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15−2:白い彗星 2
昼休みになるや否や、いつものように御子柴がくるりとこちらを向いた。その手にはすでに購買の袋が握られている。
「メシ行こうぜ」
「あ、うん」
「あと英語の辞書とノート」
「へ?」
「昼休み中に仕上げれば居残りしなくていいだろ。手伝ってやるから」
御子柴が白い歯を零す。その優しい声音が、俺の心を再び掻き乱した。伝えたいことが確かにあるのに、それがどうしても言葉になって出てこない。
もどかしげに唇を擦り合わせていると、突然、教室に大きな声が響き渡った。
「オイッ、御子柴! いんだろ、出てこい!」
やや高めだが、男子の声だった。御子柴は教室の出入り口を振り返り、ぎょっと顔を引きつらせた。
「げっ……!」
御子柴を呼んでいるのは、見慣れない生徒だった。背が低くて、童顔で、まるで中学生みたいだ。それなのに視線はぎろっと鋭く、教室内を見回している。そして御子柴の居場所に気づくが早いか、ずかずかとこちらに歩み寄ってくる。御子柴は引きつった笑みを浮かべた。
「春日井先輩……。何か用っすか?」
「何か用じゃねーよ。てめー、何呑気に昼飯食おうとしてんだ? あ?」
小さい体に似合わず、かなりガラが悪い。だがそれはどうみても年下が精一杯虚勢を張っているようにしか見えなかった。
「まさか、自分が選管委員なの忘れてねーよな?」
選挙管理委員会はクラスに一人割り当てられる、委員の一つだ。その名の通り、生徒会の選挙を管理する委員会で、御子柴は確かそれに立候補していた。というのも、中学からの知り合いの先輩がいて、スケジュールにかなり融通を利かせてくれるという話を聞いたことがある。
「いやいや、俺なんてただのしがない幽霊委員ですから……」
「そういうのいいんだよ。いいからツラ貸せや」
「はあ?」
「はあ、じゃねー。集計ぐらい手伝えってんだよ」
そういえば次期生徒会の選挙がこの前あった。といっても、全体朝礼の後に立候補者の短い演説を聴いて、あとは各自配られたプリントに名前を書くだけだ。俺は適当に一番最初の候補者に票を入れた。関係ない者にとってはその程度のことだが、選挙管理委員会は全校生徒の票を集計しなければならない。きっと今が一番忙しい時期なのだろう。
「今週は昼休みと放課後、委員会室に集合な」
「嘘でしょ?」
「てめー、いい加減ブン殴るぞ」
顔を引きつらせる御子柴と、俺はある意味同じ気持ちだった。今週はずっと昼休みも放課後も御子柴と話ができない? じゃあ、例の件はいつ話をしたらいい?
「今から昼飯食いながら票数えんぞ、さっさと立てオラ」
「えー……」
春日井先輩に追い立てられるようにして、御子柴は渋々腰を浮かせた。思わず縋るように御子柴を見つめると、手を立てられて謝られる。反射的に首を振ると、それきり御子柴は振り返ることなく教室を出て行く。
「にしても、先輩、また背ぇ縮みました?」
「縮んでねーよ、アホが! てめーが無駄にでけえだけだろ!」
「痛って。蹴ることないじゃん」
「じゃあ、次は顔に一発入れてやるよ」
「えー? 届くかなー?」
「マジ殴る!」
ぶんぶんと腕を振り回す春日井先輩の額を抑えながら、御子柴が楽しげに笑っている。二人の姿はやがて廊下の向こうに消えていった。
俺はしばらく目を瞬かせていたが、何故か自然と眉根が寄り、口を真一文字に結んだ。
……なんか、妙に、仲良さそうだな。
「あーらら、振られちゃったの、水無瀬きゅん?」
俺の肩に腕を回してきたのは、高牧だった。高牧は顔を寄せて、ウインクしてくる。
「一人だけ御子柴の力借りて小論文完成させようだなんて、ずるいぞう?」
「聞いてたのかよ」
「はい。いつ仲間に入れてもらおうか、ずっとスタンバってました」
どっちみち御子柴と二人にはなれなかったようだ。勝手に御子柴の席に座る高牧に、俺は観念したように言った。
「とりあえず、頑張る?」
「おう、よろしくだぜ、水無瀬先生」
「いや、俺、英語苦手だし……」
購買のビニール袋からサンドウィッチを取り出しつつ、俺は気の進まない手つきで英語のノートを広げた。
結果、俺と高牧は昼休み中に、なんとか小論文を完成させた。
全ては大天使・天野さんのおかげである。
外交官の父を持つ天野さんは英語の成績はトップクラス、かつ英検準一級を持つ強者だ。兼藤ティーチャーに怒られた俺達を心配して、昼飯が終わった後、残りの時間、つきっきりで教えてくれたのだ。
何かお礼をすると言うと、いつもの人好きのする笑顔で「いいよぉ」と慎ましく遠慮し、麗しい天使は福音だけを残して去って行った。
「俺、一生、天野ちゃん推す……」
涙ながらにそう語る高牧に、俺は魂の底から同意した。
そして予鈴ギリギリで帰ってきた御子柴は、疲れた様子で席に戻ってきた。しきりに首を左右に伸ばしていた御子柴だったが、椅子に座るなり眉を顰めた。
「なんか生暖かい……」
「高牧が座ってたから」
「はあ?」
思いっきり顔を顰めた御子柴に、俺はぱたぱたと手を振る。
「いや、その、小論文するためにさ」
「できたの?」
「うん、天野さんが手伝ってくれて」
「あ、そう……」
そこで本鈴が鳴り、次の国語の教師が入ってくる。御子柴はつまらなさそうに口を尖らせていた。
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