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1. 初対面
俺は彼を吉村さんと呼んだ。
吉村さんの家に行くには、駅から二十分バスに乗り、下りた後も緩い坂道をたっぷり七、八分は登る必要があった。
途中で左に曲がると、舗装されていない細い砂利道で、傾斜は急にきつくなり、神崎さんに連れられて初めて来た時は駅からタクシーに乗ったが、その細い道には車が入れないのだった。
「嘘だ。あそこまで登るんですか」
砂利道は途中から石段に変わるようで、上がったその先に色褪せた木戸が見えていた。
「あの上までは、行かない」
「はあ」
神崎さんについて上がっていくと、石段の手前の右側に、吉村さんの家があった。
黒いペンキが剥がれてところどころ錆が浮き出た鉄製の小さな門の向こうに、新品らしい真っ白の玄関扉がある。古びた木造の家からそのドアだけ浮き出して見えた。
「な、ドア、これだ」
「はい。確かに」
俺は保険会社の社員で、神崎さんは先輩だったが転職が決まっていた。新しい担当者として吉村さんに紹介するために、神崎さんは俺を連れてきたのだが、俺は吉村航介を以前から知っていた。
吉村航介は、俺が大学に入った年に四年生で、音楽をやったり、学内誌に小説を発表したり、何かと目立つ存在だった。
神崎さんはドアをどんどんと拳で二回ノックする。チャイムらしきものはどこにもない。
「開いてる!」
思いがけず近くから声がした。後から知ったことだが、玄関の横に彼の仕事部屋がある。
「これ、話してた須藤南くん」
神崎さんの言葉に合わせて俺はお辞儀をして、もう一度、玄関先の吉村航介を見上げる。
いわゆる美男だと知ってはいたが、実際に見ると、全身に光を纏ったようで、独特の雰囲気があった。
はじめまして、と言う声が自分でも小さすぎたと思う。吉村さんは、どうも、と言って、神崎さんに視線を移し、
「上がってください」
と踵を返した。
薄暗い玄関からまっすぐ廊下を行った先の居間は、太陽の光が差し込んで、眩しいほどだった。部屋に入るなり、神崎さんは奥のソファーに腰を下ろして、
「南、どきどきしてる?」
とにやにやしながら言った。
「こいつと初めて会うと、みんなどきどきして挙動不審になる。なー、航介」
「知らん」
吉村さんは言い捨てて、俺と目が合うと、食卓のあたりを指差した。長い指だった。
「お茶いれるから」
「あ、すみません」
彼は、入ったのとは別のドアから出て行った。
彼が後ろ手に閉めた緑色の木の扉に、金色の小さなドアノブが付いていた。この家のドア全部にこのドアノブが付いていて、手が金臭くなり、洗ってもなかなか落ちないことを、俺はしばらくしてから知ることになる。
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