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15−4:白い彗星 4

 選挙管理委員会の部屋は教室の半分ほどの広さだった。いつもは生徒会室で、そこを選挙の間だけ間借りするというシステムらしい。壁一面にキャビネットが置かれていて、中には本や書類やファイルが敷き詰められている。  長机をいくつも並べて作った広い作業スペースに、クラスから一人選出された委員が張り付いて作業をしている。今は集計した投票結果をもう一度チェックしている段階らしく、ところどころから溜息が聞こえてきた。 「副会長候補の東条さんの結果、また合いません〜」 「書記ってもうダントツだし、数えなくてもよくないっすか?」 「あー、もうやだー、この紙見飽きた〜」 「——うるせえ、つべこべ言わず作業しろ!」  文句だらだらの委員の面々を、春日井先輩が一喝する。この先輩、やけに責任感に溢れていると思ったら、委員長らしい。 「相変わらず暑苦しい男だよねえ」  一人離れた座席に座っている俺に声をかけてきたのは、副委員長の嶋村瞳子先輩だった。肩より少し長いセミロングの黒髪に、細い赤縁眼鏡がよく映えている。  嶋村先輩は俺の向かいに座ると、一緒に書類のファイリングを手伝ってくれた。 「君、春日井が連れてきたんだって? 悪いね、委員でもないのに」 「あ、いえ。御子柴を待ってるついでなので……」 「あぁ、みこっしーのクラスメートなんだっけ」  どこかのゆるキャラみたいな呼ばれ方をしているのに、思わず苦笑する。嶋村先輩は眼鏡の奥からちらりと作業スペースを見やった。つられて俺も首を巡らせると、隣り合った席でやいのやいのと言い合っている御子柴と春日井先輩がいた。 「オイ、御子柴、カッター取れ」 「いいっすよ、俺、手足長いんで」 「届かねえんじゃねえよ!」 「えー、じゃあ自分で取ったらいいじゃん」 「てめえに頼んだ俺が馬鹿だったよ。……っ、——っっ!」 「はい、どーぞ」 「にやにやすんな、ぶっ飛ばすぞ!」  俺は軽く後悔を覚えながら、書類を綴じる作業に戻った。一方の嶋村先輩は肩をくつくつと震わせている。 「あの二人、見てて飽きないんだよねえ」 「……確か、中学の先輩後輩なんでしたっけ」 「そうそう。前からあんな調子だったのかなぁ」  中学時代——それは俺が知らない、そしてこれからも知りようがない御子柴だ。詮無い思考から逃れるように、俺は作業に集中する。  そこへガタガタと音が聞こえてきた。見れば、春日井先輩が脚立を物置のロッカーから引っ張り出してくるところだった。お目当てはキャビネットの上にある段ボールらしい。  脚立は年代物で、遠目から見ても足場が安定しておらず、いかにも危なっかしい。それに目聡く気づいた御子柴が立ち上がった。 「取りましょうか?」 「もうてめえには頼らねえよ」 「俺なら脚立なしでも届くのに」 「うるっせえな、いいからちょっと押さえてろ」  渋い顔をして脚立に登る春日井先輩を、俺は白い目で見つめた。  どうせ脚立を押さえさせるなら、御子柴に取って貰った方が早いし確実だ。そんなこと分かりきっているのに、苦笑しながら春日井先輩の言いつけ通りにする御子柴も御子柴である。 「なんか面白いことにならないかな」  嶋村先輩の期待は現実のものとなった。  脚立の上で精一杯背伸びして、ようやく段ボールに手が届いた春日井先輩が、ふいにバランスを崩したのだ。 「——うおっ!?」  段ボールとその中身が宙に舞う。ファイリングされていない書類の雨の中、春日井先輩がゆっくりと後ろに倒れ込んでいく。  その場にいた全員が息を呑んだ。  しかし、 「っ、と」  ぽすっと軽い音を立てて、春日井先輩が収まったのは、御子柴の腕の中だった。天井に向けて腕を伸ばした状態で、横抱きにされている春日井先輩。その図に委員の女子達がきゃあきゃあと歓声を上げた。 「すっごーい、少女マンガみたい!」 「お姫様抱っこって初めて見た〜」 「プリンセスじゃん、春日井。あっはっは!」 「——うるせえええッ!」  春日井先輩は御子柴から飛び降り、顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいる。  ——不意に、手元でバリッという音がした。  はっと我に返ると、ファイルに綴じたはずの書類が穴から破けていた。紙の端に強く握りしめたような皺が寄っている。  腹を抱えて笑っていた嶋村先輩が、涙を拭いながら言う。 「あはは、驚いて力入っちゃった?」 「い、いえその、はい。すみません……」 「大丈夫、穴を補強するシールあるから。取ってくんね」  嶋村先輩が椅子を引いて立ち上がる。作業スペースでは未だ歓声や笑い声が響いている。俺は破ってしまった書類を、親の仇のようにじっと睨んでいた。

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