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第8話
この世界には、人間と人外と獣人の三種類がいて、体型や見た目が多種多様だ。遊郭や賭博場、公共施設はありとあらゆる種族に対応できるよう、間口は広く、天井は高く、階段も幅広に造られている。特に、獣人用は、一部屋の区分も人間とは別規格で、家具や調度品、窓や建具、食器、電化製品、風呂、ソファ、ベッド、なんでも大きかった。
かといって、この家は、人間のコウが生活するのにさほど不便な造りではない。それはおそらく、遥か昔、ここが遊郭だった時に春を売っていた女たちの大半が人間だったからだろう。
人外や獣人の遊女やコールガール、高級娼婦は、それぞれ自分たちの生まれ育ったコミュニティにある売春宿や元締めの世話になることが多い。こうした業界にも派閥や棲み分けがあって、当たりが悪ければ、……特に、生き抜く知恵に乏しい孤児は一方的に悪い大人たちに搾取され続けて酷い目に遭う。
コウやミホシだって、サティーヌに拾われていなければ、路地裏で体を売って日銭を稼ぐしかなかった。こんなきれいなお屋敷で春を売って這い上がるチャンスを得ることもなく、ドブ鼠みたいに這いつくばって死んでいたに違いない。いまだって、一歩間違えれば、すぐにこの世の底だ。自分が道を間違えなくても、どれだけ正しく生きても、商売敵や客に逆恨みされてしまえば、人生なんてあっけなく終わってしまう。
「こーくん、いたい……」
「ごめん」
ミホシと繋いでいた手をゆるめた。
ミホシにだけは、なにがあっても身元のしっかりした正しい職業に就いた優しい親元へ引き取ってもらう。なにひとつとして間違いのない親を調達することがコウの役目だ。
「大丈夫か?」
「なにがです?」
ウェイデに問われて、コウは質問で返す。
「なんともないなら、それでいい」
「なんともないです」
「こーくん、あっち、ミホシ、あっち見たい!」
「分かった分かった。……あんまり急ぐと危ないぞ」
ミホシに手を引かれて、廊下の欄干越しに一階の中庭を見下ろす。
「宝石のお庭、きれい……」
「きれいだなぁ……」
二人して口を開けて中庭の美しさに圧倒され、ウェイデに「上を見てみろ」と指で示された天井を見上げれば、まるで真っ白な孔雀が羽を広げたようなシャンデリアがあって、二人してもっと大きな口を開けて「ふぁ~」と間抜けな歓声を上げる。
一階はシノワズリだったが、二階はコロニアル様式で、彫刻の施された白壁に大理石の柱と床、白い窓枠と大きな窓が印象的だった。
廊下にはペルシャ絨毯やなにかの毛皮が敷いてあったり、黒檀や紫檀の卓子や椅子が品よく配置されている。廊下でさえこんなにも豪勢なのだから、それぞれの部屋は一体どれほど美しいのだろう。コウやミホシには想像もつかなかった。
「ミホシが気になっている庭は……離れのほうから見るか」
「ミホシ、下だってさ」
「こーくん、早く行こ!」
ウェイデに促されて一階へ下りた。
これはもう家の探検というより、重要文化財の社会見学だ。
一階の奥、コウも知らなかった特別な細い廊下を抜けて、扉をひとつ潜るとコウが借りている離れのある庭へ出た。
「こっちは本物のお庭だね」
「そう言われてみればミホシの言うとおりだ」
離れの庭は、本物の木が植えられて、花が咲き、湧き水を汲み上げられる井戸があって、その湧き水を分水した小さな池もあり、季節によっては蓮の花が咲く。
ここだけはすべて自然物で構築されていた。
「昔、この離れは特別な客……上得意だけを通した。そのためか、手間暇かけて丹精した本物だけを提供したらしい」
「はー……酔狂というか、特権的というか、まぁ……この離れに通された客は自尊心が満たされただろうし、この離れに通されたいと思う客は頑張って通って金を落とすだろうなぁ……」
