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(15) 椿 1 美男と野獣

真夜中の港。 一台の車が、埠頭のとある企業の倉庫に到着した。 守衛所の前で運転席の男はIDカードを見せた。 すると、守衛は無言でその車を通す。 その車は、そのまま植え込みのライトの誘導で敷地内を進んでいく。 しばらく走ると、管理棟ともよべる地上数十階はあろう建物が見えてきた。 車は、その建物の地下へのスロープを下って行った。 **** そこは大きな駐車場。 止まっている車は、高級車ばかり。 当のその車も、黒塗りの外車である。 その男は車から降り立った。 「いらっしゃいませ、お客様。さぁ、こちらへ」 黒スーツの男が出迎えに来た。 「ありがとう……」 男はIDカードを黒スーツに渡すと、そのままエントランスへ向かった。 その男はサングラスを外しながら独り言を言った。 「まさか、本当に一流企業の敷地内に……誰も気がつかないわけだ」 その男は、高坂 拓海(たかさか たくみ)。 タキシードで正装し、髪を整え、いつもとは違い品の良いなりをしている。 知的で優雅。 上流階級のオーラを発している。 そして、それに相応しい立ち振る舞い。 どこぞの資産家の御曹司といっても通用するだろう。 「さて、潜入するとしようか……」 拓海の目がキラリと光った。 **** 「当サロンへようこそ。私は支配人の聖 椿(ひじり つばき)と申します。どうぞ、私の事は椿とお呼びください」 椿は、スカートの裾を持ってレディの挨拶をした。 刺繍が散りばめられた美しいシースルーのドレス姿。 上下でセパレートした純白のインナーが透けて見える。 扇情的ではあるが、フォーマルなレディース。 しかし、中身は男性である。 何故なら、胸の膨らみは無く、逆に股間の膨らみは男性の物が収まっていると容易に想像できる。 顔はキリッとした男性のようで、凛とした女性のようでもある。 美しい艶やかな黒髪の流れる髪。 中性的な美しさと言うのだろう。 拓海も礼儀に即して挨拶をした。 「私、高坂 拓海と申します。こちらへは初めて寄らせて頂きました。是非、拓海とお呼びいただけたらと……以後、お見知り置きを」 「こちらこそ、どうぞよろしく、拓海様。さぁ、こちらへ……」 サロンと呼ばれるこの空間は、中央に豪華な円形のステージがあり、その周りを多数のソファが取り囲む構成となっている。 かたわらにはカウンターバーがあり、世界各国、津々浦々の酒がお好みのままに提供される。 既に多数の来客の姿があった。 目元だけのマスクを着用し、客同士が互いの素性を知る事はない。 秘密クラブならではの配慮である。 客達はソファに座り、一様にステージを眺めている。 そのステージの上では、可愛らしい十代の男の子達がペアとなり音楽に合わせて踊っている。 男の子達の格好は、乳首が浮き出るくらい薄手のタンクトップと、布面積が極小のビキニショーツ姿。 筋肉の付き方、体やヒップのライン、手足のしなやかさや張り具合……そして男性器。 それらが、ライトに照らされて良く分かるように工夫されている。 そして男の子達は、ダンスする事が楽しいのか、皆笑顔を絶やさず、時折、満面の笑みさえ垣間見ることが出来た。 男の子達のショールームと言うべきこのサロンでは、客達は彼等の中からお気に入りの子を見つけ、商談に入るというシステムである。 人気の子ともなると特別に競りが開催され、そこで激しい争いが繰り広げられることになる。 これは、このサロンの目玉のショーの一つでもあるのだ。 **** 椿は、拓海を新しいソファに誘導しドリンクを運ばせた。 「……では、しばらくご観覧ください。気に入った子がおりましたら、お声をかけて下さい」 椿は、「では、ごゆっくり」 とお辞儀をした。 