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研究室は動物園

 リリィを抱く七星の隣を歩く。七星の研究室がある理学部1号館を通りすぎ、さらに奥の建物に向かった。そこは古びた1号館と比べるとずいぶん綺麗な建物だった。入り口には理学部3号館と書かれている。 「理学部3号館……?」  そのまま読み上げると七星は、 「理学部はコースごとに使う校舎が大まかに分かれてるんだよ。ここは生物コースの建物。俺がいる1号館は化学」 「へえ……知らなかった。じゃあ生物コースの教授が飼って……ってまさか実験用!? 食べるのか!?」 「ううん、教授の趣味。研究室見たらわかるよ」  ホッとした。食べられる運命のうさぎを元の場所に帰すのは心が痛い。よしよしと、ななちゃんを撫でながら歩き、七星は一階の突きあたりの部屋で足を止めた。めんどくさそうに扉をノックをし、乱暴に研究室のドアを開けた。七星にも部屋をノックするくらいの良識はあるんだ…… 「長谷川教授。見つけましたよー」  七星の後ろに続いて広くて整頓された部屋に入ると、窓から外を眺めていた背筋の良い、白髪混じりの男の人が振り返る。おじさん……というよりおじいちゃんぐらいの年齢だろうか。 (いかにも威厳ある教授だな……)  眉を寄せて張り詰めた、厳しそうな雰囲気に息を呑むが…… 「ななちゃん!」 「へ」  俺の腕の中のうさぎを見ると同時に、長谷川教授はパアッと笑顔を広げて駆け寄った。 「無事でよかったぞ、ななちゃん! ななちゃんが心配で気が気じゃなかったのだが……君が見つけてくれたのか! 本当にありがとう!」  張り詰めた眉は垂れ下がり、厳しい表情は安堵の笑顔に変わって、怖そうな雰囲気はいっきに崩れ去った。長谷川教授に肩を揺さぶられながら答える。 「あ、ど、どういたしまして。俺はたまたま見つけただけですが……」  ギャップに戸惑いながら七星とリリィに視線を移す。 「教授。由宇くんもななちゃんの面倒見ててくれたけど、最初に見つけたのはリリィらしいよ。リリィはお礼に美味しいごはんを要求しています」  七星は抱いたリリィの手を招き猫みたいにちょいちょいと動かす。それに合わせてリリィもおねだりしているように鳴いた。リリィめっちゃかわいいな。 「そうかそうか、リリィちゃんは相変わらず賢いな。お礼にこれをどうぞ」 「わーい、教授太っ腹ぁ♡」  長谷川教授は戸棚から猫用の缶詰を3個取り出し、七星に渡した。 「お家帰ったらこれ食べようね。リリィ」と、七星の声に答えるようにリリィもまた鳴いた。長谷川教授はリリィとも知り合いなのか……  教授はにこりと笑い、手招きをした。 「ここまでななちゃんを連れてきてくれて本当に感謝するよ。二人とも、こっちに来てくれ」  部屋の奥、右側の扉が開かれる。先に続く部屋は、講義室ぐらいの広い空間にたくさんの動物のケージが並べられていた。防音になっているのか、さっきまで聞こえなかった動物たちの鳴き声が響き渡っている。 「う、わあ……! すごい!」 「私の自慢の愛らしい動物たちだよ。ななちゃんのお家はこっちだ」  キョロキョロと見渡し、通路の動物を眺めながら教授の後を追う。 「インコに、オウムに、フクロウだ。初めて見た……! こっちはハムスター、モルモット、あっこいつはフェレットだっけ?」  隣を歩く七星に聞いてみると、七星はリリィを抱き直しながらうなずいた。 「うん、合ってるよ」 「こいつは?」 「それはチンチラ」 「へー! かわいいなあ」 「由宇くんがいちばんかわいいよ♡」 「あ、あれハリネズミだ!」 「え、スルースキル身につけた?」  まるで動物園だ。こんなに動物がいるのに掃除が行き届いていて、丁寧にお世話されているのがすぐにわかった。 「おーい、こっちこっち」  つい足を止めてた。教授の声は少し遠くから聞こえた。 「あ、やべ。ななちゃんを帰さないと」 「そうだね。あとでいくらでも見学させてもらえるよ」  教授に追いつくと、新品のケージがあった。"ななちゃん"と書かれたプレートが取り付けられている。 