オンナも建物も庭も本物を見せるのは本物が分かる上得意だけ、という意味合いがあったのだろう。この離れを使っていたのも、この妓楼で一番の売れっ妓だったらしい。
それを聞かされたコウは、「道理で、やけにこの離れ周辺だけ高い塀に囲まれてると思った。通用門がないのも遊女が逃げ出さないためだし、不埒な外敵から遊女を守るためだ。……そう考えると、俺、すごい離れで暮らしてるな……完全に囲われ者の立ち位置じゃん」と改めて思った。
なんとなく、「この離れ、外から侵入者が入ってこないし、ウェイデが監視カメラ付けてくれてるし、防犯面も安心できるな~、母屋に貴重品とか骨董品とか多いのかな~」などと呑気に考えていた。
「どうした?」
「なんでもない。ちょっとウェイデは油断ならない男だと思った」
そもそも、この離れに住めばいいと勧めてきたのはウェイデだ。
もしかしたら、ウェイデは自分のお気に入りを囲い込みたい男なのかもしれない。
コウは、甘えすぎずに自分をしっかり持とう、と気を引き締め直した。
「こーくん、ミホシとこーくんは、こっちに住むの?」
「そうだよ。庭、きれいだろ。朝はもっときれいだぞ」
「お風呂とおトイレは? ミホシ、夜、お布団に入る前におトイレに行くよ?」
「風呂とトイレは母屋のを借りるんだ」
「…………遠い。よる、まっくら……」
夜の離れと庭を想像したのか、ミホシはウェイデの尻尾に両手でしがみつく。
「こわくないって。ちゃんとウェイデが夜間照明点けてくれてるし、人感センサーもあるから」
「なぁ、やはり母屋がいいと思うぞ。これからミホシは三食をこの家で食べるんだろう? 母屋から離れまで毎回食事を運ぶのか? それ以前に、お前、この家で料理を作ったことがないだろう? 食事や風呂のたび、毎日母屋まで足を運ばなくてはいけない。朝の寒い日に、雪の降る夜に、大雨や大嵐の日に、夏の暑い日に、この庭とあの狭い廊下を渡って母屋まで来るのか? それはあまりにも可哀想だ」
「……確かに、それは……ミホシが可哀想だ」
「お前も可哀想だ。お前たち二人が寒いなか鼻や手や頬を赤くして凍えそうになりながら上着を着て離れを往復するなんて、とてもではないが俺が耐えられない」
「…………俺も可哀想なのか」
「お前もだ。せっかく風呂に入って腹いっぱい食って身も心も温かくなっても離れに戻る間に冷えてしまう。ヒートショックにでもなったらどうする。……うん、やはり、この狭い離れでは生活しづらいな。母屋に来るといい。前々から思っていたんだ。朝、顔を洗うにしてもこの井戸水は冷たすぎる」
「……その冷たいのが、目が醒めて気持ちいいのに……」
「分かった。では、これからは俺が井戸水を汲んでお前の寝床に運ぶから、母屋にしよう」
「どうしても母屋で暮らさせたいんですね?」
「そうだ」
「お庭は? こーくんのにこにこするお庭は、このお部屋じゃないと見れないの?」
「母屋の西側にある特別室からもすこしだけ見られる。ちょうど西には空き部屋がある。離れの庭も、母屋の中庭も、両方見ることができるぞ」
「じゃあそっち! こーくん、おねがい。ミホシ、お庭が両方見れるお部屋がいい。ウェイデ、今日からよろしくお願いします」
ミホシがさっさと自分で決めて、深々とウェイデにお辞儀する。
「……ミホシ、もう決定しちゃったの?」
「うん。こーくんも、ミホシといっしょにおねがいします、って言って?」
コウの手に尻尾をくるんと巻きつけて、コウにも一緒にお辞儀をさせる。
「……じゃあ、あの、すみません、母屋で世話になります」
「こちらこそ、よろしく頼む」
ウェイデも胸の前に手を当てて、優雅に一礼した。
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