さりげなく拓海の様子を観察する。 (この男、本当にブローカーか? いや、この立ち振る舞い……財界政界、旧華族……ま、まさか、海外の王族、貴族か?) 椿の人物眼は定評がある。 この一部の隙もない拓海の姿は、並みの男ではないと判断した。 英国紳士のような洗練された身なりと立ち振舞い。 それでいて時折見せる笑顔は、地中海貴族のように軽やかで涼し気。 そしてなにより、ゆったりとソファに座る姿は、まるでアラブの王族のような絶対的な威厳が漂う。 椿は、自分でも判断しかねるこの謎の男に恐れすら感じた。 とはいえ椿は思う。 (……しかし、所詮、その中身は欲望にまみれたただの男。せいぜい、私に大金を落としていくがいい……) その時、後ろから黒スーツが耳打ちした。 「支配人、あちらのお客様が……」 椿は目を開いた。 そこには普段と変わらない椿の凛とした顔があった。 椿は、声のトーンを抑えて黒スーツに話かける。 「また、厄介ごとか?」 「はい」 椿は黒スーツにいざなわれて、拓海のそばから離れていく。 その後ろ姿を、拓海によりじっくりと観察されていたのだが、椿が知ることは無かった。 「美しい男だな……椿か……」 拓海はポツリと呟いた。 **** せっかくの男の子達の優雅なダンスタイム。 水を刺すようにひとりの客がステージに上がり、男の子の手首を掴み大声を張り上げた。 「高い金を払うんだ。味見ぐらい、いいではないか?」 「や、やめてください」 その客は小太りの中年男。 貴金属や装飾品の類を体中に付けて着飾る。 いかにも成り上がりの風体。 その男は、男の子を抱き寄せて、頬に舌を這わした。 そして片方の手は男の子の前に手を回して股間を揉みしごく。 男の子は恐怖で顔をひきつらせた。 そして、椿の方へ目を向けて、無言の助けを求める。 椿は、男を見て瞬時に判断した。 (この男なら蹴りの二発もあれば足りるか?) 椿は、銃を出そうとする黒スーツ達の行動を抑制した。 「待て!」 大騒ぎになれば、他の客達は身の危険を感じ逃げ出すだろう。 そうなれば、ここまで進んだ商談さえも流れてしまう危険性がある。 ここは穏便に事を運ぶ必要がある。 まさに、秘密クラブの支配人としての技量が試される場面である。 椿は、一歩前に出てステージの上に上がった。 「お客様。当サロンは淑女のたしなみを身に付けた嫁入り前の男の子ばかりです。もし、性欲処理をお望みなら『美男子通り』の男娼宿にでもどうぞ」 強気の発言に、回りの客達から失笑が漏れる。 男は激怒した。 「何を!? ワシは客だぞ?」 バカにされムキになった男は、袖の裏からナイフを取り出した。 一同ざわめく。 「へへへ……みな動くなよ!」 その男は、ニヤつきながら恫喝した。 椿は、一転して真剣な表情になった。 (サバイバルナイフだと!? ボディチェックをすり抜けたのか!?) ナイフ相手であっても遅れをとるとは思っていない。 しかし、商品である男の子達に何かあっては事である。 少しでも扱いを誤ると取り返しのつかない事になりかねない。 男は、得意げな顔でナイフを男の子の首筋にあてがった。 「ふふふ、そうだ。大人しくワシの言う事を聞くんだ。いいか、おかしな真似をするなよ? ワシの手は滑りやすいんだ」 黒スーツの一人がスッと男の背後に移動しようとした。 それを男は目ざとく見つける。 「おっと、動いたな? ああ、手が滑る」 男はそう言うと、男の子のショーツの横の部分をスパッと切り裂いた。 ショーツはするっと下に落ち、男の子のペニスがポロッと飛び出た。 「キャッ!」 男の子は短い悲鳴を上げた。 「だから言ったじゃないか? ワシの手は滑りやすいって。ははは」 椿は、誰も動くなと、黒スーツ達に無言でサインを送った。 男は、剥き出しになった男の子のペニスを、水平にしたナイフの刃に乗せ、ちょんちょんと持ち上げて弄ぶ。 