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第24話「ユキの苦悩」

たまたまそれを見てしまって、智幸の中の苛立ちは今までの比にならない程膨れ上がった。 「あ、、光瑠くん」 由依がいない日だった。 原田はいられる限り智幸といたくて、最近機嫌の良い彼に勇気を出して2人でどこかに行きたいと提案し、放課後デートにこじつけた。 最近の智幸は原田に構っている。 サラサラな黒髪を触るのが気に入ったらしく、光瑠や山中、由依達、いつもつるんでいるメンバーで集まると暇そうにしながら原田の髪を三つ編みにしていた。 気に入られた。 そう感じていた彼女は髪を触られるたびに身体を緊張させ、そして智幸がたまに触れる耳に熱を持ってしまっていた。 梅若ともセックスをしなくなって、脈絡はないがもしかして自分の事を好きになってくれたのではないかとドキドキしてもいる。 それなのに、高校の最寄駅から数個離れたたまたま立ち寄った駅で光瑠を見た瞬間に、智幸は少し前までのあの苛立ちの中に戻ってしまった。 「、、、」 原田は明らかに纏う空気が変わった智幸を見上げてから、繋がれる事のなかった手をキュッと握りしめてもう一度店の中にいる人物を確認した。 白が基調の可愛らしいタピオカドリンク店は「NEW OPEN!」と書かれた旗が飾ってある。 駅中と繋がった商業施設にできたばかりの店で、人通りのある通路に面した向かい合わせの2人掛けの席に彼らは座っている。 片方は光瑠。その向かいにいるのは、一度だけ会ったことのあるあの青年だった。 (確か、智幸くんの友達、、?) クォーターの、あのやたらと綺麗な顔をした人だ、と思い出す。 「あの、智幸くん」 「、、、」 「こ、声、かける?」 原田の声は彼の耳に届いていたが、智幸自身が今、その声に応えられる程余裕がなかった。 (何で) 頭が回らない。 熱くなり、火が出そうな血が全身を駆け巡りながら彼の頭に集まっている。 (何でヒカルにあんな風に笑いかけるんだ) それは、智幸だけのものの筈だった。 晴也がたまに見せる冷たくて酷い事を考えているときの笑顔。 美しく、人をゾクゾクさせて魅了する。 あの笑顔を向けられるたびに智幸は晴也に「支配されている」と安心できていた。 先日もそうだ。 自分の事を貶しながら片目を歪めて笑う晴也を見上げて酷く満たされて欲情していた。 外面が良く、自分以外にはニコニコと可愛く笑っている晴也が絶対に他の人間に見せないと思っていた笑い方。 けれど今それは、目の前で光瑠に向けられている。 (俺のじゃないの、、?) 智幸の中ではよく分からなくなってしまった。 2人だけしか分からない世界でずっと一緒にいると思っていたからだ。 たまに晴也が何かを求めても、応えなくても彼は智幸の側にいる。 膝枕だってしてくれる。 何をしても許してくれる。 何をしても自分が1番大事だと分からせてくれる晴也の存在が智幸には必要だった。 逆もそうだと思っていた。 (何で2人で出掛けてる?俺は?何で俺に笑ってくれないのにアイツには笑ってる?何で同じ学校の奴らじゃないんだ?何でヒカル?俺は?何がいけなかった?何もしてないだろ、今は誰とも付き合ってない。誰にも手を出してない、お前のことしか考えてなかったのに、何で、) また近づけたと思ったのに。 数年ぶりに触れた晴也の感触や体温が、一気に離れていくような感覚がしている。 「何で、」 「え?」 また離れていく。 また1人にされる。 そうやって何度でも彼は勘違いをするのだ。 「、、原田」 「?」 「帰れ」 怒りに満ちた声と視線は、彼女の目には寂しそうに映った。 「こ、これね、誕生日にお兄ちゃんがくれた子で、10年くらいずっと一緒に寝てるの」 「、、、」 「あ、あとこの子は、あの、智幸くん?」 