である。 かつて世を賑わすアイドルを何人も輩出していたのだが、それは昔の話。 最近はあまりぱっとしておらず、お笑いやバーチャルアイドルの新興勢力に押され気味である。 さて、そのプロダクションだが、真っ暗なフロアの奥から灯りが漏れている一室が有った。 そこは社長室。 革張りの応接セットと重厚なデスク。 装飾の入った壁に柱、それに現代アートの絵画。 それに輝かしいトロフィーの数々。 そんな豪華絢爛な部屋なのだが、何故かそれに似つかわしくないモノがあった。 シャンデリアから吊れ下がった首吊り用のロープ。 「はぁ、はぁ……」 そして今にもそのロープに首に掛けようとしている男がいた。 その男は、両手でロープを掴み、ふらつく椅子の上でゆらゆらとバランスを取っている。 その男の名前は、河井 宗近(かわい むねちか)。 年のころは二十歳前後。 容姿は、すらっとした体形で、長い手足。 ファッション誌のモデルを連想させる。 顔はその体形に引けも取らずの美形。 美しい黒髪のショートボブ。 整った目鼻立ちで、綺麗な瞳をしている。 しかし、そんな美男子なのだが、今は生死の淵に立った必死の形相。 ゴクリと生唾を何度も飲み込み、汗で頬をびっしょりと濡らしていた。 「い、いくぞ。オレは死ぬんだ! 恨みを晴らすんだ!」 宗近は、なかなか勇気が出せない自分に言い聞かせるように叫んだ。 目をつぶり、さあ、足元の椅子を蹴りだそう、とした時、眼下にとある男の姿が目に入った。 その男は、宗近に気付いてないかのように、平然と部屋を見回している。 「だ、誰だ!」 宗近は、大声を上げた。 「ん?」 その男は、いまようやく気が付いたかのように、宗近を見た。 ツナギ姿の大男。 宗近の事をまじまじと観察する。 (なんだ、こいつ? 何故こんな夜中に……ビル清掃業者か?) ツナギの男は言った。 「取り込み中悪いな。いいか? 中に入って」 「いいも、悪いも……もう、中に入っているじゃないか……何を言っているんだ?」 宗近は、呆気にとられた。 ツナギの男は、 「確かにそうだな……あははは」 と笑いながら、ズカズカと部屋の中を歩きだす。 そして、社長のデスクまで行くと、引き出しに手を掛けた。 「おい、何をやっているんだ?」 宗近は、この男の行動がまったく理解できずに尋ねた。 男は、答える。 「何って? クリーニングだが? お前こそ何をやっているんだ?」 「は? 見て分からないのか? 自殺だよ、首吊り自殺だ!」 「へぇ、それはそれは。邪魔して悪かったな」 ツナギの男は、平然と言い返した。 宗近は言った。 「止めても無駄だぞ! オレはもう生きていてもしょうがないんだ。復讐を成し遂げるんだ!」 ツナギの男は、頭をポリポリと掻いた。 「オーケー。大人しく座っているから続きをどうぞ」 そう言うと、ツナギの男はソファにドカっと座った。 そして、腕組みしながら宗近を見つめる。 宗近は、恐る恐る尋ねる。 「止めない……のか?」 「何だ、お前は止めて欲しいのか?」 「!?」 宗近は、閉口した。 同時に、カーッと頭に血が上った。 どうせ、死ぬ勇気なんてないんだろ? そんな小馬鹿にされたように感じたからだ。 宗近は、どもりながら怒りを爆発させた。 「ななな、んなわけあるかよ! そこで、しっかり見てろよ、オレが死ぬ所を!」 **** 震える脚。 頬を伝う汗が、ポタポタと顎から滴る。 宗近は、あんな啖呵を切った手前、もう後には引けない。 それは分かっている。 分かっているのだが、あと一歩が踏み出せない。 少し椅子を蹴ればいいだけなのに……。 「……畜生……畜生!」 宗近は涙ながらに叫んだ。 そして、自分の臆病さに嘆く。 「オレは、どうしてこんなにもダメな男なんだ……うっ、うう」 悔しくてやるせない。 その時、ふわっと体が浮くような感覚を得た。 えっ!? 