「ほほう、なかなか可愛いペニスじゃないか。さて、このナイフで切り落としてみようか?」 男の子は、恐怖の表情を浮かべ、声にならない悲鳴をあげた。 椿は思うより先に体が動いていた。 突然、大振りの回し蹴りを放ったのだ。 ドレスの裾がパァッと広がり、男の目の前に広がった。 「くっ、くそ……何も見えねぇ!」 そのまま繰り出された脚は男の顔面に直撃した、かのように見えた。 しかし、男は片腕で難なく交わしていた。 ニヤッと笑う男。 椿は、しまった、とは思ったが後の祭り。 男は俊敏な動きで椿の背後をとり、あっという間に人質は男の子から椿に移ってしまった。 ナイフを喉元に突き立てられた椿。 額に汗をにじませる。 男は勝ち誇ったように言った。 「目くらましとはいいアイデアだったが、残念だったな……このワシにはそんな小細工は通用しない。おっと、黒服ども動くなよ? 動くとこいつの命の保証は無いぞ? ワシの手が滑りやすいのは分かっているよな?」 ジリジリと後ろに下がる黒スーツ達。 男は、「わははは」 と、得意げに笑った。 「さて、ワシの要求だが、男の子を3人もらおうか……なるべく気性の激しいのがよい。ふふふ、そして、ワシみずから3人とも去勢させる。ペニスさえ取ってしまえば従順になるからな……そう馬と同じ。ああ、堪らない。じゃじゃ馬ならしは最高だ。それに、ペニスなど用済みだろ? アナルさえあれば用は足りるからな。ははは」 いつの間にか片方の手は椿の股間に置かれていた。 「あんたもこいつを切り落としたらどうだ? 絶世の美女に早変わりだ。そうしたら、ワシが買ってやろう。あんたはいくらだ? ははは」 男はそう言うと、椿のペニスをぐにゃぐにゃと乱暴に揉み始めた。 「う、うう、や、やめろ……」 椿は、歯を食いしばり屈辱に耐える。 客達もこのアクシデントにただただ驚きの顔で見守っている。 「く、くそっ……」 と、椿は回りを見回し、ある事に気が付いた。 (先ほどの客……拓海の姿がない? どこに行った?) っと、後ろの方から声が聞こえた。 「なぁ、あんた。他の客に迷惑だろ?」 「ん? お前は何者だ?」 男がそう言う前に、拓海の鉄拳が男の顔面に炸裂していた。 バキ! 何かが潰れる鈍い音。 男は、鼻血を出してよろめいた。 拓海はその隙に、すかさず椿を自分の方に引き寄せた。 「あなたは、私の後ろへ……」 呆気に取られていた椿だったが、この拓海という男はただ物ではない、と直感した。 一瞬の動きを見ただけだったが、とても素人とは思えない程の俊敏な動きだったからだ。 まずは、この男の言う通りにするのが得策。 椿は、そう判断し拓海の背中の陰に入った。 **** さて、男は鼻血を拭きながら体勢を整えた。 「油断したぜ。まさか、ワシが遅れを取るとは……ワシはこう見えても元傭兵……ん? もしかして貴様も軍人か?」 「まさか……ただの一般市民だが?」 拓海は、肩をすくめて答えた。 男は、目を細めて改めて拓海を見た。そして断言した。 「嘘だな……たしか、先ほど貴様はワシの足を踏んで動きを封じてからパンチを繰り出した……あれは某国の特殊部隊の技。それを一般市民がマスターしている訳がない……」 無言の拓海。 「まぁ、いい。ここは一つ相談だが、ワシと手を組まないか? お前も、男の子を2、3人もらっていって好きな様に嬲るといい。趣味嗜好の限りを尽くして。ふふふ。お前はそいつを人質に取れ。どうだ?」 男は、ニヤつきながら提案した。 おそらく拓海も自分と同じ種類の人間。そう思ったのだろう。 拓海は、やれやれ、と手を広げて言った。 「おしゃべりだな、あんた。いいから、ナイフをこっちへよこせ」 「交渉決裂か……惜しいな。お前みたいのは頼りになるのだがな!」 