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第15話 「勇者でもなく、魔王でもなく」

 怖いくらい心臓が脈打ってる。  もうここに来ることはないと思っていた。  俺が目を覚ましたときにいた、オーファスの森。その奥にある小さな洞窟。  ここは俺が人目に付かないように目隠しの魔法陣を展開したままだから、他の奴には見えていないはず。あの勇者だって一度外に出たらもう見つけることは出来ないはずなのに。  遠目から様子を窺った。  間違いなく、いる。彼が。勇者が。  この前と違ってボロボロだった服が綺麗になってるから、一度ここを離れて街に戻ったはず。それなのに、なんでまたここにいるんだ。  勇者は洞窟の奥でずっと突っ立ったまま動かない。怪我をしてる様子はない。じゃあ、なんで。  いや、違うよな。まさか、そんなはずはない。そんなはずは、ない。そんなわけないけど。  なぁ。  それからしばらく、勇者の様子を見ていた。  アイツ、全く動かないな。本当に何がしたいんだよお前は。  俺はもう会うわけにはいかない。会っちゃいけない。俺は魔王だし、お前は勇者だ。  俺の意志を揺るがすのはやめてくれよ。お前からすれば俺はただの魔物の一人だろ。俺にとっては違うんだよ。お前は俺の特別なんだ。  思っていた勇者とは違くても、それでもやっぱり俺にとっては特別な勇者だ。世界を守るために身を粉にして戦う、救世主。  その姿に俺は勇気をもらった。憧れた。好きになったんだ。  俺はいじめに立ち向かうことは出来なかったけど、それでも頑張ろうという気持ちになれた。生きる楽しみを与えてくれたんだ。  お前にとっての俺は敵である人間を介抱する変な魔物程度の存在だろ。物珍しいだけだろ。どうせ、すぐ忘れるよ。  帰ろう。このままここにいても仕方ない。  俺は勇者のいる洞窟に背を向け、その場を離れようと一歩、歩き出した。 「…………もう、会えないのか」  なんで。  なんで、そんな声で、そんなこと言うんだ。  考えるよりも前に体が動いた。  駄目だ。ここにいたらいけない。じゃないと、俺はお前が魔王城まで来たときに戦えるか分からなくなる。  俺は。  俺は、ここにいたらいけない。  いけない、のに。  ――ザッ、と地面に足が擦れる音が響いた。 「……っ、何してるんだよ」 「お前……こそ、どうして来た?」  勇者は俺に背を向けたまま、俺の質問に質問で返してきやがった。 「お前、俺がここにいるって分かって、来ただろ。なんで放っておかなかった」 「それ、は……別に、いいだろ。お前には関係ない。勇者こそ、なんでこの場所を見つけられた。一度出たら見つけられないはずなのに」 「そうだな……確かにあの後、この洞窟から出た瞬間にこの場所を見失った。それから街に戻って、みんなの頼みを聞いて、魔物と戦って、また頼みを聞いて、戦って……気付いたら、ここに戻ってきてた」 「……っ!」 「ここに来れば、お前に会えると……そう、思ってしまったんだ」  なんだよ、それ。  なんでだよ。なんで、勇者が魔物に会いたいなんて思うんだ。おかしいだろ。  お前は気付いていなくても、俺は魔王なんだ。いずれお前が倒さなくちゃいけない相手なんだよ。  俺も、それが分かってて何でここに来ちゃったんだ。  引き返そうとしたのに、勇者の声を聴いた瞬間に体がもう動いていた。  会いたい気持ちが、勝ってしまった。 「どうして、俺に……? お前は勇者で、俺は魔物だぞ」 「……ああ。俺は勇者だ。この神剣ガグンラーズの信託を受けた時にそう決められた。孤児だった俺がいきなり勇者だ。それまでずっと俺を虐げてきた奴らも一気に手のひらを返してきた。母が病気の時、誰も助けてはくれなかったのに、今度は俺に助けを乞うなんて……おかしな話だ」  勇者の過去。ゲーム内にもあったけど、ここまで詳しい事情は知らなかった。それなのに、お前は勇者として戦うんだな。 「それでも俺は勇者になった。母さんのように誰にも助けてもらえない人を出したくないと思ったから。魔物に苦しめられる人を守りたいと思ったから。俺にしか、出来ないことだから、やらなきゃいけないと……俺は、勇者でなきゃいけないと……」 「……、っ」  勇者、と名前を呼ぶことを躊躇った。  その名前が、彼を苦しめてる。それでも彼は勇者として生きなきゃいけない。突然与えられた重い十字架を、精一杯背負っている。  その姿に、俺は胸を打たれたのかもしれない。 「少しの間でいいんだ。また、ここに来てくれないか?」 「え?」 「俺がこの付近の街でやらなきゃいけないことが終わるまででいいんだ」 「でも、なんで……お前、俺が魔物なの分かってるよな」 「当り前だ。だけど、お前が言ったんだ。魔物じゃなくて、自分自身が決めたことだからと……だから俺も、勇者としてじゃなくて、俺として」  勇者が、ゆっくりと振り向いた。  真っ直ぐ、力強いその眼差しで俺を見る。俺が好きな、勇者の瞳だ。 「お前といるときだけ、俺は役目を忘れられる。俺は俺になれる。勇者じゃない俺、エイルディオン・ヴィッドになれるんだ」  勇者が、俺に近付く。  俺は、動けないでいる。  俺を見つめる勇者の眼差しから、目が離せない。 「駄目か……?」 「……」  俺は、今の気持ちを言葉に出来なかった。その代わり、首を小さく横に振った。振ってしまった。  断らなきゃいけないのに。自分の気持ちに嘘が付けなかった。  少しの間だけ。勇者が拠点を移すときまで。その間だけ、だから。 「ありがとう……お前の名前を聞いてもいいか?」 「お、れの……名前?」  クラッドの名前を出すのはマズい。じゃあ、何て言えばいいんだ。  俺の名前。俺の、本当の名前。  そうだ。俺の名前。そもそも俺はクラッドじゃない。俺には俺の名前があった。 「……伊織。一之瀬、伊織……」 「イオリ……珍しい名前だな。俺のことはエルでいい。そう呼んでくれないか」 「エル……」  ヤバい。泣きそう。勇者が、エルが俺の名前を呼んでくれたことが嬉しくて本気で泣きそう。  名前を呼ばれることがこんなに嬉しいなんて。元の世界にいたときは何とも思わなかったのに。  エルが呼ぶからこんなに嬉しいのかな。  目の奥が熱くなる。心が震えるって、こういうときに使う言葉なのかな。  魔王としてではなく、俺自身として。一之瀬伊織として、彼の前にいられるなんて。  いつか戦わなきゃいけない相手なのに。もっと好きになってどうするんだよ。ただでさえ特別な相手なのに。  どうして自分の首を絞めてしまうんだろう。  でも、それでも。  お前が好きだから。

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