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第5話「ハルとユキの日常」
食べ終わった皿をザラザラと晴也が洗う。
基本的に家事を手伝うことが無い智幸はテレビの前のソファにどっかりと座り、旅番組を見ていた。
《てな訳で今回は沖縄に来ましたー!》
《海があおーい!空が広ーい!》
沖縄、と聞いて晴也はテレビの方を向く。
手前に智幸の刈り上げられたうなじが見えて邪魔だ。
番組は沖縄の特集をしており、街行く人に夏休みに行きたい観光地を聞いて回ってから、第1位の沖縄の映像が流れ始めていた。
(友梨、行くんだっけ)
恋人の夏休みの家族旅行の行き先である沖縄に、晴也は少し憧れを抱いていた。2人きりで行くにしても、沖縄はきっと良いところだ。彼は一度も行った事がなかったが、見るだけでも南の島なら好きだった。
(どこの島行くんだっけ。み、、みや、何とかだったかな)
お土産買ってくるね、と言って笑った彼女の顔を思い出し、晴也は少しにやけると、洗い物を終わらせて掛けてあるタオルで手を拭き、智幸の隣にどす、と座ってテレビを見始めた。
先程風呂から上がった母は、少し駄々をこねる妹に1階に残る2人へ「おやすみ」を言わせて2階へ上がり寝る準備をしている。
自分もさっさと風呂に入ればいいのだが、どうしても沖縄が気になった。
「、、、」
珍しいな、と智幸はテレビ画面の光を反射する、晴也の緑色の目を横から盗み見る。
いつもなら直ぐに風呂に入って2階へ消えて行く晴也が隣に座ったのが物珍しかったのだ。
テレビを見ながら晴也は誰かに携帯電話で連絡を取っているようで、まあ、彼女だろうな、と察した智幸はまた少しイラつきながらごろんとソファに横になった。
「重い」
無視した。
智幸と喋りもせず、ここにいない女と連絡を取る晴也が鬱陶しくて仕方ない。
できたら視界に入れたくも無い存在の固く引き締まった太ももに頭を乗せ、脚は中途半端にソファの肘掛けの向こうまで伸ばした。
(男の膝、かった)
嫌ならやめれば良いものを、仰向けだった智幸は晴也の腹のある方へ寝返りを打ち、目の前にあるTシャツのシワに顔を押し付け、身体の上にある左手を晴也の腰にぐるんと回した。
「、、、」
文句は降って来ない。
彼女との連絡に夢中なようだった。
もう一つの理由は、これは2人にとって至極当たり前の距離感だったから、晴也は智幸に抱きつかれても気にも留めないのだ。
「あ、宮古島か」
晴也の小さな声まで智幸の耳に届く。
それくらいには距離が近かった。
最近は金曜日も遅く帰ってきていた晴也とこうしてソファで寛ぐのは智幸にとって久々の事で、彼は何処か安心したように脱力している。
「、、ん、」
「あー、いいなあ。海キレイ」
一瞬身をかがめて携帯電話を目の前のローテーブルに置き、晴也はテレビ画面を見つめながら独り言を呟いている。
智幸は自分の携帯電話の電源を切っていた。
間違えて奈津香に画面に出てくる通知を見られでもしたら悪影響になりかねないと気を遣っている。
「ユキ、眠い?」
ふわ、と晴也の手が智幸の頭を撫でた。
(遅い)
ずっと晴也が頭を撫でるのを待っていた智幸は、彼の腹の辺りに顔を埋めたまま微動だにせず目を閉じている。
「ユキ」
耳に残るその声に、煩わしそうに眉間に皺を寄せた。
「うるせえ」
「帰らなくて良いの」
晴也は智幸の左耳にある小さな石の付いたピアスを見つめる。
ゆっくり頭を撫でながら、染められていない黒髪で遊び、ザラザラしている刈り上げの部分に触れてその感触を楽しんだ。