頭だけベッドの上に置き、疲れたようにため息をついた智幸を、焦ったような顔で原田は見つめていた。 「帰れ」と言われた彼女が返した言葉は「いや」と言う答えで、そのまま半ば無理矢理に腕を引いて智幸を自分の家に招き入れ、お茶を出して2人きりで自室にこもっている。 彼女の兄は今日はまだ帰って来ていない。 話題もなくとりあえずベッドの上のぬいぐるみを智幸に紹介していたのだが、先程からまったく彼からの反応がなく、原田は困り果てていた。 (大体、部屋、掃除してなかったのに何で連れて来ちゃったんだろう) 原田は智幸が好きだ。 汚いと言っても原田の感覚であり、一般的な感覚からすると随分片付けられた綺麗な部屋だった。 それでも彼女としては智幸を招待するならもっと万全な体制で彼を迎えたかったのだ。 できることなら、付き合った状態で。 「あの、ごめんね、急に」 「別に」 智幸は先程紹介されたぬいぐるみを手に取り、もちもちと捏ねて遊んだ。 なぜここに連れてこられたのかも分からなかったが、少し苛立ちが和らいだような気はして来ている。 原田は多分、自分に気を遣ったのだな、と言うのも察していた。 「、、ありがとうな」 正直助かった。 智幸は全身を脱力させて目を閉じ、またフー、と深く息を吐く。 (ハル) 蘇った美しい笑みに、奥歯に一瞬力が入った。 (あれは俺のものだろ) 自分の為だけに作られたものをぽっと出の他人に取られた気分は存外気持ち悪く、胸糞悪さで胃の中まで澱んでいる。 (ゲロ吐きたい) そう言えば、晴也に初めて彼女ができたとき、あまりの気持ち悪さに喉に指を入れて胃液が出るまでトイレで吐いた。 あのときと同じように、口の中にうねる気持ちの悪いものがある。 (ハルは俺のものだ) いくらよそ見をしても、他に女ができても晴也が1番見ているのは自分だ。 それはずっと確かめて来た筈の自信だったのに、と智幸は頭が痛くなってくるのを感じた。 (女なんかずっといなかったのに、、それともずっといたのか?俺に隠してただけ?何で。必要ないだろ、俺がいるんだから) 最近空いて来てしまっていた距離は、高校が離れたせいだと思っていた。 知らない内に部活に入って、知らない内に友達を作って、気に入らないことばかりする晴也に苛立ちが増していったが、金曜日になれば少しは触れ合えていた。 だから何もかも我慢していたんだ。 (俺のものなのに) 分かり合っている筈だ。 自分が晴也から離れられない事くらい、大人である彼なら理解できている。 晴也はずっと自分を甘やかしてきた。これからもそれは続く。 大人である晴也は見返りなんて求めない。ただずっと智幸の求めるものに応じてくれる。 そう言う存在の筈だった。 それが、他の男に笑いかけていた。 (何で) 他の男に笑うなと言ったら、晴也なら聞いてくれる。関わるなと言ったら、部活も学校も辞めてくれる。 (ハルは俺の為なら何でもしてくれる) 誰かが「ハル」と呼ばない限り、いつもは浮かぶ事のない嫉妬が何故だかこのときばかりは智幸の脳内を占めていた。 いつもは自分が晴也の「特別」だと言う事がよく分かるのに、あんな笑顔を他の誰かに見せている場面に遭遇してしまったら途端に自信が潰えて行ってしまった。 (俺は誰ともセックスしてない、誰とも笑い合ってない、、でもハルは違う。俺とのキスは何だったんだ) 智幸自身の体温や、一緒にいた時間。 あの夜のそれは、晴也にとって何でもなかったのだろうか。 虚しさが込み上げる。ひとりぼっちだと感じる世界は今、よく知らない女の部屋の、甘ったるい良い匂いに包まれている。 彼はどうしてだか、泣きそうになっていた。 そして、 「、、、?」 唇に当たる柔らかい感触に、ぎょっとして目を見開いた。

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