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フラン、文字を習う(2)

 部屋の真ん中に立って、手持無沙汰にステファンを眺める。 「旦那様……」 「ステファンでいい」 「ステファン様……」 「ステファンだ。様はいらん」  旦那様だの、ステファン様だのと呼ぶ者をそばに置く気はないと言われて、フランは仕方なく言いつけに従った。 「ステファン……」 「なんだ」  革表紙の本を片手にガラスの器に何か薬品を注ぎながら、ステファンが面倒くさそうに聞く。 「僕は、何をすれば……」 「今は、特に頼みたいこともない。そのへんに座って本でも読んでいればいい」  フランは壁の書棚を見た。そこに並ぶ立派な本の背表紙をじっと眺める。 「どうした。そこにあるのが気に入らなければ、さっきの部屋にも書棚があっただろう。もっと別のが読みたければ、レンナルトに図書室を案内させる」  ステファンの視線がフランに向く。 「どんな本が好きなんだ?」  フランはうつむいた。 「どうした。はっきり言え」 「あの、僕……。本は、読んだことが……」 「なんだ。読書は嫌いか」 「いいえ」  フランは大きくかぶりを振った。 「違います。読みたいです。でも、字が……、僕、字が、読めないんです……」  唇を噛んでうつむくと、ステファンが静かに息を吐く。 「そうか」  本とガラスの容器を置いて立ち上がり、レンナルトを呼んだ。 「レンナルト!」 「何? 今、忙しいんだけど」  どこからともなくレンナルトの声が聞こえる。 「こいつに、字を教えてやってくれ」 「断る!」  即答された。  フランは涙目になった。 「断るよ。僕はやることがいっぱいあるんだからね。フランはきみの番《つがい》だ。きみが教えろ」 「何?」 「その子は、きみのオメガだろう。きみが教えるのが筋だ」  ステファンが低く唸る。 「レンナルト」  もう一度呼んだが、もう声は返ってこなかった。 「クソ!」  ステファンが悪態をついて、フランのほうに向かってきた。 「あの、僕、平気です。他のことをして……」 「座れ」  比較的片付いているテーブルを示し、ステファンが椅子を引き寄せる。  フランがおそるおそる腰を下ろすと、どこからともなく数冊の本が飛んできて、テーブルの上に積み上げられた。 「俺の教え方は厳しいぞ」 「え……」 「さっさと本を開け」  言いながら、ステファン自身が魔法で本を開いてフランの前に置いた。 「全然、読めないんだな」  こくりと頷く。 「では、まず文字の読み方からだ」  そう言って、ステファンは石板に文字を書いて読みを教え始めた。  最初は何がなんだかわからなかったが、その文字が現す音を組み合わせると言葉になることがわかった。それが理解できると、フランはすっかり夢中になった。食い入るようにステファンの説明に耳を傾ける。 「食事の用意が整ったよ」  レンナルトの声がどこからか聞こえるまで、ステファンはフランに文字を教えてくれた。 「その石板と石筆は、おまえにやろう」  文字の大きな本を一冊選んで、フランの前に置く。 「時間のある時に練習しろ。わからないことがあれば、俺に聞け」 「ありがとうございます、旦那さ……、ス、ステファン……」  ふっと息を吐くようにステファンが笑った。 「よく頑張ったな」  フランの頭を無造作に撫でる。  夢を見ているように幸せな気分が満ちてきて、フランの胸はいっぱいになった。

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