何が起こったのか。 目の前にはツナギの男の真剣な顔。 そう、ツナギ男にいつの間にか抱き抱えられていたのだ。 宗近は痩せ型とはいえ決して小柄ではない。 普通の男の体重はある。 その男の体を意図も簡単に持ち上げ、抱っこしたのだ。 宗近は驚きで目をパチクリさせた。 (……何という逞しい体なんだろう……) 鍛え抜かれた上腕二頭筋、そして胸筋。 その中にすっぽりと収まる自分の体。 宗近はか弱い女の子にでもなったかのような感覚に襲われていた。 誰かに守られているという絶対的な安心感。 (何だろう……とても落ち着く……) 宗近は、うっとりとしてしばし時を忘れた。 そんな宗近だったが、男の声で現実に引き戻された。 「どうした、大丈夫か?」 はっとして目を見開く。 ツナギの男は心配そうに宗近の顔を覗き込んでいた。 「お、おい! お前! 何でオレを抱っこするんだよ!」 宗近は、急に恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。 そして、大袈裟に喚き散らかした。 しかし、その男は構わずに宗近の顔に顔を近づける。 「なんだよ……何か文句でもあるのか!」 宗近は、膨れっ面で言った。 「……いや、特にないが……」 男は尚もじっと宗近を見つめる。 宗近も宗近で、 (何なんだこの男は……) と男の顔をじっくりと観察した。 ぼさぼさの髪とツナギ姿に気を取られていたが、よくよく見ればかなりのイケメンである。 それは宗近の中性的な魅力とは違い、まさに男臭い野生的な魅力。 その男はポツリと言った。 「お前ってさ、可愛いのな……それにとてもいい匂いだ」 宗近は男の意外な言葉に動きが一瞬止まった。 (いい匂い……誰?……お、オレがか?) 可愛い。それは、よくひとから言われる言葉ではある。 しかし、いい匂い、だなんて初めて言われた言葉。 しかも、この男の口からその言葉が発せられたと思うと、何故か猛烈に恥ずかしくなってくる。 宗近は怒鳴った。 「ふ、ふざけるな! な、何を言っている……ん!?」 突然、その男の唇が宗近の唇を塞いだ。 「んっ、んんん……んんっ……」 男は宗近の口を激しく吸う。 それは肉食獣が草食獣を捕食するかのような獰猛さ。 「んんーっ!!」 宗近は息が出来ず、涙目になって口を離した。 「ぷはっ……はぁ、はぁ、て、テメェ! 何、突然、キスしてんだよ!」 「ふふふ、ははは。わりぃ、わりぃ! お前さ、なんか俺の好みなんだよ。最高にそそる匂いだしな! あははは」 男は少しも悪びれる事なく笑いながらそう言った。 **** 二人はソファに腰かけた。 宗近は、ツナギの男の顔をそっと窺う。 (結局、こいつは一体何者なんだ? 本当に清掃業者なのか?) 宗近は、先ほどからのこの男とのやり取りで、すっかり平常心を取り戻していた。 自殺する、という気持ちは変わらずに持っていたが、それよりもこの男への興味が勝っている。 男は、宗近の視線に気が付いて言った。 「自殺ってのは、相当な覚悟と勇気がいる物だ。なぁ、何故死にたいか、俺に話してみないか? 誰かに話すことで気持ちの整理がつくし、そうすれば勇気が出てくるかもしれない」 宗近は、その言葉の中にこの男の本当の優しさを感じ取った。 自殺を止めようとしているのではない。 自分の意志を尊重して、背中を押してくれようとしている。 (この男は、自分事のようにオレの事を思ってくれている。この男に全てを話してみよう……) 宗近は、そう思い立ち、すべてを話そうと決心した。 宗近は話を切り出した。 「オレは、この事務所のタレントなんだ。芸名も本名も同じ。河井 宗近(かわい むねちか)っていう名だ」 宗近は、役者志望。 しかし、アイドルから転向するのが近道だと知り、この事務所に入ったのだ。 「なのに、この歳になってもまだデビューもしてない。