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第8話「ユキの家」
友梨と2人で夕飯を済ませて帰宅すると、頬を膨らませた奈津香が玄関に立っていた。
「ナツ?」
腰に手を当て仁王立ちをして、奈津香は玄関を上がって直ぐの廊下に立ち塞がり、晴也を家の中に入れようとしない。
「ユキちゃんいじめたでしょ!!」
奈津香は本気で怒った声をしていた。
「あー、、、いじめてはない」
「ユキちゃん何度もハルちゃん帰ってきた?って家に来たのにハルちゃん全然帰って来なかったじゃん!!」
こう言うのがいじめを生むのではないだろうか、と晴也は奈津香に呆れる。
明らかに贔屓している智幸の事だけを考えて奈津香は今怒っており、晴也の言い分を聞く耳もない。聞いたとしても「ハルちゃんが悪い」と言い張るに決まっている。
奈津香は智幸贔屓なのだ。
「謝ってきて!」
「謝らないよ。悪いことしてないから」
通せんぼをする奈津香の腕を掴んで痛くないように退かしながら、晴也は靴を脱いで廊下に上がり、ゆっくりとリビングに歩いて行く。
「ハルちゃんの馬鹿!!ユキちゃんの家行って謝ってきて!!」
ギャワギャワと騒ぎながら奈津香が晴也のワイシャツを掴むが、晴也は気にしない。
「ハルちゃん!」
明らかに智幸が悪いのだ。謝る筋合いはない。
晴也は忘れてた、と一瞬洗面所に立ち寄って手を洗い、再びリビングに向かって行って廊下と隔てるドアを開けた。
無論背中には奈津香がくっついている。
「おかえり〜」
「ただいま」
いつも通り冬理が呑気な声で晴也を出迎えた。
「ハル、おかえり」
「あれ?今日早いんだ。ただいま」
奈津香の不機嫌の原因はこれもか、と晴也はいつも奈津香が座っている位置にどっかりと座り、新聞を読みながら小難しい医療もののドラマを見ている父親・牛尾哲朗(うしおてつろう)のふにゃっとした笑顔に応えた。
(ソファもテレビも占拠されて俺に当たってんのか)
「お父さん、そこナツの席だから、隣に退いてあげて」
「え?そうなの?」
休日は良く遠出に連れて行ってくれる父親だが、家族の定位置や好きな食べ物はなかなか覚えない。それよりも仕事の重要な情報で脳が埋まってしまっており、家族の情報を入れる隙間がないのだ。
「あと新聞見るならナツにアニメ見せてあげて」
「え?あ、なっちゃんごめんね、どうぞ」
自分の機嫌は自分で取るがたまにデリカシーがない。哲朗はそんな父親だが仕事はできる。晴也にとっては大切な家族であり尊敬している大人だった。
「、、ハート泥棒見ていい?」
「いいよ。ごめんね、難しいの見てて」
哲朗が新聞を優先すると分かり、パッと明るい顔になった奈津香はソファのいつもの場所にボフン、と座り、上機嫌に「ハート泥棒リブロ」と言うイケメンが様々な美女の悩みに応え、毎回恋をするが失恋で終わると言う女児向けのアニメを見始める。
「ハルちゃんありがと!」
機嫌の治った奈津香は珍しく晴也にお礼を言ってまたテレビ画面にかじりついた。
「、、、お母さん」
「んー?」
「ユキ、何回家に来た?」
キッチンの手前にあるダイニングテーブルの椅子に座り、買ってきた雑誌を読んでいた冬理が顔を上げる。
「3回かな?」
「夕飯残ってる?多分アイツ食べてないんだ」
「えっ、そうなの!?やだやだ」
冬理は慌てて立ち上がるとキッチンへ駆け込み、冷蔵庫の扉を開く。
晴也が連絡を入れていた事もあり、夕飯はきっちり3人分しかなかったようだ。
「あ、冷凍海老ピラフがあるからそれ温めよ!あと唐揚げの冷凍のならあるんだけど、栄養偏っちゃうなあ」
「いいよ、それあっためるから貰っていい?」
「ハルちゃん行ってくれるの?」
「うん」
あの怒りようからして、智幸はどうせ家でキレ散らかしてそのままふて寝している。
最後に来たのは18時半頃だったようだ。
