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始まりはうさぎから
今日はシフトがない日だ。
空きコマだし、図書館でも行って課題進めるか……と文学部の建物からひとりで歩いていると、背の高さぐらいある道沿いの茂みがガサガサと揺れ動いた。
「ひ!?」
軽快な鈴の音とともに、ひょこ、と茂みから顔を出したのは七星の飼っている黒猫、リリィだった。首輪についた鈴がリリィの歩みとともに鳴る。
「な、なんだ……リリィか。蜂かなんかかと思った……」
「にゃあにゃあ」としきりに鳴きながら、リリィは俺の膝にすりすりと体をこすりつける。
リリィはすごく俺に懐いてくれていて、よく七星の家から脱走して、その度に広い大学内で俺を見つけて擦り寄ってくれる。すっげえかわいい。
よしよしと撫でていると、リリィは俺から離れて茂みに戻っていく。ついてきて欲しいのか、何度もこっちをちらちらと振り向いている。気になる。虫を警戒しながらも、茂みを突き進むと……
空間が開けた。そこには温室と花壇、ベンチが数脚あった。鬱蒼としていた地面は整備され、花壇も整っていて、花やおそらくハーブだろう草の近くにはその植物の名前が書かれたプレートがささっている。周りは茂みに囲まれていて、秘密の庭みたいだ。奥の方に入り口らしき通路がある。リリィについてきたから茂みを突っ切ってここに辿り着いたのか。
大学構内にこんな場所があるなんて知らなかった。キョロキョロと見回していると、視界の端で何かが動いた。
驚いて確認すると、真っ白のうさぎが元気に跳ねていた。
「なんでうさぎがこんなとこに……!?」
誰のうさぎだ!? どうしよう、捕まえて誰かに言うべきか? でも誰に……?
戸惑って立ちすくんでいる間も、うさぎはベンチの周りを走っている。ふと、俺のそばにいたリリィがうさぎに近づいていく。あれ……猫って肉食だっけ? うさぎ食べたりしないよ……な……
不安だ!
「待っ、リリィ! 食べちゃダメ!」
慌てて駆け寄る間にも、リリィはどんどんうさぎに近づいて……
うさぎの体に自分の顔をすりすりと擦り付けた。
「めっちゃ仲良いじゃん……よかった……」
ガクッと崩れ落ちた。そもそもリリィがここに俺を連れてきたんだ。このうさぎのことを伝えたかったんだろう。なら、どうにかしてやらないと。
昔、動物園のふれあいコーナーとかでうさぎを触った覚えはあるけど……しばらく触ってないな。どう触ればいいんだろう。
「お、おいで~」
ベンチの下で鼻をヒクヒクさせこっちを見つめているうさぎに、しゃがみこんで手を伸ばして呼びかけてみる。こんなんで来るのか……?
数秒見つめあっていると、ぴょこぴょこと近づいてきて、俺の前で動きを止めた。
「おお、きた……人懐っこい、かわいいなあ」
撫でると、ふわふわで温かい。リリィも撫でてほしいのかゴロゴロと喉を鳴らしながら俺の手にすりすりしてきた。
なんだこの癒し空間……静かだし、花も綺麗だし、ハーブの良い匂いするし、こいつらはかわいいし、最高すぎる……
「はっ、いやいや、和んでないでこいつの飼い主探さないと。リリィは何か知ってるのか?」
返事は返ってこないんだけど、ついリリィに話しかけてしまう。リリィも初対面のときから俺に懐いてたんだよな……七星の部屋に飾られてる盗撮写真で俺の顔を覚えてたっていう恐ろしい経緯があるんだけど。
考える間も撫で続けていると、うさぎはうっとりと気持ちよさそうにしている。このうさぎも最初から俺に懐いてる。と、いうことは……
「七星絡みか……?」
うさぎの耳がピクリと反応した。じっとしていたのに、急にその場でぴょこん、と跳ねた。
「え、やっぱり七星の飼いうさぎ……?」
うさぎはまたぴょんぴょん、と跳ねた。
次はうさぎまで飼い始めたのか? でも七星からそんな話はひと言も聞いていない。すぐに報告してきて写真を送ってきてもおかしくないのに。
七星、って名前に反応してんのか……?
「七星」
もう一度うさぎに呼びかけても、また跳ねる。呼ばれるのが嬉しいみたいに。まるでうさぎが七星であるかのように。まさか、まさかだよな……
「七星……? もしかして、うさぎになっちゃったのか……?」
恐る恐る言っても、また跳ねる。
それならリリィと仲が良いのも、リリィが俺を呼びに来たのも納得できてしまう。そんな非現実的なこと……七星ならできてしまうのか!?