「前のケージはななちゃんが噛んで壊れてしまっていたみたいで、そこから脱走してしまったんだ。気がつかなかった私の責任だ……何度でもお礼を言うよ。本当にありがとう」 「ななちゃんが無事に帰れてよかったです」  ななちゃんをケージに入れると、辺りを見回してから、もう一度俺をじっと見つめている。 「おや、ななちゃんはまだ君と遊びたいみたいだ。しかし、この短時間でここまで懐くなんて驚いた。君は動物に好かれやすいんだね。心が素直で綺麗な証拠だ」 「俺はそんな……」  手を横に振り、否定を示すが長谷川教授はにこりと笑った。 「ええと……聞くのが遅くなってすまない、君の名前は?」 「あ、文学部二年の尾瀬由宇です」 「尾瀬くん、ぜひ何かお礼をさせてほしい。ななちゃんの命を助けてもらったんだ。私にできることなら……」 「お礼なんて、それほどのことでは。ななちゃんが懐いてくれたのが嬉しかったので!」 「もお、由宇くんたら遠慮しなくてもいいのに。教授はいーっぱい#これ__・__#持ってるんだからさ」  七星は企みを含んだ笑みを浮かべながら親指と人差し指で輪っかを作り、お金を表すポーズをしている。長谷川教授は呆れながらため息をついた。 「音石くん、まったく君は……教授を揶揄うのはやめなさい。すまない尾瀬くん。さすがに教授が学生にお金を渡すのはまずいから、別の物でお願いするよ」 「いえ、ほんとに大丈夫です……あ!」  二人は揃って首を傾げ、俺の言葉を待つ。 「あの、物じゃないんですけど。よかったらまたここの動物たちを見せてもらいたいです!」 「それはもちろん歓迎するよ。でも、それがお礼でいいのかい? お金は難しくても菓子折りぐらいは……」 「それがいいんです。俺、動物好きなので! それにまた、ななちゃんにも会いたいですし」  ななちゃんにチラッと視線を移すと、小さくぴょんと跳ねた。それを見た教授もにこやかに微笑んだ。 「うん、ななちゃんも嬉しそうだ。私が研究室にいる時であればいつでも来ていいから。その時はとびきり美味しいお菓子を用意して待っているよ」 「ありがとうございます!」 「では、私は他の学生たちにななちゃんが見つかったことを伝えに行くからしばらく部屋を空けるけれど……」  七星が、リリィとともにぴとりとくっついてきた。 「ねえ教授、もう少しここの動物たち見ていってもいい?」 「ああ、構わないよ。尾瀬くん、動物たちのことで知りたいことがあれば音石くんに聞いてくれ。知識量は申し分ないからね」  では、と会釈をして長谷川教授は去っていった。 「さぁて」  教授に機嫌よく手を振っていた七星は、瞳を輝かせて俺を見つめた。七星の腕の中のリリィも同じようにうるうるの青い目を俺に向けている。 「ようやくふたりきりになれたね、由宇くん♡」 「どう見てもふたりきりではないぞ」  周りは動物だらけだ。 「動物たちに見せつけながら、愛しあおうね……」  怪しげに笑った七星の言葉は、周りの動物たちの鳴き声でかき消されてちょうど聞こえなかった。 「は? なんて?」 「くっそ……なんつータイミング……」 「それより動物見せてもらおうぜ。あっちの端からな!」  リリィは七星の腕を抜け出し、うきうきと踏み出した由宇のあとを追った。  七星はそのあとを追いかけるのをやめて、間の悪いタイミングで一斉に鳴き出した、カラフルな鳥たちを不機嫌に睨みつけた。 「おい、そこの鳥たち、俺の邪魔したでしょ。たまに世話してあげてる俺の顔忘れたの?」  大小さまざまな鳥は、七星の言葉がわかるのか、わからないのか……思い思いにゲエゲエと鳴いている。 「なに? 俺と由宇くんがうまくいくのが気に入らないって言いたいの? くっそ、丸焼きにして食べてやりたい。でもそれはできないし……あんたらそれをわかってやってるでしょ」  舌打ちをし、次は目の前のななちゃんに鋭い目線を向ける。 「ななちゃん、あんたのおかげで由宇くんともっと長くいられるよ。それはありがとう。でも、由宇くんは俺のだから。鳥にもうさぎにも負けないし、どの人間にも負けない」

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