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第1話
定例会はいつも通りに柴田が指揮をとっていた。ずっと真中が行っていたそれを、真中が柴田に任せはじめたのはいつ頃のことだったのだろう。柴田だけは管理職扱いでもリーダーではなかった時期が少しあって、そのうちに柴田は副所長なんていう、今までなかった肩書がついた。そうなって見れば、真中が会議の司会を、そしてその他の仕事の多くを、柴田に任せたのは必然のように思えた。仕事のできる人間には仕事をさせるというのが、真中のやり方でそう言うところは変わっていないのに、最近の真中は少し可笑しかった。ぼんやり考えながら、天海 は一番奥の席に座って、柴田の隣に座っている真中のことをじっと見ていた。今日もいつもの黒いシャツで、柴田の話を聞いているのかいないのか、時々露骨に欠伸をしている。そんな風にしていたって真中は真中だし、会議に出ているリーダー連中ですら、未だに彼に変な憧れを抱いていたりする。
「・・・アマさん」
その時、左側に座っている人間に、多分隣に座っている天海にしか聞こえないくらいの小さい声でそう呼ばれて、天海は真中を見ていた目をふっとそちらに向けた。隣には夏目 が座っている。夏目は会議に出ているリーダーの中では唯一の女性だった。
「なに」
「アマさん、氷川クレジットの仕事回されてますよ」
「・・・は?」
会議が暇だったのか、夏目は今日の会議の資料の大分先を勝手に見ていたらしく、そのページを開いて天海に見せてきた。確かに氷川了以の名前があり、その下には自分の名前もある。これを振ったのは真中なのだろうか、考えながら天海は真中のことをもう一度見やった。相変わらず彼はそこで眠そうにしている。それとも柴田か、柴田にどこまで権限があるのか、天海は知らなかったが、副所長ともなれば仕事の割り振りくらいするのではないかと思って、ちらりと柴田を見やると、今日も青白い顔をして、声を張り上げている。氷川のことは苦手だったから、何となく真中は自分には回してこないだろうと、天海は思っていたけれど、こうして実際会議に通っているということは、その予想も外れているのかもしれない。そもそもずっと氷川クレジットの仕事は真中がやっていて、部下に下ろすなんてことはしなかったのに。
「・・・さいあく」
「はは、まぁ、でも、アマさんなら大丈夫でしょ」
気の毒と言いながら一方で面白がっているような顔をして、夏目はそう呟くとそのまま正面を向き直った。柴田の進行は続いている。この会議のいつどのあたりで、真中は自分の名前を呼ぶのだろうと考えながら、天海は資料に目を落としていた。
定例会は時間通りに終わり、ぞろぞろとリーダー達は会議室を出て行く。真中は何かこの後予定でもあるのか、そそくさと会議室を出て行った。隣の夏目はまだ何か言いたそうにしていたけれど、こちらだってこのまま黙っているわけにはいかないと思って、天海は資料を握ったまま、夏目を会議室に残して真中の背中を追いかけた。真中はそのままどこにも寄り道することなく、所長室に入って行った。天海は真中が閉めた扉の前に立ち、そのままの勢いでそこをノックした。
「あ、はーい」
「天海です、入ります」
短く言って扉を開けると、やはり真中はこの後出かける予定でもあるのか、会議では着ていなかったジャケットを羽織って所長椅子に座っている。
「おー、アマ。なに?」
「・・・氷川さんの、俺で良いんですか」
そんな風に真中がすっとぼけた声を出したのに、少しだけ苛々しながら、天海は握った資料を真中の前に差し出した。いつの間にかくしゃくしゃになっていたそれを一度真中は悠長な仕草で見やってから、ちらりと立ったままの天海を見上げた。
「えー、良いと思うけど、嫌だった?」
「じゃなくて、真中さんとか、それこそ」
言いかけて天海は一度自分にブレーキをかけるみたいに口を閉じた。すると真中は不思議そうな顔をして、黙った天海をじっと見ている。
「柴田とかじゃなくても、良いんですか」
口から出た言葉は小さくて、弱弱しくて、情けなくて嫌だった。真中は天海がまさかそんなことを言うとは思っていなかったようで、吃驚したように目を丸くした。それはそうだろう、天海だってこんなことを、真中相手に言うつもりはなかった。もしかしたら真中は知っているのかもしれないけれど。しかし実際言葉に出してみると、それは酷く情けなくて、天海のなけなしのプライドも自尊心も痛んで、言うべきじゃなかったと思ったけれど、もう言葉にしてしまったものを今更撤回することに意味なんてなくて、天海はただその無茶苦茶な気持ちと一緒に真中の前にぽつんと立っていることしかできなかった。
「なに、お前、そんなこと考えてんのかよ」
「・・・別に、俺は、ただ」
「柄でもねぇ、止めとけ」
「・・・―――」
真中は余り優しい言葉を使わない、多分天海に対しては。それは天海がこの事務所で二番目に古株であることも、きっと関係している。大学で同期だった波多野とはまた、今の上司と部下であるという関係を飛び越えて、不思議な関係性であることは何となく分かっていたが、天海に対しても他の管理職とは違う当たり方をする。それに気付いたのはいつ頃だろう、それが良いことなのか悪いことなのか、天海には分からなかったけれど、弱った時に真中に助けを求めても自分は助けてもらえないのだと、ただ理解しただけだった。別に優しい言葉をかけて欲しいわけじゃなかったけれど、こんな風に惨めになっている時くらい、弱っている時くらい、正論で諭すのはやめて欲しかった。天海は奥歯を噛んで、この状況にふさわしい言葉を考えていた。
「俺もう出るけど、まだ話ある?」
「・・・別にありません」
「そんな顔するなよ、アマ」
そんな顔ってどんな顔だろう、考えながら天海はまた奥歯を噛んだ。真中はそうやって黙る天海に対して呆れたみたいに溜め息を吐いて、そしてふらっと座っていた所長椅子から立ち上がると、傍に置いていたらしい鞄を掴んでデスクの上に乗せた。天海は別にもう話はないと言いながら、所長室から出て行くことが出来ない自分のことを考えながら、真中の動作をいちいち目で追っていた。
「大丈夫だって、なんでそんな自信ないの、お前」
「別に、変なこと言ってすいません。失礼します」
「・・・ほんとに」
自信がないわけではない、自信がないわけではなかったけれど、それを真中に言ったところで、最早意味なんてないことは分かっていた。考えながら口先だけで適当に取り繕って、真中に頭を下げると、天海はそのまま急ぎ足で所長室を出て行った。最後に真中は何か言おうとしたけれど、その言葉もきっと辛辣なものならば、天海はそれを聞くのは嫌だと思った。
だから聞かなかった。
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