「う、うそだろ。お前のこと嫌いだけどこんなんさすがに放っておけないだろ……! 怪しい実験ばっかしてるから変なことになったのか!? このまま誰かに捕まって……保健所行きになったら、どうすんだよ!」
半信半疑のまま、うさぎを抱きかかえる。いくら呼びかけても、うさぎは耳をぴこぴこと動かすだけだ。
「どうやったら戻るんだよ……」
「由宇くんがキスしてくれたら……♡」
その甘ったるい声は頭上から降ってきた。
勢いよく振り向いて見上げると、七星がいつも通りの綺麗な金髪と緑の目を輝かせて、にこにこと覗きこんでいた。
「うーん、だけど……相手がうさぎだとしても俺以外の生物と由宇くんがキスするの無理……」
「七星!? ほんもの!?」
目の前の七星と腕の中のうさぎを見比べる。七星はさらに楽しそうに瞳を輝かせた。
「ホンモノ♡ いくら俺でもうさぎになっちゃったりはしないよ。この子が俺だと思っちゃうなんて、由宇くん単純でかわいいなあ。ね、リリィ」
リリィはゴロゴロと喉を鳴らしながら七星の足元を八の字に回っている。七星もしゃがみ、リリィを撫でる。それがこの七星が本物だという動かぬ証拠だ。いっきに力が抜けた。
「なんだ……焦って損した……あ、もしかして、騙したのか……!?」
こいつのことだ、俺の反応を見て楽しんでるんだ!と、うさぎを抱きしめながら七星を睨むと、七星は首を横に振った。
「騙してないない。由宇くんが勘違いしただけ。俺はこのうさぎを探してたんだ。見つけてくれてありがとね」
「あ、そう……見つけたのは俺じゃなくてリリィだ。リリィについていったらこいつがいた」
「そうなんだ。リリィは賢いねえ」
ありがとう、とお礼を言いながら再びリリィを撫でいる。
「こいつ、お前が飼いうさぎか?」
「ううん。この子は理学部の教授が飼ってる子。ケージ壊れてたみたいで、脱走したんだって。それで手の空いてる人で探してたんだ。俺は自分の実験室で優雅にコーヒー飲んでたら、無理やり駆り出されたんだけど」
七星はめんどくさそうに顔をしかめた後、「でも、由宇くんに会えたから、探した甲斐があったなあ♡」とコロリと上機嫌に戻った。適当に流しておいたが、じりじりと見つめられる視線が痛い。
「……じゃあなんでこのうさぎ、お前の名前に反応してたんだよ。七星って呼んだら跳ねたぞ」
「この子の名前、"ななちゃん"だから。"なな"の部分に反応してたんじゃない?」
「まぎらわしいな!」
ほんとにただの勘違いじゃん、恥っず……!
いや、このうさぎが自分の名前を覚えてるのがすごいってことだな。おでこを撫でると気持ちよさそうにしている。かわいい……
「もっと由宇くんといたいけど、そろそろこの子を連れていかないとなんだ。教授がうるさいから」
「あ、そうだよな」
「うさぎを永遠と探しまわる人たちの姿を笑ってやるのもおもしろいけどね。そして俺たちは二人だけの箱庭で永遠に暮らすんだあ……♡ あ、リリィとななちゃんも一緒にね」
「早く連れてってやれ」
こんなに懐いてくれて、かわいいうさぎと別れるのは少し名残惜しいけど、ちゃんと元の場所に戻らないと。立ち上がって白衣の裾を払う七星に合わせて立ち、抱きしめていたうさぎを渡す。
「もう逃げ出すなよ。なな。みんな心配してるから」
「なな、じゃないよ。ななちゃん。ちゃんまでが名前」
「あ、そう……じゃあな、ななちゃん」
もう一度、うさぎの頭を撫でる。
うさぎはまんまるの目でじっとこちらを見つめ、ぴょこん!と七星の腕から抜け出した。そのまま地面を蹴り、俺の足もとで止まった。
「……あれ?」
「ずいぶん懐かれたね、由宇くん。俺じゃお気に召さないみたいだし、その子抱っこして一緒に教授のところに来てくれない?」
もう一度、もふもふのななちゃんを腕に抱きなおす。こんなに懐いてくれるなんて……やばい、めちゃくちゃかわいいな、うさぎってやつは……!
「……はは、仕方ないな~そんなに俺のこと好きか~」
「嬉しそうな由宇くんかっわいい~♡ 俺も由宇くんのこと大好きだよ、ほら俺のことも抱っこして♡」
「よーし、行くぞ。ななちゃん」
「か、完全に無視された……! わりとショック……! うう、リリィ、俺と一緒に行こっかぁ……」
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