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17−2:明日、世界が終わっても 2
御子柴から空の弁当箱を受け取り、さっさとランチトートにしまう。御子柴はペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら、残念そうに言った。
「あーあ、食べ終わっちゃったな」
終わる。
その言葉に俺はふと動きを止めた。御子柴はフェンスに背中を預けながら、空を見上げた。
「つーか、一条ちゃん、泣きすぎだったよな。悪いけど、途中からちょっと笑いそうになったわ」
「だって……産休前の最後の授業だろ。しょうがないってか……」
「でも俺ら別に卒業生ってわけじゃないのに。三年なら分かるけど」
俺はぎゅっと目を眇めた。何も返さない俺に、御子柴が首を傾げた。
「水無瀬?」
膝の上で強く拳を握る。唇を固く結んでいないと、余計なことを言ってしまいそうだった。
俺の顔を覗き込んだ御子柴が目を丸くする。
「え……お前、泣いてる? そんな一条ちゃんのこと好きだったの?」
「違う」
「いや、即否定してやんなよ……」
戸惑ったように御子柴が言う。俺はぽつぽつと言葉を紡いだ。
「今日、最後なんだぞ。二年の、最後……」
明日は終業式だった。つまり通常の授業は今日で終わりだ。
——御子柴と同じ教室で過ごすのも。
目の前を見れば、背中がすぐそこにあって。
くるりとこちらを振り向いてくれれば、いつでも顔が見られて。
一緒に廊下に出て、屋上に上がって、昼飯を食べて。
全部、終わるかもしれない。
「一条先生じゃないけどさ、俺……俺は……」
声の震えを意地で押しとどめる。
それ以上、何も言えなくなった。
俯く俺の頭を、御子柴の手がぽんぽんと叩いた。端からじわじわと滲んでいく視界に、御子柴の微笑みが映る。
「まだ分かんねーじゃん。また同じクラスになれるかもだし」
「七クラスあるんだぞ、無理だ」
「でもそのうち文理が五つだろ。つまり五分の一」
そんな分の悪いくじ、当たるわけない。離ればなれになる確率の方が断然高いじゃないか。御子柴の言うとおり可能性がないわけではないけど、俺はそれほど楽観的にはなれない。
「それに別々になっても、会えなくなるわけじゃないだろ。大げさだってば。んな、明日、世界が終わるんじゃあるまいし——」
「分かってるよ!」
思わず大声を出してしまい、俺ははっと自分の口を手で塞いだ。御子柴は呆気に取られたように口を噤んでいる。
どうしよう、こんなつもりじゃなかったのに。
これが、二年生の最後なのに。
このままじゃ、まるで喧嘩別れみたいになってしまう。
謝らなければ。そう思うが、喉が震えてうまく言葉が出てこない。
俺は彫像のように固まってしまう。少しでも動いてしまえば、感情を押しとどめている堤防が決壊しそうだった。
「……俺と別のクラスになるの、そんなに嫌?」
穏やかな口調で御子柴がそう問いかけた。俺は小刻みに震えるばかりで、答えられない。
「俺と離れるの、寂しい?」
優しい声音が胸に染みる。とうとう堪えきれなくなって、ぼろりと涙が溢れた。
「寂しいよ」
ぼやけた視界が一瞬クリアになって、御子柴の穏やかな笑みが映る。
「離れたくない……」
情けなくも濡れた頬を、御子柴の指がぐいっと拭う。弱ったように寄せられた眉から、俺はとっさに目を逸らした。
「ごめ——」
「なんで? 嬉しいよ」
親指の腹が、生まれたての雫を掬う。
「前も言ってたよな、寂しいって。離れたくないって。これのことだったんだ」
そういえば池袋に行った帰りに、思わず言ってしまった気もする。あの時も確か御子柴が「もうすぐ三月だな」と何気なく呟いたのに、感傷的になってしまったんだっけ。
俺はぐすっと鼻を鳴らした。
「引いたよな、悪い……」
「だから、んなことないって。ただ……俺、お前の涙に弱いんだよ。なんてーの、刷り込み?」
意味が分からず、首を傾げる。御子柴は言いにくそうにこめかみを掻いていた。
「とにかくお前が泣いてると、一瞬、どうしていいか分かんなくなんの。でも俺のために泣いてくれたら嬉しいし、それに……潤んだ目と涙が結構好きっていうか、そそる」
「は……?」
「正直、興奮します」
「え——」
「いや、引くなよ。俺、引かなかったんだから、引いてくれるなよ」
突然暴露された性癖に、涙が止まった。最後の最後に何言ってんだ、こいつ……?
「まぁ、それは置いといて」
濡れたままの俺の顔を、御子柴は制服の袖でぐいぐいと拭いた。
それから真っ赤になった俺の瞳を、至近距離で覗いた。
「クラスが別になっても、一緒に飯食えばいいし、一緒に帰ればいいじゃん。たまに休み時間、喋ったりしてさ。放課後もあの公園とかで待ち合わせして会えば良いし、休みの日は遊びにいけばいいし。あとできるだけ毎日電話するから」
再び大きな手が頬に触れ、そっと撫でる。
「心配しなくても、俺はお前の傍にいたいし、傍にいるよ」
満面の笑みが、目の前に広がる。
「明日、世界が終わるんだとしても——俺はそうするよ」
ああ、ここが学校じゃなければ。
深く口づけて、強く抱きしめて、ずっと離れないのに。
もどかしさを持て余しながら、俺は小さく頷くことしかできなかった。
◇
——春が、やってきた。
俺の脳裏に、一年前の桜が舞う。
新しいクラスに緊張しながら、教室に入って。あんまり顔見知りはいなくて。それほど社交的ではない性格を自覚していたから、どうしようかと密かに思い悩んでいたら、そいつは少し遅れてやってきた。
背が高くて、顔が整っていて、控えめに言っても目立っていた。そうでなくても学年の中ではちょっとした有名人だったので、俺でも名前は知っていた。
俺とは違って顔が広いらしく、すれ違うクラスメートにいちいち挨拶をしながら、やっと俺の前の席に座った。
机の横に鞄をかけて、適当に筆記用具やノートを机の中に入れている。ちょうどその作業が終わったところで、俺は勇気を振り絞って、その背中をちょいっと突いた。
「——ん?」
そいつはくるりとこちらを振り返った。
目の前で見ると本当に顔が美形だった。黒目がちの瞳に、筋が通った鼻梁。大きめの口には男らしさがあって、でも唇は形が綺麗で血色が良い。
唐突に呼ばれたにもかかわらず、口元には淡い笑みが浮かんでいた。俺は少しほっとしながら、尋ねた。
「ピアノの人だよな?」
「ピアノの人って。ピアニストな」
可笑しそうに苦笑する姿すら様になっていた。マジで俳優かモデルみたいだ。本当のイケメンってこういうのを言うんだな、と感心しながら、俺は尋ねた。
「ええっと。御子柴、だっけ?」
「そう、御子柴。前後同士、よろしくな」
御子柴は俺の名札をちらりと見やった。
「——水無瀬」
差し出された手を握り返す。分厚い皮の感触と伝わる体温が、いつまでも手の平に残っていた。
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作者より
ここまでお読み頂きありがとうございました!
「二年生三学期編」はこれにて終了です。
残弾が尽きたので、一旦お休みをいただきまして、
今度は「二年生一学期編」=「なれそめ編」を公開していこうかと思います。
その間にご感想なんかいただけると喜びます!
本当にありがとうございました!
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