オレは社長に騙されたんだ……」 宗近は顔を下を向けて小刻みに体を震わせた。 それは、怒りを我慢する姿。 目を血走らせ、拳を固く握る。 宗近は話を続ける。 「オレは社長の性奴隷(おもちゃ)にさせられたんだ……」 そう言う声は悔しさのあまり震えていた。 「……事務所に入った初日にケツを掘られ、それからずっと情婦のように扱われた。でも、いつの日かデビュー出来ると信じて我慢して来た。が、それも限界……」 宗近がそこまで言うと、ポツリと一粒の涙が床に垂れた。 つまる所、宗近はデビューをチラつかされ、美男子好きの社長の言いなりとなった。 宗近は、それに我慢が出来ず、社長へ復讐を考えた。 それが、自殺である。 所属タレントの自殺が明るみになれば、ゴシップ好きなマスコミは大騒ぎをするだろう。 そうなればこのプロダクションにとって大打撃になるのは必至。 自分を騙した罰だ。その報いを受ければいい。 そこで宗近の話は締めくくられた。 ツナギの男は一部始終、黙って宗近の言葉に耳を傾けていた。 一時の沈黙。 それを破ったのはツナギの男だった。 「あははは!」 突然、大声で笑い出した。 先ほどの親身な言動から手のひらを返したような態度。 「な、何故笑う!」 宗近は怒鳴った。 「いやぁ、お前、アイドルとか役者に向いていないだけじゃないのか?」 男は笑いすぎて目じりを拭くようなそぶりを見せた。 「な、なんだと!」 宗近は、男の言い草に猛烈に腹を立てた。 額に血管が浮き立つ。 「ほら、アイドルってのは人を喜ばす仕事だろ? その資質が無いって事。違うか?」 「貴様! 勝手な事を言いやがって!」 宗近は、男の胸ぐらを掴む。 そんな、宗近を更に挑発するツナギの男。 「まぁまぁ、怒るなって……あっ、でも、図星だから、怒っているのか? あははは」 「はぁ、はぁ……貴様、絶対に許さない!」 宗近は怒りのあまり、息絶え絶えになった。 「お前にオレの何が分かるっていうんだ! せっかく身の上話をしたのにオレの事をバカにしやがって!」 宗近は拳を振り上げ、殴りかかろうとした。 それを制し、ツナギの男は、とある提案をした。 「じゃあ、証明してみろよ。俺のコイツを喜ばせられるかをよ」 男は自分の股間を指で指した。 「へ?」 宗近は呆気に取られた。 男は得意になって股間を突きだす。 宗近は男の真意が分からずに聞き返した。 「喜ばせられるか?……一体、どういう意味だ?」 「どういう意味って……分かるだろ? やろうって事だよ。セックスをさ……」 男はパチリとウインクした。 宗近は、今までの怒りから、一転して可笑しくなってきた。 「ぷはははぁ、面白い冗談を言う男だ」 しかし、ツナギの男は大真面目な顔つきのまま宗近を見つめている。 (な? こいつマジで言っているのか? この男……今日会ったばかりの奴とやろうっていうのか? アホにも程がある……いや、待てよ) 宗近は、ふと或る考えを思いついた。 (……ここは、あえてこいつの挑発にのり、上から目線の生意気なこいつの鼻を明かしてやるか) 宗近は、チラッと男の顔を見た。 口元には笑みを浮かべ、なんとも子憎たらしい表情をしている。 (こいつは、オレがどれだけ男に抱かれてきたのか知らない。社長がオレを手離さないのは、オレの体が最高に気持ちいいって証拠。よし、この男もオレの体の虜にさせて、後悔させてやる!) 宗近はニヤッと笑みを浮かべた。 そして、ズボンを脱ぐと誘うように尻をふりふりさせた。 「いいぜ。ほら、思う存分突っ込んで来いよ!」 いつもの宗近ならこんな安っぽい挑発になど乗るはずもない。 しかし、この時の宗近は、何故がこの捉えどころのない男に無意識に惹かれ、普段の自分をすっかり忘れていた。

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