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第51話「ユキの旅立ち、ハルの機嫌」
久しぶりに入った自分の家は埃くさい匂いがした。
「、、、」
誰もいない玄関。
誰もいないリビング。
誰もいないキッチン、トイレ、風呂。
階段をゆっくり上がって自分の部屋のドアを開けると、やはりそこも窓から差し込む日に当たった埃の匂いで溢れていた。
「はあ、、」
智幸は不機嫌なため息を漏らした。
小さい頃から帰ってきても誰もいないこの家が彼は嫌いだったからだ。
着替えだけ取るとすぐに家から出て、また晴也の家に入る。
大きさで言えば智幸の家の方が大きいが、こちらは玄関のドアを開けた瞬間に、洗濯物の洗剤の匂いや、部屋のフレグランスの香り、食べ終わった朝食の残り香がぶわりと身体を包んでくれた。
(人が生きてる匂い)
晴也がいなくてもここにいるのだと、生活感が教えてくれる。
これが感じられるから、小さな頃から実家よりも晴也の家が好きだった。
智幸は晴也の部屋まで行って着替えを済ませ、着ていたものは全て手に持って1階へ降りると、洗濯機に放り込んだ。
リビングに戻って財布と携帯番号だけ持つと、晴也の私物である小さいサコッシュに全部入れて身体を通して肩に下げ、家を後にした。
「行くか」
晴れた日になった。
朝に携帯番号の通知を切っていたアプリを見た限り、原田はまた夜通し連絡をよこしていたらしい。
[今から行く]
それだけ返信すると、智幸は駅に向かって歩き出した。
スリ、と1時間程前に恋人とキスをした唇に触れ、撫でて、ふ、と息を吐く。
「相手も人なんだから、ちゃんと気持ちを伝えておいで」
彼に言われた言葉を何度も思い出して、触れていた唇を引き締めた。
「機嫌良くね?」
「え?」
牛尾晴也は機嫌が悪かったとしてもそれをあまり表には出さない。
自分の機嫌の良し悪しを周りに伝えてどうするのか、と言う考えの持ち主だからだ。
自分のせいで周りを巻き込んで不機嫌な渦を作るより、にこにこして周りと和気藹々と過ごした方が何かと都合が良いと思っている。
だからこそ、機嫌がいいと言うのも分かりづらい筈だった。
「そうかな」
「んー、何か。分かんねーけど」
御手洗は眠そうにしながらもう一度、ボールの入ったカゴをガラガラと動かして練習場へ持っていく晴也を見つめた。
「今日昼どうすんの?何か、猪田がクラスの奴らと食べるから来いよって言ってたよ。俺、あいつと会っちゃって朝一緒に来たの。彼女面して手繋いだ」
「キッモ」
「いいじゃん猪田!何であいつに彼女できないかなあ?お腹、ぷよぷよって言うかギュッとしてていいのに!俺ならアイツ選ぶ」
「知らないよ。昼飯もいいや」
「何だよ、昨日も帰ったし。ウシ以外の家族みんな実家なんだろ?あれ、それとも彼女できたの!?早くない!?」
やたらと響いたその声に、校庭にいた他の部活の人間達も一瞬彼らの方を向いた。
渡り廊下で楽器を吹いていた吹奏楽部も晴也と御手洗を見下ろし、また何事もなかったかのように音色を奏で始める。
日差しの強い場所を避け、2人はボールの入ったカゴと松脂の入った缶を木陰に持って行った。
「彼女できてない。知り合いの生活を立て直してるとこ」
「ふーん、、んー?ん?知り合い?」
2年、3年がまだ来ていない校庭で、人工芝の上にボールをひとつ持って入っていく。
緑色のネット際に座り込むと、ぞろぞろと部室から出てくるアメフト部をネット越しに眺めた。
「ウシ」
「んー?あ、猪田出てきた」
「知り合いって、まさか友梨と浮気したやつ?」
「んー」
え!?と言う顔を声に出さずに表現しながら、御手洗は辺りをキョロキョロと見渡してから人工芝の上を尻を滑らせ、少し晴也との距離を詰める。
「お前はさあ!!何でそいつと仲良くすんの!?お前と彼女を終わらせた奴だよ!?」
「浮気する方が悪い」
「ええーー、、」
ピシャリと言い切ると、のそのそと眠そうな猪田がネットの向こうからこちらに歩いてきて、すぐそばにドッシンと座った。
「猪田、聞いてくれ。ウシが友梨と別れる原因作った男を餌付けしてる」
「はあ??」
「餌付けなら10年間ぐらいずっとしてる」
「え、なに?そんなに仲良いの!?
「えっ!?」
友達、そんなものではない何か。
晴也からそう聞かされていただけだった2人は目を丸くして彼に詰め寄る。
猪田はネット越しだった為、緑色のロープを握り、そこに張り付いて晴也を覗き込んだ。
「ああ、えっとね、幼馴染み。幼稚園から一緒」
「ええ!?そんな仲良いのに彼女取ったの!?」
「まあ、2回目だし。それ以外も、俺と仲良くなる女の子のことすぐ彼女にしたり手出したりしてたからね。慣れた」
「はあ!?クソ野郎じゃん!!何でそんな奴と連むんだよ、俺らと飯行けよ!!」
荒ぶった御手洗にスパン!と頭を叩かれる。
「いてっ、、んー、いいや。だから最近ちゃんと構って生活矯正と生き方の矯正を始めんだし。飯も帰ってあいつと食べる」
「お前何やってんの、、母ちゃんかよ」
「まあ、そんな感じだよね。本当に手がかかる」
平然と話す晴也を見ながら2人は呆れて項垂れ、ため息をついた。
何を言ってもダメそうだな、と察したのだ。
それぞれがストレッチを始めると、他の1年生達も人工芝に出てくる。
御手洗と晴也は特に練習に来るのが早い2人で、いつも揃って必要な道具を全部校庭に出しておいてくれる。
無論、本当ならその日の当番がやるべき事だ。
「そいつ、性格直んねえよ。絶対」
猪田がグーっと脚を伸ばしながら言う。
「直ると言うか、俺が構ってやらなかったから怒ってただけなんだわ。俺が構ってれば別にそこまでヤバいことしないし、根の性格はまともだよ」
「何なのその自信。ちょっと変だよ」
「今度連れてくるから一緒に遊ぼうよ。面白いよ、ノリいいときはノリ良いし。あと向こうの友達も面白い子いるからみんなでさ」
「ええ、、いやちょっと会いたいけど」
2人は顔を見合わせて苦笑する。
晴也は立ち上がってアキレス腱を伸ばし始めた。
「ウシがそんなに言うなら、本当はいい奴なんだな」
「うん、、可愛いよ」
「ふはは!可愛いってなんだよ、彼女かよ」
猪田はニッと笑って、遠くにいる秋津を呼ぶ。
晴也と御手洗は2人でキャッチボールを始めて、段々と遠ざかってロングパスの練習をした。
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