男は最後まで言い切る前に拓海に襲い掛かかった。 ナイフが拓海の喉元に迫る。 人を何人も殺めている躊躇ない動き。 椿は、まずいと思い叫んだ。 「お前達、やれ!」 黒スーツ達は、懐の拳銃を取り出そうする。 が、きっと間に合わない。 (だめだ……) しかし、椿の目に入ったのは驚きの光景だった。 拓海は、放たれた電光石火の男のナイフを、先読みでもしていたかのように意図も簡単に交わしたのだ。 分身でもしているかのようにスローモーションで残像が見えた。 (……なんという動き……神速……) 椿は、声にならない声で呟いた。 「嘘だろ!? これをよけるか!」  元傭兵の男とて同じ。そう叫んでいた。 そして、その隙を拓海は見逃さない。 拓海は、そのまましゃがんだ姿勢から、体をしならせ、後方へと一回転させた。 同時に放たれた蹴りが空を切る。 シュッ…………バコン!!! 男の顎に蹴りが直撃し、男の体はそのまま宙を舞った。 椿は、自分の震える手をもう一方の手でギュッと抑えた。 (さ、サマーソルトキック……なんて美しい、まるで夜空に浮かぶ真円の満月……) 椿は、その拓海の美しい足技に一瞬で心を奪われていた。 男は轟音を立てて、地面に叩きつけられた。 **** 男は何とか立ち上がった。 「はぁ、はぁ、くそっ……」 元傭兵は伊達じゃない。 普通の人間なら、あの一撃で沈んでいただろう。 よろめく体で、落としたナイフを探そうとした。 「こっちだ……」 男は肩を叩かれて、そちらを向いた。 そこには、氷のような冷たい目をした拓海の顔があった。 猛烈な殺気……。 「ひゃ、あああ……」 男は、思わず叫んだ。 恐怖に顔を歪ます。 死の恐怖……。 戦場で死線を渡ってきたからこそ身に付いた本能とも言うべき直感。 「や、止めてくれ、殺さないでくれ……た、頼む」 男は、目に涙を浮かべて懇願した。 それを見た拓海は、にこっと、笑顔を見せた。 男は、拓海に許されたと思い、 「じょ、冗談きついぜ、あんた……はははは……」 と笑った。 拓海は、男に言った。 「俺も、じゃじゃ馬ならし、というのに興味がある……」 「へ?」 次の瞬間。 拓海は、思いっきり男の股間を蹴り上げた。 天地がひっくり返るような鈍い音が鳴り響く。 「ぐおおおっ……ぐうおぉ……」 男は、股間を抑えて動物のような呻き声を上げた。 そして、それはしばらくの間つづき、やがて、体をピクピクとさせて動かなくなった。 「どうだ? 男のモノが潰れる気分は? もう、そいつは使い物にならないだろう。よかったな、これでお前の気性も収まるのではないか?」 拓海は、そう言い放つと男のナイフを静かに拾い上げた。 **** 気を失った男は、黒スーツ達によって確保された。 そのままサロンから退場していく。 椿は、その後始末の間、拓海から目が離せないでいた。 (この拓海という男。何という男だろう……貴族や王族なんて器に収まるレベルではない……何かもっと大きな存在……) 興奮して体の芯が熱い。 (なんだろう、これは? 胸がドキドキする……) ずっと昔に持っていたような感情。 (ま、まさか、恋心?) 椿は首を振る。 そんな訳はない。 自分には人並の幸せや生き方はもうできない。 それをよくわかっているし覚悟もしている。 (私に恋など……あり得ない) 椿は、すーっと深呼吸をして、気持ちを切り替えた。 いつものクールな自分を取り戻す。 そして、拓海に声を掛けた。 「拓海様。ありがとうございました」 「いいえ、椿さん。お怪我はありませんでしたか?」 何事もなかったような平然とした態度。 その微笑みは、再び椿の心をかき乱す。 「い、いいえ、大丈夫です……」 椿は、動揺を隠すようにすぐに目を逸らした。

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