店で鉢合わせになったのが16時半頃。すぐ帰って来たとして17時には自分の家に着いていた筈だ。
(だったら何も食べてないだろうな)
電子レンジで温め終わったピラフと唐揚げを雑に皿に盛り、お盆の上に乗せる。冷蔵庫に常備されている麦茶を普段から智幸用にしているマグカップに並々と注ぎ、晴也はそれを持って家を出た。
(あ、久々だ)
5分とかからず智幸の家が見えて来る。
思った通り智幸の部屋の明かりだけがついていた。
何かと用事があれば訪れるが、半年程来ていなかった智幸の家の前に来るとお盆を片手で持ってまず門を開き、中に入って閉める。
それから玄関のドアの前に立ち、牛尾家用にひとつだけ渡されている沢村家の鍵をドアの鍵穴に差し込んだ。
ガチャン
軽い解錠の音。
片手でドアを開け中に入ると、音を立てないようにドアを背中で受け、ゆっくりと閉める。
中は真っ暗だったが、目が慣れて来るとぼんやり廊下の先まで見通せた。
靴を脱いで上がり、リビングのドアを開けて入るとテーブルにお盆を置く。部屋中の電気をつけて周り、視界がはっきりすると今度は廊下に出て階段の電気をつける。
足音をたてながら2階へ上がり、上がって来た方を振り向くように伸びている廊下を進んだ。
突き当たりが、智幸の部屋だ。
「、、、」
ガチャ
ノックもせず、声も掛けずにドアを開ける。
鍵などはかかっていないし、そもそもこの部屋に鍵はない。
電気がついている。智幸の姿はベッドの上にあった。
「ユキ」
声を掛けても反応がないが、起きているのは分かった。ピクと指が動いたのだ。
「ユキ」
ベッドに腰掛け、右脚を少し上げて、壁の方を向いて寝ている智幸へ体を向ける。
トントン、と背中を叩いた。
「起きてるだろ」
それでも無反応だった。
(めんどくさ)
晴也は智幸のこれが嫌いだ。
友達だろうと家族だろうと不機嫌になると無視を決め込む。誰の言う事も聞かず好き勝手に動き、誰かに機嫌を直してもらおうとする。
そして主に、機嫌を直すのは毎回晴也の仕事なのだ。
「ユキ、夕飯持って来た。食ってないだろ。降りて来い」
「、、、」
「ユキ」
一向に応えない。
「、、、食べないんだな?」
イラついた晴也が声を出すと、やっともぞもぞと身体が動き、かぶっていた布団を剥ぎながら寝返りを打った智幸がこちらを向いた。
「、、、」
明らかにまだ拗ねている。
「なに」
「、、、」
「言わないと分からない」
久々に入った智幸の部屋は、彼が普段から使っている香水の匂いがした。
「膝貸せ」
低い声はそれだけ言った。
「、、いいよ」
トントン、と右脚の太ももを叩くと、むくれた顔のまま智幸が頭を乗せて来る。
ズシっと重みが乗ったそこを見下ろして、晴也は無表情のまま、智幸の頭に手を伸ばした。
「、、お前これ、光瑠くんにもしてんの?」
そしてまた、2人はお互いがどこにいるかの探り合いを始める。
「してない」
智幸はまた左手を晴也の腰に回し、頭をグッと彼の腹に押し付けて預けた。
どうにもこれが癖になっているらしい。
「あ、そ」
晴也の右手は優しく智幸の髪を撫でる。黒くて少し太く、重みのある髪だ。
「ハル」
「ん?」
髪を撫でる側の晴也の方が眠くなって来た。
「ハル」
初めて家族以外で晴也をそう呼んだのは智幸だ。晴也は耳馴染みのいいその声に呼ばれると、フッと体から力が抜けていく。
「ハル」
「、、ここにいるよ」
そう言って撫でると、彼のむくれていた口元は少しほぐれた。
「そばにいる」
智幸にとってそれは魔法の言葉に近い。
余計なものが削ぎ落とされて、いつもの苛立ちから身体が解放されて楽になり、良い気持ちで胸が満たされる。
「、、、」
だからこそ、自分から晴也を奪う存在が現れると、どうしても腹立たしいのだ。
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