智幸からの返事はない。
「ユキ」
寝そうになっている智幸の顔が、自分の着ているTシャツの布の間からチラリと見えた。
その瞬間に、先程までゆっくりと優しく智幸の頭を撫でていた手は、今度は智幸の頬を撫でる。
「、?」
うっすらと開いた目が、ぐるりと辺りを見てから晴也を見上げて視線を細めた。
「なに」
不機嫌そうな声だった。
2人の間の時間は穏やかに、緩やかに、周りと違って遅く流れていく。
「帰らなくて良いのかよ」
んん、と低く唸ってまたぎゅう、と晴也の腰を抱き寄せ、智幸は晴也の匂いがするTシャツに顔を埋める。
「どうしたいの?」
まるで智幸に甘える奈津香のように、智幸はぐずって答えない。
「、、、」
「帰んの?」
自分よりも10センチ近く大きく、身体つきで言えば筋肉量も違う男の髪を撫でながら、晴也は穏やかだが無表情で智幸を見下ろす。
「、、嫌だ」
短く、そう答えが聞こえた。
「、、じゃあそばにいる」
パッと髪を離し、晴也は背もたれに体重を掛けて埋もれる。
智幸はもう一度、ぎゅっと晴也の腹に抱きついた。
「起こしてごめんな」
「ん」
2人にはいつもの事だった。
だから何の感情もなく、2人はそうやって肌を合わせたまま一緒にいる時間を過ごす。
「ハルちゃん、、ハルちゃん」
肩を揺すられ、つけっぱなしで寝ていたテレビ画面がぼやけながら光を放っているのが見える。
晴也はしばらく瞬きを繰り返し、頭を振って眠気を払ってから冬理を見上げた。
「あれ、寝てた」
「寝てたよ。どうする?お風呂明日にする?」
明日は土曜日だが、早くから部活がある。
身体にかけられたブランケットを一度剥いで、痺れている太ももを見下ろした。
智幸はまだそこで寝ている。
「、、、明日にする」
それを見ながら言うと、冬理は隣でふふ、と笑った。
「ユキちゃん、寝ちゃったねえ。お家帰らなくていいのかな?明日の予定とか。何時に起こそう?」
パッとテレビを消す。
「俺が起きたら起きるよ。ほっといていいんじゃない」
「そっかあ」
冬理は楽しそうに落ち掛けているブランケットをもう一度智幸の身体にかけ直し、晴也が再び背もたれに埋もれるのを見つめながら、愛しげに目を細めた。
「最近ハルちゃん帰ってくるの遅かったでしょ?」
「んっ?、、んん」
眠そうにあくびをして、晴也は無意識に智幸の頭を撫でる。これはもう癖に近かった。
「ユキちゃんずーっと不機嫌さんでね、ご飯あんまり食べてくれなかったの。今日は完食!流石親友ね、ハルちゃん」
このこのー!と言いながら肩を軽く叩かれたが、何がこのこのー!なのか晴也にはよく分からない。
そして、
「親友とかじゃないよ」
それだけは否定をした。
智幸が自分の家にいる事を快く思った事も、助けられた事も晴也にはない。
小さい頃から遊んで、智幸が何か物を壊すたびに罪のない晴也も怒られた。女の子を追い回して泣かせたときも晴也は一緒に怒られた。
誕生日に買ってもらったゲームを先にやられて喧嘩したときも晴也は一緒に怒られた。
そんな記憶ばかりで、晴也にとって智幸は、今やデカくて邪魔なものだった。
「えー?」
冬理は既に目を閉じた晴也の憎まれ口を楽しそうに聞き流し、彼が剥いだブランケットをもう一度腹にかける。
「その割には、離れないのにねー」
そう言って、眠った息子2人を見下ろしてうんうん、と笑ってから、先程帰ってきて2人を起こさない様に食事と風呂を済ませた夫のいる寝室にゆっくりと上がって行った。
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